しべつアーティストインレジデンス雑感。文芸を志す人が集まる合宿所を作りたい僕は何を考えるべきか。

※アイキャッチ画像は彫刻家渡部陽平さんが今アトリエとして利用している店舗の外観です。

かつて

アーティストインレジデンスについて/芸術家を集めても芸術のまちにはならないと思う

という記事を書きました。

端的に内容をお伝えするとすれば、ポイントは2点ありました。

・「芸術の機能」を用いて地域のデザインに寄与させようとするのなら、芸術家よりは技術者を招くべきだろう。

・あくまで「芸術の芸術性」をというのであれば、芸術家を求めるのではなく、芸術家が求める地域にしなければならないだろう

※アーティストインレジデンス事業は各地で活発に行われています。

AIR_J:日本全国のアーティストインレジデンス総合データベース

なんてサイトもあるくらい。

スポンサーリンク
スポンサードリンク

芸術家と地域の関係

10月の後半からの半月間、しべつアーティストインレジデンス事業により招かれた4人の芸術家さんたちのうち、二人の彫刻家の方の滞在先として、我が家を利用してもらっていました。

お二人との共同生活(というほどではないけれど)を通して、上に挙げたふたつのポイントは改めて重要だなと感じました。

僕が言う芸術の機能とは、ワークショップなどを利用しての地域の「交流を図る」だとか、芸術を取り入れることで与えられるかもしれないある種の「印象」を生むだとか、空き家店舗などの「活用」をする、などです。

こういう狙いがあって芸術に携わる方を招くのであれば、ストレートに達成したい目的を伝え、狙いに答えられる技術者をこそ招くべきなんじゃないかな、と控えめに思う。

控えめにというのはなぜかというと、こうして言葉にしてしまえばごもっともなようだけど、そんな「発注・受注」というような取引をしたいというわけでは決してないだろうということが分かるから。白黒付けろという声が無粋なことが分かる。

※↑写真は彫刻家の渡部さんが前半戦の最終日に作ってくれたサフォーク肉のポトフ。アトリエに行けば食べられる!という訳ではないです。おいしかったのでただの自慢です。

じゃあ、もっと漠然とした「芸術の力」を求めるのであればどうだろう。

「芸術の力」というそもそも漠然とした概念に言葉を当てはめるのもやはり無粋なようだけど、みんな何となく分かると思う。

芸術がもつ不可解さ、不気味さ、拒絶感。

それと同じくらい、敷居の低さというか、包容力や共感力もある。

誰もが触れられるものではないけれど、同時に誰もが触れることができる。老若男女、誰をもを遠ざけ、誰もを受け入れる力がある。

そういう性質が芸術にはあると僕は思っていて、さらに言えば「芸術家」という人にも同じことが言えるのではないかと思う。

普段芸術に関わらない人であれば、なかなか日常で出会う人ではありません。普段何を考え、どう生きて、なぜ手を動かすのか。未知なところが多い。

こういう方々と一緒に暮らし、地域でうろちょろしてもらうことで、お互いがちょっとした異次元を体感することができるし、不思議さが興味に変わる瞬間も訪れるかもしれない。

そういったタイミングで行われるワークショップだとか、公開制作という企画があれば、「芸術性」との邂逅を目的とした「交流」という流れが生まれる可能性はある。

つまり、芸術の芸術性も機能性もしっかり落としてもらいましょうというのが、いわゆる作家滞在型のアートイベントなのではないでしょうか。

芸術家を消費しないために

それにしても、芸術家の方がこの地域に訪れることで得るものがなければ、狙いはなんであれ、芸術家の消費になってしまう。

同じような事業は多くの地域で行われていると思うけれど、もし僕が招かれる側の芸術家だとしたら、そこへ行くうま味みたいなのは欲しいと考えるはずです。

一定数以上の人目に作品がさらされるとか、販売に繋がる可能性があるとか。そういう意味で広告の面は地域がしっかりしてくれるというような安心感があると良いし、確実に人目に触れる、人の動線上に制作現場や作品を配置してくれるという仕掛けがあっても良い。

単純に損得の話だけではなくて、一層倍集中できる環境、霊感が刺激される環境というのも当然得られると嬉しいもので、さらに言えば一皮むけた実感みたいなのが得られる仕掛けがあっても良いと思う。ビジネスだけで芸術をやっている人ばかりでもないと思うので。

ややもすると、このあたりも「田舎の暮らし」という漠然としたスペシャル感におんぶにだっこということになりかねません。

「集中できる環境=静かな田舎なら」なんて考え方は安易だと思うし、地元住人との触れ合いというのも、社会経験として得られるものはあっても、霊感とはまた別だったりもする。

もちろん、限定されたものから霊感を得て、集中力を高めるというのは作家の仕事で、用意できるものではないと思うけれど、それでも、予想外の何かを与えようとする気概というようなものは必要なのではないかと思います。

文芸を志す人の合宿所はどうするあるべきか

そして、じゃあ僕はどうするの?何を考えるの?というところに話は至ります。

僕は文芸を志す人が合宿できるような環境を作りたいと思っています。

僕も創作するし、来てくれる方も創作をする。創作合宿がしたい。

我が家をゲストハウスに、旧佐藤医院をみんなの書斎にして、個人的には図書館を作るのが目標。

色んな芸術家・クリエイターが集まったら良いなと思ってたこともあるし、今回のように文芸以外の人も歓迎なんだけど(それこそ霊感の話。彫刻家の方とお話しすることでピンと来たものがあって、今にもかたまりそうな文章がある。畑違いだけど共通点があって、ちょっと別の次元で話せるというのはかなりプラスではありました)、与えられるものがない状態でとにかくクリエイターをと僕がいうのにはズレを感じました。

僕は文芸を好み、文芸に熱くなれるのだから、この熱量を与えられる人に向けてデザインしよう、コンセプトを立てようと今は考えています。

でもこれ、下手をするとただ自分と似たような人を集めてまとまって創作して、自己満足の輪を広げるだけになってしまう可能性もあります(これもたまらなく魅力的ですが)。

ここに来て創作する意味があって、持ち帰れるものがあって、やっとここに来て書きたいという欲が生まれるだろう。

ここで書く経験が糧になるとか、創作におけるターニングポイントになるとか、認知度を高めることになるという、うま味があってこそ、良いものを生み出す装置になれると思う。

良いものが生まれるという何かを感じさせるものがあれば地域の創作の場としての価値は上がるし、創作の場としての価値が上がれば、ここで書く意味も高まる。

地域のデザインも試行錯誤

急にできるわけではないと思います。

結局やっていくしかない。創作と同じで、試行錯誤しながら少しずつ作り上げていくしかない。ただし、人に合わせた環境を提供できるようになりたいので、ファジーな面もたくさん残したい。

難しいデザインです。決めるとこを決めず、決めないところを決める決断が必要になると思う。こういうとき、どこを志向し、何を考えるかを定めるのは重要と思う。

芸術的な力を地域にただ落としてもらうだけでなく、地域が与えられるものは何だろう、ここで書きたいという人と出会うためにはどうしたら良いだろうと考える。僕の場合、文芸の道を志す人のためにどれだけの情熱を使うことができるだろうと考える。

しべつアーティストインレジデンスで芸術家さんを受け入れてみて、切実に考えるべき問題だなと思うようになりました。良い予行演習になった気がする。

しべつアーティストインレジデンス事業も、まだ2回目のようです。試行錯誤の途中だと思うけど、こうして形になっていてすごいなとも思いました。

フェイスブックページもあります

トップ画に写ってらっしゃるお二人が、今回僕の家で滞在していました。お二人の都合で一旦離町するけれど、眞木さんという方とは12月からまた共に暮らす予定です。

※この写真は、しべつアーティストインレジデンスの補助スタッフとして来てくださっている版画家の上田さんという方が持つ暗器の数々。うそ彫刻刀です。グルグル巻いてあるのは手作りらしい!

今後、クリエイター集まれ的な地域はどんどん増えていくと思います。何かを作りながら生きるというスタイルが一般化しカジュアルになっていくに連れ、地域にとっては良いお客さんになると思う。ファッションと一部として創作を携える人もいるだろうし、単純にターゲット層として扱うところもあると思う。

それが悪い訳ではないけれど、ただゲストとして芸術家やクリエイターを見る、ただ経験として滞在させるということをして、形だけに留まってしまうと、肝心の発展がみられないという状況が生まれてしまうかもしれない、と思う。

僕がここで言う文芸を志すというのは、文芸の流れに寄与することを目指すというところです。地域が、文学という大きなものに爪を立て、吠えたてんとする人のための加速装置となることを望みます。

「文学賞に応募する」、「WEB上で作品を披露し続ける」、「創作スクールへ通う」と言ったような文芸への参入の道の一つとして、「地域で創作をする」というものが選ばれるようになる未来を想像しながらやっていきたいと思います。

しべつアーティストインレジデンス雑感。文芸を志す人が集まる合宿所を作りたい僕は何を考えるべきか。(完)


スポンサーリンク
スポンサードリンク