廊下を走ることはいけないし不倫もいけないことだけど、人は廊下を走ることもあるし不倫をすることもある

小学2年生くらいの頃だったと思う。

ある男性の教師が廊下を走っていたので、「せんせー廊下はしってるー」とやや憎まれ口を叩いていることは自覚しながら指をさして叫ぶと、思ってたより逆鱗に触れてしまったらしく、本気で怒らせてしまった。

僕の方へ大股で近づき

「おいいいか、大人が走ってるってことは、それだけ急がなきゃならない用事があるってことだろうが」

ちょっとは考えてから発言しろ…とか言ったのだったか言わなかったのか、正確にはよく覚えていないけれども、そんな趣旨のことを言われた気がする。

幼い僕は怯えました。先生の顔は怖いのです、もともと。髪の毛も短くてパーマがかかってるような外見でした、

だけど怯えながら、多分これは先生が間違ったことを言っていると思ったし、そんなに急いでるなら早く行けば良いのにとも思ったし、怒らせてしまったなとも思いました。

怯えていたのでコクコクと頷くしかなかったけれど、先生に怒られたからショックを受けて怯えていたのではなく、仮にも先生という存在が、「ただ怒っていること」に僕は驚いていたことをよく覚えています。

「大人は正しいものだ」という信頼感みたいなものがどこかにあったから、正しいことを言ったはずの自分がこんな風に怒りの感情をぶつけられる、という事態にパニックだった。

あのときあの先生は、僕に教育的な意味で説教をしていたのだろうか、それとも、ただカチンと来てガキをビビらせたくてあんな風に振る舞ったのか。

今こうして冷静に考えるに、ほぼ間違いなく、答えは後者だと思うし、当時もそう感じたのです。この人はただ怒ってる。僕を叱るという意味で怒ってるのではなく、怒りという感情に任せて「怒るという行為」をしている。

だからと言って、あのときの先生の振る舞いが教師として間違っていたとか、こんなひどい先生がいたんですよという話をしたいわけではありません。

特に関わりのない先生で、好きでも嫌いでもなかったから別に庇う必要もないのだけど、何かで急いでいたとして、自分が担任を務める生徒でもない子どもに憎まれ口を叩かれたら、カチンとしてしまうのは分かる。

教師としてそれは褒められたものではないかもしれないけど、たぶん当時のあの先生は今の僕くらいの歳で、ということは、そんなにデキた人間じゃなくても仕方ないと普通に思う。

恨んでるわけでも今更当時の僕を慰めたいわけでもなく、ただ、結果的に、皮肉なことに、あの体験に教えられたことはあるなと感じました。

当時の僕は、この体験をきっかけに、一つ大人になったのです。

ということは、あの先生の「怒り」は教育的なものであったのかもしれないと今さらながら思う。

意図した形とは違うかもしれないけれど、僕は一つ賢くなったのだから、あの先生の怒りに任せた物言いは、教師としてファインプレーだったのかもしれません。

具体的にどんな学びがあったのかというと、「ときと場合によっては廊下は走っても良い」ということです。そのまんま。

もっと具体的に言えば、その後やたらと大人が好んで使うことを知る「臨機応変」という言葉を理解する素地がここでできた。

あのときあの先生は、応用が利かず、「廊下は走ってはいけない」というルールが絶対だと思っている僕の、もっと正確に言えば、「廊下を走ってはいけない」というルールが絶対だと思っているが故に鬼の首を取ったように騒ぐ僕の態度にカチンと来たのでしょう。

ああもうこれだからガキはって思ったのでしょう。どら、ここらでちょっと教えとかなあかんなと思ったのかもしれません。

いやいややっぱり教師として器が小さいよとも思うけれど、例えばやたらと報道される不倫関係のスキャンダルなんかを見ていると、不倫という「基本的に間違っていること」を見つけては糾弾する側の「鬼の首を取ったような感」にイラッとする感じが分かるのです。

そら間違っているかもしれないし、開き直ることでもないけれど、それを得意になってあげつらったからと言って「正しい」わけでもない。

もちろんときと場合によっては不倫は正しい行動だと言うわけでもないし、じゃあなんなんだってことでもないんだけど、とにかく、基本的に廊下を走ってはいけないし、不倫をしてはいけないんだけど、人は廊下を走るときもあるし、不倫をすることもあるんだよなってしみじみ思うのです。

これらの点について、もう少しよく考えたら面白いことがあるのではないと思いながら、メモ的にこの記事を書きました。

廊下を走ることはいけないし不倫もいけないことだけど、人は廊下を走ることもあるし不倫をすることもある(完)

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