小説を書くときは主人公を持った物語を二つ以上考えることを徹底する。

自分で考える創作論

小説を書くときには、物語を持った主人公を最低2人(2組)は作らなきゃいけない。

本気の物語を二つ以上作って、その物語の途中で主人公と決めた人物と交わらせる方法を考える。

これは僕がそういう意識をしようとしているというだけで、別にそうしなきゃならないということではないかもしれません。

とは言え物語を見る側からすれば「主人公を持った物語を二つ以上考える」のは当たり前すぎる話でもありますよね。

視点Aと視点Bが組み合わさって、一つの物語となる、ということは小説ドラマアニメ映画を見て分かりきってる。

だけど自分で物語を書く段になると、なぜか二つ以上の物語を組み合わせるのが大変に難しくなる!そして面倒くさい!

これは僕だけなのでしょうか。主人公を定めると、主人公にとって都合の悪いこと、都合の良いことと考えてしまって、取ってつけたような敵や他者を作ってしまう。本気のもう一本が考えられない。

あくまで主人公のあれこれを書きたいのだから、モブキャラに心血を注げないというのは仕方ないのかもだけど、主人公を持つ物語を二つ以上作って、交わらせる方法を考えるのは、いわば急がば回れ式の話の作り方として有効だとおもう。

簡単に言えば、脇役も本気で作れってことですよね。

スポンサーリンク

鋼の錬金術師はエルリック兄弟の話?それともヴァン・ホーエンハイムの話?

例えば僕が好きなマンガに『鋼の錬金術師』があるんだけど、あれは

「母親を失った兄弟が人体錬成という禁忌に触れたことで真理に奪われた身体を取り戻すべく、賢者の石を追って旅する物語」

である一方で、

「エルリック兄弟の父にして、かつてホムンクルスに利用され賢者の石とされてしまったホーエンハイムが、ホムンクルスの完全な存在となるという企みを阻止し、老いて命を全うできる身体になるために旅に出る物語」

でもあります。

賢者の石の謎を追うエルリック兄弟の行く先に父であるホーエンハイムがおり、賢者の石の原料は大量の人の命であるという真実があり、やがてホムンクルス討伐という収束点で落ち合い共闘する、というクライマックスを迎えます。

長いホーエンハイムの物語を、エルリック兄弟が締めくくる、という話だということが最後に分かるのですね。

スポンサーリンク

ハリーポッターはハリーの話?スネイプの話?

『鋼の錬金術師』の話をすぐにしてしまう。

優越感なしでは人は幸せになれないのか/『鋼の錬金術師』が刺さる、何度も。

【鋼の錬金術師】キンブリーさんのかっこいい中立性/中立キャラが物語を動かす

ハリー・ポッターの方が良い例だったかもしれません。

ハリーの魔法界での成長とヴォルテモート討伐の物語の裏に、セブルス・スネイプの話がある。

彼の確固とした物語があってようやく、ハリーから見た物語に深みが生まれる。

詳しくは以下の記事などを参照していただけると分かりやすいです。

スネイプ先生が「ハリー・ポッター」ファンから愛される10の理由【ネタバレ注意】

コンビネーションのある物語と小説

コンビネーションのある物語は面白いけれど、もちろん、もっと自由度が高い、表現法である小説において、絶対にこうでなければならないということはないですよね。

むしろ筋のある物語から離れる力とか勇気の方が小説を書こうとするときには必要となるかもしれない。

とかいろいろ、考えが揺れる。

だけど人が見て面白い話の構造として、二つ以上の物語のコンビネーションを考えるというのは、やるぞと決めてやるとなかなか頭が回転して面白いものです。

コメント

タイトルとURLをコピーしました