舞台のために物語があるのではなく、物語があるからそこが舞台になるのだ

まちづくりを考える

僕は文芸をテーマに添えてまちづくりをしようとしているけれど、同時に「アートで町おこし」と言ったこととは距離を取りたいと思っています。

地域のPRを目的とした映画を作るとか、地域に根付いたアニメや萌えキャラを展開してファンの聖地巡礼を狙おうとかするのは何か違う、と思う。

それはCMが主目的で、創造や物語が主目的とはならないから。

きっと小説やアニメや映画に触れる多くの人はあくまで物語が見たいのであって、その土地のCMを見たいわけじゃない。

そもそもCMのために2時間の映画を作ったり、アニメを作ったりするのは、費用対効果的にどうなんだろう、とも思う。

映画を作る、アニメを作るという地域を挙げてのビックプロジェクト感を喧伝することで作品の周囲の広告効果、広告のハロー効果?的なことを狙うのかもしれないけれど、田舎で映画を作るなんてプロジェクトはもう既に真新しく感じない人が多いだろうし、大金使って半端なもの作るくらいなら15秒とか1分に掛けた方が良いんじゃないの?とも思う。

なんかちょっとケンカ腰みたいな書き方になって申し訳ないけど、アニメが人気だからと言ってアニメを使って、映画で風景のPRができるからといって物語を作るのでは、順序が逆だ、と思うのです。

舞台のために芝居があるのではなく、そこで芝居をすると舞台になるのが本当だと思うのです。

この順番についてよく考えないまま作る物語は、CMを越えないと僕は思う。

この順番についてよく考えないまま行うまちづくりは、人の暮らしを作れないと僕は思う。

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僕が自分の町を舞台に小説を書くのはどうなんだ?

ブーメランだ、と思う。それに紙一重だ。

例えば今回、僕が町を舞台にした小説を書くのはどうなんだ、と自問自答しました。

もちろん、僕は物語を作るのが目的であって、CMを目的とはしていないつもりです。

語りたい話がある。だから書くことにする。その機会を与えられたという気持ちがある。

町を舞台にするという制限があるわけではなく、僕はこの機会にこの町を、我が家の過去を舞台にしようと思いました。そしてこれは僕じゃなきゃ書けないという自負心もあるからこそ、今やらなきゃいけないという気持ちにもなる。

物語を作るという目的を持った上で、自らの出自や地域の歴史について興味を持っている。

特に祖父について、曾祖父について、その仕事について、人柄について、それら、もう触れられない活気や、事件に、僕はある種の憧れを持っていて、それを現代の感覚で表現したいという欲望がある。

書けば書くほど言い訳じみるけれど、僕は創作のための創作をするという気持ちを持って今回のことにあたろうと思っています。

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それぞれの頭の中にあるものを適切に具現化する装置作りを目指している

今後、この町が本当に文芸を志す人が訪れる場所になるとして、僕は一切、地域を盛り込んだ話を作って欲しいとか、この辺りを舞台にしたものを書いて欲しいなんて期待はしません。

地域の広告に協力するために創作をしてほしいわけじゃないし、誰かの創作物そのものを楽しむ以外の使い方はしたくないと思っています。

僕は自分のまちを、それぞれの頭の中にあるものを適切に具現化する装置としたいのです。

僕は誰かの頭の中にある理想や憧れを表に出すお手伝いがしたい。特に、執筆時に大敵となる意志の弱さや妥協といった部分を補てんするために試行錯誤したい。産婆さん的な人間になりたい。

ここはもっと練れるはず、ここは既成の形容に逃げてるんじゃないですがどうですか。もっとオリジナルをくれよ、とちょっとウザさも取り入れながら、誰かのちくしょうやってやるよに火をつけたい。

もしくは創作上の遠慮を取り払いたい。

もっと自分勝手に言っても伝わるんじゃないですか、比喩が分かりやすすぎです優し過ぎます、リズムが良すぎて耳障り良いけど目が滑りますってそういう判断、たぶん自分ではなかなかできないから、引っ込み思案さんや遠慮しいさんの背中は押してあげたい。

いや、アドバイスをするのはどう考えてもおこがましい。僕はそんなんじゃない。求められればできるようにもちろん勉強はするし感性も磨き続ける所存だけれど、僕は教えたいんじゃない。

アドバイスじゃない。僕がしたいのは、例えば褒めたい、そしてけなしたい。

だから、例えば、褒めたい。

うわ今日だけで2万字も書いたんですか!?しかも文脈が整ってる2万字!?すげえすげえって。

そんでけなしたい。「今日50文字だけって昨日の2万字で使い切ってるじゃないですかなにやってんですか」って笑いたい。

調子良いときでも1万字で止めるとかした方が良さそうですねーとかそんな相談をして、そんで、今日はもう諦めて暴飲暴食しながら映画でも見ませんかインプット不足と栄養不足ですよとかって自己嫌悪を分かち合いたい。

伝わると思うけれど、これらは僕がしてもらいたいことでもある。出産なんていう生物にとってもっとも基本的な創造行為にも多大なケアが必要なのだから、僕らの物語を産むときにもケアがあって良いだろう。

産み出すって怖いことだ、不安なことだ。子は可愛い、優劣や価値はいずれ社会に決められてしまうかもしれないけれど、価値や優劣のために産むのではないのだ。行為に、結果に、僕らはまず全力を注ぐべきなのだ。怖いけど、不安だけど。

僕らも子だ。生を受けた身だ。僕らが行為で、僕らが結果だ。価値がある。いや別に価値なんかないかもしれないけど、でも、たぶん、少なくともそれぞれけっこう、誰かにとっては可愛い生き物だ。

落ち込み、笑って、奮い立って、泣いてしまって、そんな風に毎日感動しながら、まず生きるのだ。

そんな風に物語を生みだせる場所を作りたいのだ。

 

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