【蜘蛛注意!!】世界はいくつもの層が重なっている。

怖いもの見た。

蜘蛛の巣に引っかかってる蜂と蜘蛛との戦いです。

蜘蛛画像ありなので注意。

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蜘蛛の巣に引っかかる蜂。可哀想…(僕は蜘蛛が怖いです)。

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追う蜘蛛。

でも蜘蛛もちょっかいだしては退き、またちょっかい出しては退きで決定打にかける感じです。

結局蜂には逃げられていました。

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世界はいくつもの層でなりたっていて、異なる領域がある

地上の見知らぬ少年』という本の中に、こんな文章があります。

 

どの世界にも固有の領域や言語がある。固有の構造と固有の風景がある。蜘蛛の世界は蠅の世界ではないし、鳥の世界は毛虫の世界ではない。甲殻類の世界と軟体動物の世界は別物だ。象の世界は虎の世界とも違うし、サバンナに生える草の世界とも違う。(34P)

世の中というのは、いくつもの層が折り重なっている、と思う。

そりゃみんなが共有しているから、世界は一つなんだけど、蜘蛛には蜘蛛の当たり前の規模の、当たり前の大きさの、当たり前の速度の世界がある。

それは音だったり距離だったり物の大きさだったりして、それぞれが自分にぴったりのものに囲まれて暮らしているに違いない。

蜂も同じです。

当たり前の高さ、当たり前の深さ、当たり前のにおいで、蜂の世界はできていて、それが世界の全てだと思っているに違いない。

僕たち人間のように。

そうやって、様々な層の世界が重なりあって、複雑な地球は回っているのだけど、偶然にもその層が重なってしまったらどうなるか。

殺されたり、捕食されたり、見向きもされなかったり色々だと思うけれど、いずれにせよあまり良いことが起こることはないと思う。

クマの巣穴、ヌーの群れ

例えば、クマの当たり前の世界に入りこんだらどうなるか。

クマの領域に入りこめば、私たちは容赦なく叩き潰される。

暴力とか不快さとか、そういうものが発生する以前に、そこに入りこんだというだけで否定されなければならない。

もしヌーの群れの前に立ったらどうなるだろう。

きっと、人は当たり前に轢かれるし、どのヌーのなんの罪悪感も抱かないだろう。自分の世界に異物がいることの方が不健全なのだ。

家の中の蠅

自分たちの世界を意識すれば簡単な話で、私たちは家の中に入りこんだ虫に容赦しない。

蠅や蜘蛛などの虫は私たちと住む世界が違いすぎるので異物でしかない。

だからほとんど迷うことなく私たちはそれを始末する。

世界が重なってしまうというのは、このようにとても危なくて、怖いことなのだと思う。

当たり前のことだけど、それぞれの領域や世界について、普段あまり目を凝らしたりすることはないのではないでしょうか。

 

先ほどの続きを引用しよう。

—————

そして人間の世界。そこにあるのは街や村、道路に港、小麦やトウモロコシの畑、銅鉱山、海に仕掛けられた漁網、空を縦横に走る電線。この世界についてなら、少しは知っている。そこの住人なのだから。けれどもぼくは夢見ずにはいられない、神々の住む地と同じくらい未知な世界の数々を、互いに隔たっていると同時に重なり合っている世界の数々を。

車窓から身を乗り出すように、傍らに横たわる世界を見ようとしてみる。そこに行こうとしてみる。これは何よりも素晴らしい、だけど何より危険な冒険だ。もし、ほんの一瞬でも人間の国を離れることができたとして、その後戻ってくることはできるのだろうか?

帰り道を見つけることはできるのだろうか?(34P)

最近では、人同士でも「住む領域が異なる感じ」を強く抱いています。

あの人とは住む世界が違う、なんてよくあるセリフかもしれないけど、経済の格差とか才能の差とかとは全く違うその人特有の領域があって、人それぞれ自分の世界で特別なルールとか法則を持っていて、それに従って生きているような気がする。

何と言うか、「あの人の判断の基準が分からない」とか、「行動の基準が分からない」って日常ですごく頻繁にあると思うけど、たとえば猫が急に走り出すのを見るような感じで、分からないなりに何となくいつものことだしって理解して、気にも留めてない、けどよく考えたら不思議だなあ、何考えてんだろうな、みたいなこと。

ここのところを言葉にするのはまだ難しいけど、今個人的にかなり興味のある分野の話です。

 

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