『素顔同盟』と常識について

顔のことを考えているうちに、だんだんわけが分からなくなってきました。

ゲシュタルト崩壊みたいなことが起きて、何について考えてるのか分からなくなる。

顔ってなんだろう。伝達のための記号だろうか、飾りだろうか、むしろ反対に、何かを隠すための仮面のようなものだろうか。

このあたりが分からなくなる。

仮面こそが素顔を覆い隠すためのものであるのに、僕らにもともとついている顔について考えれば考えるほど、それはどこまでも他者のためにあるものだと思う。

僕は僕のために笑顔を作ったりはせず、僕のために怒った顔をしたりもしません。

それは基本的にはコミュニケーションツールであって、意識的に使うものだと思う。

もちろん思わず笑みがこぼれたり、つい顔をしかめてしまうことはあります。誰のためでもなく、ただ反応として、顔が何かを表すことはある。

顔には意味があり、他人といるときのそれは明らかにコミュニケーションツールであります。

それは「言葉」や「お金」と同じように、一人では持っていてもあまり意味がなく、伝わるからこそ機能する複雑な動きだということです。

それについて考えるということは、「言葉」や「お金」について考えることに似ていて、言葉やお金と同じように人と共に生きる上で大事なものであるということであります。

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『素顔同盟』はなんだったのか

そういえば中学生くらいのときに「素顔同盟」という短編小説があったことを思い出します。

その世界では、誰もが口元に笑みを浮かべた仮面をかぶっている。条例だか法律だかで仮面の装着が義務付けられていて、誰もが同じにこにこした仮面をかぶる。

それは争いやいがみ合いを防止するための工夫であって、人々の負の感情を表しようのない状態へ持っていき、コミュニケーション上の摩擦をゼロにするための政策でした。

そんな世界に疑問を感じている少年は、ある日橋の上で仮面を取り外し、それを川へ捨てる女の子と出会ってなんちゃらかんちゃらする。

そんな話だった気がするけれど、うろ覚えです。

授業でくそみたいにつまらない読書感想を書いた記憶があります。

「作り物の仮面の脱ぎ捨てて、悲しい顔とか怒った顔を見せながら友達や家族と本音で暮らした方が本当に生きてるって感じがすると主人公は感じてるんじゃないか」みたいな。

正直この話にそれほど感じることはなく、感想もこういうこと書けば良いんだろ?的な発想がありました。

優等生的な感想だなって先生に苦笑いされたことをやけに覚えています。それはもちろん褒められたのではなく「お前これ適当にこなしただろ」って意味だったし、「ぜんぜん面白くないな」って意味でした。

このとき先生が仮面をかぶっていたとしたら、文字通り僕は褒められたことになるかもしれません。だけど表情はときに言葉より多くのものを語り、基本的に人はそれをかなり正確に読み取る能力を持っている。

一方僕は、適当に書きましたなんて当然言えないし、褒められてるわけでもないことは分かっているけど、一応言葉を否定するでも肯定するでもない無表情を貫きました。

こんなことを思い出すに、やはり顔とはコミュニケーションツールなのだという考えが強くなります。

問題を解決する努力をしなくて済むよう、そもそも問題を起こさないようにしようという発想

それにしても、問題を解決する努力をしなくても済むよう、そもそも問題を起こさないようにしようという発想は、そこら中に蔓延っている気がします。

盗難が起きないように大切な私物は学校に持ってこないようにしよう。

ケガを防ぐため、遊具は取り外そう。

ケンカをしなくて済むよう、コミュニケーションを取るのをやめよう(『素顔同盟』はこんな話)。

トラブルを防ぐため、そもそもトラブルが起きる可能性のあることに関しては過度にマニュアル化したり、そもそも禁止したりということはよくあるように思う。学校なんかだと特に多いような。

考えてみれば、世にある「常識」とか「マナー」っていうのは大体これの不文律版みたいなもので、余計なトラブルを起こさないためにはこうするが無難さという知恵の結晶みたいな感じですよね。

常識的なことをすればするほど、仮面をかぶっているような感覚になります。

年賀状を書いたり、何かのお礼の電話をしたり、目上の人のお酒をついだり。

それはしたいからするというよりはやっぱり、素顔がどうであろうと、とりあえず笑顔の仮面をかぶってやり取りすれば、結果的にもっとも要領よく生きられるというようなことだと思う。

そこに対する反発は子どもらしく、常識をわきまえない人間、わきまえようとする人間がなぜ顔をしかめられるかというと、「しないで良いトラブルの種をわざわざ蒔く人」という印象を与えるからだろうなと思う。

「ちくしょう元気良いなアイツ」って意味で若いとか未熟とか思われるんだろう。

別にどちらが正しいということでもなく、単純に常識やマナーをこなさないことで不快な思いをする人が多いのであれば言う通りにした方が楽で。

常識やマナーを特にどうとも思っていない人のコミュニティの中では強いてそういうものを強制する方がめんどくせえとかってトラブルの種なわけだから、そっとこだわりを捨てれば良いのでしょう。

『素顔同盟』の何が気持ち悪いって、煎じ詰めればそれだけの話に感じるのに、やけに感傷的に「感情が奪われた」みたいな話にして、人と人のやりとりの煩雑さみたいなものを子どもの感性を盾にして美化しつつ、暗に見解を統一しようとする教材としての利用されやすさにある。

かつて優等生的な感想を書いた僕はもっとも無難な仮面を被った生徒だった。素顔を晒せない社会なんて悲しくて生きた心地がしないと言ったその口は仮面のように硬直している。

その滑稽さを先生は笑ったのだ、ったら、なんかかっこいいですよね。

『素顔同盟』と常識について(完)


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