ハッとするような夕日を撮りたいと思っているけど、現実にキレイだなと思う程の写真を撮るのは難しいです。
写真にもストーリー性が必要だとどこかで聞きかじったことがあるのだけど、確かにただ「キレイな夕日を撮る」つもりで撮ったものにはストーリー性なんか備わらないのかもしれない。
今日はそれでもある日空を見て個人的にはハッとして撮った写真を背景に、写真のストーリー性について考えてみたいと思います。
写真のストーリー性ってなんだ
ここで言うストーリー性とは、多分その写真を撮るに至った経緯だとか、どうしてそれを撮ろうと思ったか?ということではありませんよね。
じゃあ何なんだよストーリー性のある写真って!って僕なんかは思っちゃうんだけど、感覚ではストーリー性のある写真って何なのか分かってる。
こう、写っているもの以上に語られるものがあったり、メッセージがあったり。
そういうことは何となく分かるんだけど、読めるけど書けない漢字みたいなもので、ストーリー性のある写真を見れば分かるけど、ストーリー性のある写真を撮れと言われると途方に暮れてしまう。
技法なら真似できる。
「写真 ストーリー性」なんかで検索すればざくざくとストーリー性のある写真を撮る方法っぽいものを知ることはできる。
この記事がシンプルで実用的だと思った。
でも技術を駆使したところでストーリー性には至らないのかなって思います。
写真のストーリー性ってなんだろう。
センスで片づけるしかないのでしょうか。
ストーリー性を、「詩的な」と言い換えたら何か分かるかもしれません。
言い換えたところで、そういえば類似表現に「劇的な」というものもあることを思い出した。
ストーリーには「詩的な」ものもあれば、「劇的な」ものもある。
ここまで思いついたからと言ってまだ何かしっかりしたものが掴める訳ではないけど、「ストーリー性」を翻訳したり分解したりすると分かることもあるような気がする。
口数は少ないけど心に残るような詩的表現と、はみ出た感情を無理やり枠に押し込めるような劇的表現が写真にもあって、そういうものは絶対に撮る人の方に備わっていなければならないものだと思う。
そういうことならば、その写真を撮るに至った経緯とか、どうしてそれを撮ろうと思ったか?というのは大切な要素で、むしろそれを突き詰めて、文字で語ることなく写真で語れるようになれということなのかもしれない。
(以下26日追加の夕日)
ある日、夕日を撮ろうと思って。/写真とストーリー性(完)