超絶シェア社会/ゴールはおしっこ漏れそうな人がゼロになること

「シェア社会」とか、「シェアリングエコノミー」なんて言葉をよく耳にするようになって久しいですね。

行き過ぎた消費社会へのカウンターパンチであり、もったいない精神の体現であり、誰かと繋がりたいという気持ちを満たす手段でもある「シェア」の合理性は、日に日に高まっているように見えます。

同時にシェア社会の行く先ってどうなんだろう?という疑問も湧いてきますね。

こないだ嵐のコンサート行ったんだけど、帰りに遥かな行列の一部となり、おしっこ我慢しながらそういうことを真面目に考えました。僕らごくたまにめちゃくちゃ集中して精神を統一しなければならないときがあります。それがおしっこを我慢してるときですよね。

おしっこ我慢しながらだったからか、というか我慢しながらだったから、誰がどれくらい緊急かという生体情報までシェアできるようになったらゴールだなって思ったって話です。

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有形物をシェアしようとすると貧乏くささが漂う

シェア社会において、共有するのはモノだけでなく、情報や価値観と言った無形物にまで及ぶようです。

いやむしろ無形物のシェアの方が我々には馴染み深いというか、抵抗なくできるのではないでしょうか。ブログ記事なんかはシェアを前提に、もしくは目的に書かれているものが多いですもんね。

対して純粋なモノのシェアはどことなく「けち臭さ」や「貧乏くささ」が漂い、あくまで妥協案という風に扱われているのかもしれません。シェアは良い発想だと分かっていても、抵抗があるという方も多いでしょう。

確かに、経済的な理由だけで「シェア」を行えば、貧乏くささは漂うかもしれない。

例えば誰かと部屋をシェアするなんて話を聞けば、「まあ、学生の内は良いかもしれないけどねー」みたいに思ったりしませんか。

これって「お金がない」と公言しても恥ずかしくないうちは良いけど、良い大人になったらそういうのは卒業しなきゃねみたいな発想があるからだと思います。

共有よりシェアの方がオシャレだよね

いやいやでもシェアハウスはいろいろな形態のものが増えてるし、憧れる人も多いよねって意見もあるでしょう。それにシェアすることで産まれる副産物もあるんじゃないかって。

例えばテラスハウスって番組あるけど(今はNetflixでやってるらしい)、あれまだフジテレビでやってた初期の頃に見て、共同生活もオシャレになったもんだなって思いました。

誰かと場を共有することで絆や仲間意識が芽生え、ときに恋が生まれることもあろうし、絶対に誰かがいてくれるという安心感もある。同僚とも同級生とも違う同居人は、仕事の悩みを相談するにもうってつけだし、それぞれの領分から積極的に励まし合ったりもできる。

ただ住む場所というよりも、過酷な社会に立ち向かうためのベースキャンプであり、人によってはオアシスと捉えたりセーブポイントと捉えたりする。で、そうこうするうちにやっぱり恋が生まれる。若いし、そういう番組だから。

家というよりホームと言った方が良いのかもしれません。共有よりシェアと言った方が良いように。

現代のシェアは価値観の共有が主

何をシェアするにしても、モノを共有する先にある何かの価値の比重が大きいのが現代で言うシェア社会なんでしょう。

テラスハウスみたいなのはすごい特殊な例だけど、あれで現代人のルームシェアに対するイメージが固まったというか、求めているものが浮彫になったみたいな部分はあると思う。

仮に共同生活にオシャレな空気とか、現代っぽさを感じる人がいるのであればそれは少なからずテラスハウスの影響があると思うし(テラスハウスは海外のシェアハウス文化の雰囲気を輸入したんだろうけど)、本当にテラスハウスの影響でシェアを始めた大学生なんかがいるとしたら部屋はオシャレじゃなきゃと考えるだろう。

男女一緒でも可と考えるだろうし(ここを変に意識するのはなんか現代人的にスマートじゃない)、恋愛はあくまで目的じゃなく結果という建前を死守するだろう。

ライフスタイルという大きな価値観の合致が心地良くて、大きな価値観を共有し達成するだけじゃなくコストが抑えられるという辺りが魅力的なんだろう。ていうか価値観を共有するためにコストを分け合うという部分もあるに違いない。一人で生活するよりずっと高上りになってる人もいそう。部屋着とかもちゃんとしなきゃいけないしね。

だからシェアハウスという価値観の城を維持するために出資し合うという感じ。

こうなれば家賃を出し合って安く楽しく生活するというのはちょっと違ってくると思う。分け合う行為で達成したいのはあくまでモノの共有ではなく、価値観の共有であるという感じです。

シェアという概念がシェアし切れているか

いやあの番組が現代のシェアにかかる価値観の先駆けみたいに書いちゃったらなんか変ですね。あれはどちらかと言えば結果であり、始まりでは全然ないはず。シェア社会の派生形?みたいな。

じゃあシェア社会ってどういう風に出来上がったのかを考えると、世に溢れる空気的なレベルで段々と、世の中にモノは溢れてるし生活水準も上がったけどなんか足りないものがあるよね?って部分が浮き彫りになって来て、その解決手段が意外にも部分的に不便を許容するという辺りにあるって気付き、そこをもうちょっと煮詰めていくと現代には都合良くシェアという概念があったみたいな感じ。

そんで、「そのシェアってあれだろ?要は『みんなで使う』ってことだろ?そんなの昔からやってたよ、てか昔はそれが普通だったよ」って言う勢もいて、ほらやっぱり先人の知恵ってのはバカに出来ねえだろ、そういうことならこっちの方が慣れてるんだよ的な気持ちもあって、本当は時代を経てシェアの概念は少しアップグレードされてるんだけど、本質的になじみ深いので世代を越えてすんなり社会に受け入れられたのではないか。

だからもしかしたら世代ごとにシェアの捉え方って微妙に違うのかもしれない。

いやそのなんかただ分け合うとか共有するとかそういうのとはちょっと違って、いや言ってしまえばそうだしやってることも一緒なんだけど、「分け合うこと自体に無上の喜び」みたいなものがないと成り立たないというか…、共有してること自体に安心感とか満足感がないと無理、みたいな。

うんだから、余ってるものとか要らないものを分け合うって良いじゃないの。おすそ分けとか最近ってあるのかねえ?ああそれに「もったいない」って言葉は日本語に独特の概念らしいぞ、まさに日本人的な発想で、地球にも優しいし、人にも優しい。素晴らしいだろ。モノで溢れかえった今だからこそもったいない精神は必要だよな。

それもよく分かるしそれはそれで良いんだけど、そういう社会的なシェアと、テラスハウス的なシェアは違ってね、今わざわざやるとしたらテラスハウス的なシェアの方であって、私たち結局社会のために良いことなんてわざわざしないんだよね、言っちゃえば。世界より私が大事なの。

うわつめたいねえ。現代の若者つめたい。これだから生きにくい世の中になっっちゃったんじゃないのか。

いやいやそんな風に話を大きくし出したら収まらなくなっちゃうし私たちからすればこういう部分の価値観が共有できない辺りに閉塞感を感じるのでお互い様です。分かりやすく言えば、あなたみたいな人とはシェアハウスが成り立たないって話です。家賃がいくら安くなっても。

こんな感じで、シェア社会って盛んに言うけどシェアって概念がシェアし切れてない辺りがなんかちょっと面白いと感じる僕は。

おしっこ我慢人口ゼロは達成可能な未来か?

こんなことを書きたかったのではなくて、冒頭でも書いた、「シェア社会のゴールはおしっこ漏れそうになる人がゼロ」になることだよなって話が本題です。

けっこう至るところで思うんですよね。男性だとあまりないけど、女性だとよくトイレの行列できてますよね。あの列の後ろの方で、5人前の人よりよっぽど限界が近いって人はいるだろうなって。

あと飛行機とか電車降りるとき、今一分一秒でも早く降りたい人が僕の後ろにいるかもしれないって思う。

そういう緊急度の深刻な順にいつも人の列が出来上がっていたら誰一人焦らずに済むのに。

あなた私より全然緊急じゃないですか!前へどうぞ!的なことが客観的な情報に基づいてできたらすごい。

絶対無理なことは分かってます。まず自分のおしっこ漏れそう具合が人にバレるのは嫌だってだけで無理ですよね。生体情報までシェアできたら世の中もっとスムーズになるだろうけど、そんなのよく考えなくても机上の空論です。

それに仮にそれができたとしたら、逆に気遣いとかそういうのが無くなるんだろうと思う。それが果たして悪いことなのかは分からないけど、顔色伺って「よかったらお先にどうぞ?」っていう光景は失われ、当然「うわぁありがとうございます!」ってのも無くなる。

機械的に並び替えられて、無感情に目的を達成するようになれば、人はいよいよロボットになる。問題は解決できれば良いのではなくて、解決しようとする意思こそが人間の仕事なんだろう。

モノに溢れた現代社会で、なにより人間性を取り返したい僕らはシェアすることで問題を解決したいのではなくて、ただシェアしたいだけ、分かってほしいだけなのかもしれない。

そこに社会的な意味とか、経済的な合理性とかをぶつけられると、なんかちょっと冷めちゃうんだろう。思いやりとか気遣いと言ったものもあると思えば詰まらなく、期待しないからこそ嬉しい。だから僕らは本当に複雑だと思う。

にしてもおしっこ漏れそうなときはそんな悠長なこと考えられないですよね。おいみんなどけよ!って思う。それに人の緊急度なんて仮に分かったって自分を優先したいと思うのがまた人間の人間らしいところですよね。世界より私が大事なの。

それに他人の死より自分の頭痛の方が深刻に思えるのが人間って誰かが言ってた。

ただ、世界中のおしっこ我慢人口を減らせたらいいなと思うのは僕の純粋な気持ち。

超絶シェア社会/ゴールはおしっこ漏れそうな人がゼロになること(完)

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