共感覚に訴える地域の質感/分からない人は分からなくても良い感覚

これからはきっと多くの人が住む場所で悩むことになると思う。

なぜなら、今までは学校や職場や結婚などのきっかけによって半ば強制的に住む場所は与えられたけれど、これからは完全に自分好みの、自分本意の選択ができるようになるから。

職業を選ぶように、結婚相手を選ぶように、必ずしも心から好きで納得してという訳にはいかなくても、今よりはずっと多くの選択肢が目の前に突き付けられることになるのは、ほぼ間違いのないことのはず。そういう願望が僕にはある。

もちろん、どこまでも妥協することはできる。職業や結婚相手を選ぶときのように。

選べるというだけで、真剣に選ぶかどうかは人によるのだから、みんながみんな住む場所に悩むなんてことはないように思う。

でも仮に、全員が自分の生きる場所を真剣に選ぶようになるとして、当たり前に将来住む場所について考えを巡らせるようになるとすれば、ここで一つ問題が生じる。

それは「選ぶための情報の少なさ」。

生きる場所を真剣に選ぶという前提の上で、ではこのときどんな情報が有意になるだろうかという話をしていこうと思います。

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生きる場所を今より自由に選ぶようになったとき、どうやって選ぶか

前回前々回の記事では、価値基準を限定することで多様性が失われてしまうから、価値基準を細かくすることでそれを維持しようというようなことを書きました。

多様性というのは選択肢の多さが前提にあると思います。

細分化され、枝分かれした道がたくさんあって、それぞれがいちいち好きな方を選べるから、結果的に多様になるのですから。

当然、選択肢が少なければ行先は似通ってしまい、いくら紆余曲折あったと言っても最終的には同じようなところに落ち着いてしまう。

その結果、AかBかみたいな両極端なグループ分けがされるようになり、個人で言えば負け組とか勝ち組で括られ、地域で言えば消滅間近の地方と人口爆発の都市というこれまた両極の姿を作るようになった。

これはいかに「経済的に有利な条件で暮らすことができるか」という限定的な価値基準で人が生きる場所を決めた結果だと思う。

多少乱暴な話なのは分かっているし、人間の機微は計り知れないけれど、結果から逆算すれば一理ある話しなのではないでしょうか。

この当たりはもうくどくど書かないけど、これからは世間で言われるところの「良い暮らし」目指して皆が突き進む時代ではないと思う。

ここまで文明的な時代になって、少なくとも日本は普通にしてれば命の危険なんて感じる国ではないのだから、もっと「オリジナルの幸せ」を目指して邁進しても、それほど目も当てられないような事態(人生)にはならないのではないかと言うのが僕の意見。

結婚制度も何となく無理があるような感じになってきたし、仕事も毎日同じ場所に時間を決めて通わないと出来ないってのも不便な話だし、そもそもこれから科学が発展したら人が働く意味も希薄になってきて、どんどん趣味的になっていくだろう、芸術の分野に近くなっていくだろうことを思えば、人は一か所に留まる理由もそれほどなく、生きる場所を今よりもっと真剣に、かつ悩んで選ぶ傾向になっていくのではないか。

過去に遡れば遡るほど、人は身動きが取れなかったし、人生も決まっていました。

これからは固定される意味が乏しくなってきて、今までは悩むことのなかった生きる場所でさえ、今ではまだ思いもよらない選択肢が生じるでしょう。

そのとき、じゃあ生きる場所とかってどうやって選ぶ?という話です。

条件ではなく好ましさで選ぶだろう

生きる場所選びは、結婚相手や職業を選ぶときと同じくらい悩む(悩める)ようになると思います。

今は身分の差とかない訳だから、基本的には誰でも好きな人と恋愛できる訳ですが、だからこそ選択肢が多く、結婚相手で悩める訳ですよね。

結婚相手を選ぶときって条件ではあまり選ばないと思います。

もちろん条件も大事だと思うし、収入とか見た目とかそういう条件を重視する人もいると思うけど、一般的には条件より好ましさの方が勝ると僕は思う。

少なくとも条件を羅列したプロフィールだけでは人のこと好きになれませんよねきっと。この人と生きて行こうという想像ってなかなかできないと思う。

だって条件の欄に書けないことが多すぎるもん。

見た目一つ取ったって、写真一枚じゃいまいち全容は掴めないし、どこでどんな表情を作るのかって見事に人によって違いますよね。

それに話し方、話す内容、思考回路、様々な場面での選択と言った内容はとても列挙できるものではない。

あとどうしてもしょうがないのが声とかにおいとかそういう五感に訴える系の情報って表しようがないし、表したところで信憑性ないですよね。

この人は良い匂いがしますとかって言ったって、万人にとって良い匂いとは限らないワケですし、中には男の人の汗臭さが好きですとかって言う人もいるらしいからホント好ましさって意味が分からんです。

そういや好ましさの伝え方として「耳が孕む」とかって表現を使う世界もあり、馴染みのない人は初耳だと思いますが、このように声に惚れるってこともあるし気持ちは分かる。

てかよく考えたなこの「耳が孕む」とか「耳が妊娠する」とかって表現って初めて見たとき僕思いました。ただ「良い」じゃなくて、「好き」なんだという気持ちが伝わってくる。

あと、最近台頭してきた言葉で

「バブみを感じてオギャる」とかって表現があるらしいです。

主にアニメ作品などで、年下のキャラクターに母性(バブみ)を感じ、幼児退行したくなる(オギャる)という意味なのですが、気持ち悪い!と思いつつ、意味だけでなく狂気に近い感情が表現されてて、伝え方として洗練されてることを認めざるを得ない。

こんなん「声が良い」とか「母性を感じる子」とかって汎用性のある言い方では絶対伝わらない好ましさですよね。

分かる人には分かるし、分からない人には絶対分からない表現をする

ここでやっと本題なのですが、やっぱ一定ラインを越えると表現は芸術性を帯びてくるし、分かる人には超分かるけど、分からない人には全然分からないどころかドン引きするみたいなところがあると思います。

本気で好ましさを伝えようとすれば創造的にならざるを得ず、既存のフレーズや手法では表現できなくなってしまったりする。そしてそれは別に伝わる人にだけ伝われば良いって開き直りがあって面白い。

「バブみを感じてオギャる」はちょっと特殊すぎたかもしれないけれど、何かを伝えようとするときには言葉では足りず、でも文字で伝えなきゃいけないときは直接五感に訴えることもあるし、イメージを抽出して伝えることもあるでしょう。画一的で汎用性のあるフレーズに当てはめようとせず、あの手この手で伝えるのです。

例えば小説表現ではよく使われると思いますが、ぼくにとって印象的な一文が『我らが影の声』という作品にあるので引用します。

知っている限り、いちばんいい部分をしぶしぶいやそうに与えてくれる街はウィーンだけだ。これがパリだと、海のような大通りや金色のクロワッサンや、隅々までひしめく魅力で顔をひっぱたかれる思いがする。 ニューヨークはせせら笑う――自信たっぷりで無関心なのだ。汚れや犯罪や不安がどれほどあろうと、いまだに世界の中心は自分だと心得ている。 いつでも必要とされるのがわかっているから、何でも好きにできるというわけ。(49p)

(小説の中だから違和感はないとは言え)地域の表現としては独特すぎますよね

市や町のホームページにこんな表現が見られるでしょうか。

もっと分かりやすく、魅力が伝わりやすい表現(実のところありふれすぎていて伝わらない表現)に終始しているはずです。「いきいき」とか「笑顔あふれる」とか。

引用した表現から、ウィーンとかニューヨークの街並みがイメージできる人もいれば、できない人もいると思います。

だけどオリジナルの価値観で生み出した表現は、伝わる人には伝わりすぎてしまう程に伝わってしまう。

語り手がウィーンのことをどう思っているのかを正確に知るには、このような表現に寄らざるを得ないのです。

誰かと共有できる感覚としての共感覚

最後に、少し長くなってしまうけど関連すると思うので「共感覚」というものについて書いておきたい。

これは例えば文字に色がついて見えたり、音に色がついて見えたりという感覚で、ちょっと聞くと特殊に聞こえるけど、多分みんな少なからず持っていますよね。

共感覚と呼べるかどうかは分からないけど、においを嗅ぐと記憶がパッとビジュアルで思い出されてすごく懐かしい気分になるとかってことは誰もが経験するところでしょう。

これは嗅覚と視覚が繋がってるってことだと思うし、そう考えれば音を聞いて何らかのイメージが起こってもおかしくないと思う。

あ、こんな本があります。 

カエルの声はなぜ青いのか? 共感覚が教えてくれること

 多分本当の共感覚というのはそういう「経験」によらず、もっと絶対的なものなのだと思うけれど、例えば僕はある土地に降りると「赤茶けた」とかいう印象を持つことがありますし、前回の記事でちょっと書いた「メタリックな」印象の地域とか、そういう「色彩」が思い浮かびます。

みんなオリジナルのこういう感覚を持ってると思うんだけど、もしこれが自分の中だけの共感覚ではなく、上に挙げた「バブみ」とか「ウィーン」の例のように独特だけど誰かに共感してもらえる感覚という意味での「共感覚」だとしたら、生きる場所を選ぶ上ではとても大事な要件になると思いませんか?

生きる場所を選ぶ時代に先駆けて、このような感覚や表現を惜しみなく、また気味が悪いと思われることに恐れることなく表現していくことが大事だと思います。

ただ空気が美味しいとか、人が良いとかプロフィール欄に書いてありそうなことじゃありふれ過ぎてて伝わらない。

大事なことであればあるほど、においみたいなフェチズムに近く好みバリバリの(多少気持ち悪いかもしれない)細かな要素が大事になります。

分かる人にだけ分かってもらえば良いのだから、こういうブログで好き勝手書くからには、ありふれた条件や参考にならないプロフィールではなく、そういうの情報を埋めていけたら良いなと思います。  

共感覚に訴える地域の質感/分からない人は分からなくても良い感覚(完)

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