小説が書けなくて泣きそうな夜のひとり会議

小説が書けない。

非常に難産となっている作品がひとつあって、それが書けないばっかりにぐずぐずとすべてが乱れている気がします。

想定では今月既に3本の短編小説をnoteにあげる予定だったのだけど、7月一週目に書き終えるはずだった『クイニ―&アマン』というタイトルのこの一本が足を引っ張って、気付けばもう7月も後半に入っている。

いっそ諦めて別の作品を書けば良いのだけど、書き始めたのだから終わらせなければという神経質さが顔をだし、別の作品にも手を出せないでいます。

小説どころかブログも書けないありさまで、何を書いてもダメな気がして、せっかく北海道も夏らしく夜を過ごせるようになってきたというのに、環境的には暑くもなく寒くもない実にボーナスタイムなこの頃なのに、まさかの難産で今にも泣きそう。

冷たいお茶を入れたグラスがかいた汗を手のひらでふきふき。氷が融けてできた水ってなんで微妙に美味しくないんだろうなとか余計なこと考えちゃう。氷水を何杯飲んだことか。

作品は書けば書くほど上滑りして、数行かいては消し、物語を動かしてはなかったことにしてを繰り返しています。

そうそうプライムビデオでぬ~べ~が配信されてて、賽の河原にいる鬼が出てくる回を見たのだけど、ちょうど賽の河原の石積みをしているような虚無感?絶望感?なんとも言えぬしんどさ。

徒労感。焦燥。夜中の道路の真ん中を、叫びながら走って町の噂になってやろうかとか思う。

ならなそう。なんの噂にもならなそう。キツネが鳴いてるくらいにしか思われないだろう。田舎だ。

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別の作品を書くべきか、苦しくても書ききるべきか

まず頭の中にあるのは、こういう難産のとき、書きたかったものに対して実力が足りなかったのだと一旦諦めて別の作品に取り組むべきか、これを乗り越えればレベルが上がるぞと信じてとりあえず最後まで書ききるべきか(結果どうあれ公開する)、というところで悩みます。

さらにその悩みは派生します。

頭の中にある、書きたかった物語が、実力に対して高度だから書けないのか、それとも作品としての魅力がそもそも足りないと僕が感じていて、ごりごり鬱蒼と生い茂る草木をかき分けてでも進むぞという熱量が足りないから書けないのかが分からないということ。

これは全く反対のベクトルです。

いずれにしてもうまく書けないと仮定して、書きあがったときに希望を感じるか、自分を疑う材料になるか。

この答えが知りたくなくて、書き終わらないようにしているところもあるかもしれない。

書き終わって、小説を書く真似をしたかっただけの文章の羅列を見たとき、才能ないなとか思ってしまうのが怖いから書き終わりたくない。

個人的には、才能なんてそもそも存在しない思っているのに。あらゆることは運でしかないと思っているのに、こういうとき才能とか考えてしまうのは実に都合が良い。

別の作品に取り組むべきか

また、別の作品に取り組むという誘惑と相対するときにも葛藤があります。

この状態で別の作品に取り組んでも、やはり物語の袋小路に行き当たってしまうのではないか。

僕は現状、何かを書くときに持っているべきコンパス的なものを失くしたか壊してしまっているのではないかという疑い。

そのコンパス的なものとは具体的に何かと自問すれば、熱量とか、そういうもんなんだよなと思う。

現状、書きたくても書けないのは「小説を書くこと」が目的になっていて、小説を書いて、そんでどうすんの、それで何を伝えたいの、という熱量を生み出す目的の部分が欠落しているからなのではないかと感じる。

小説を書く以上の熱量は、他の作品には宿っているかもしれないし、僕自身が消耗していて、何を書いてもダメかもしれない。

これらの疑いが組み合わさって、にっちもさっちもいかない状態というか、詰んだ状態に陥っているようです。

完璧主義をすてるというときの反発

僕が他人だったから、書いた方が良いし、うまく書けなかったと思っても公開すべきだと言うと思います。

完璧主義をすてろよと。とてもありきたりのアドバイスをすると思う。

確かに、何事も失敗をいくつ、いかに早く積み重ねられるかにかかってるみたいなところがあるし、そもそも完璧なんて存在しないのだからテイクイットイージーだぜって気持ちもある。

WEBで公開する利点はスピードとレスポンスにあって、とにかく書く、とにかく見せるってのが一つの必勝法だというのもわかる。

だけど現状、それは方便で詭弁だとも感じます。悪い考えではないけど、そういう甘言に乗るべきかどうかって都度考えなきゃなって思うのです。

とにかく積み重ねること、反省材料が大事だということも真理だと思うけど、完璧なんてムリだって分かってるからこそ、自分の中で完璧を追及することを止めたら終わりやないかみたいなスポ根魂も持ってるっぽい。

特に小説なんて正解のないものと取り組むとき、誰が何と言おうと、我が子はパーフェクトだと言えなきゃ親になれない。

いわばそういう責任感の無さが情熱の欠如に繋がっていて、その状態に慣れてすんなり書いて見せることできるようになってしまったら、それこそただ書くことを目的とした「小説らしき何か」しか産めなくなってしまう危険性すら感じる。

よってちゃんと書く。予定通りとはいかなそうだけどきちんと苦しむことにした。せっかく過ごしやすい夜だし。

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