からかうコミュニケーションと、失礼のコミュニケーション

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コミュニケーションの観察をする理由は二つあります。

①僕のコミュニケーションが器用とは言えないから

②小説に活かすため

みんな「コミュニケーションの型」とでも言うべきものがあると思います。

言い回しや使う語法は実はすごく限られているから、親しい人であればこういう状況でこう言う、こう言われたらこう言うというのはほとんど決まっているのではないでしょうか。

歳をとれば取るほどコミュニケーションは硬直的になり、集まればいつも同じ話題が繰り返され、内容も誰がどこで発言するかも決まりはじめるように思います。

そしてその予定調和のコミュニケーションが心地よいというのもまた悩ましいところです。

「いよっ、待ってました!」という瞬間が僕らは好きで、だからこそドラマの主人公には口癖が用意されたりするのでしょう。

ただ、誰かのコミュニケーション法が硬直して見えるということは、僕の見方もそれなりに硬直していきているということの証明に他ならないです。型があると思っているなら、崩すこともできなければならないと思います。

誰かを相対するとき、その人が持っているコミュニケーションの型に巻き込まれずに済ますことができないという負い目があるから、コミュニケーションに対する苦手意識がぬぐえない。

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野球部時代、独特のコミュニケーション法に戸惑った

僕は人のコミュニケーション法をふむふむと見て考えるのは好きですが、コミュニケーションに巻き込まれるのは苦手という面があります。

僕はその場に流れるコミュニケーションの磁力とでもいうべきものに抗うこともできず、だからと言って従いすぎるのも自覚的になり過ぎて恥ずかしいということがあります。

忘れないのは、高校で入った野球部のコミュニケーションの独特さです。あれから逃れるのは難しかった。決して悪い思い出ではないのですが、社会を見た気がしました。

その独特なコミュニケーションというのは、先輩が一年生に「からかい」と「失礼」を強要するのです。

言い方が悪いかもしれないし、誤解を招くかもしれないので先に言っておきますが、僕はこの記憶に関して悪い印象は持っていません。楽しかったし、ありがたかったとすら思っています。

ただ、逃れられなかったという点でコミュニケーションが持つ暴力性を見ました。

もう少し具体的な内容を言えば、例えばある先輩が、一年生を捕まえて「あいつ(他の先輩)にさ、お前のバッティングしょぼいからもっと素振りした方が良いですよって言ってきて」という風にけしかけるというようなものです。

やり過ぎれば不快なコミュニケーションの形

これで何が起きるかというと、わちゃわちゃが起こります。

一年生は悪口の伝書鳩になります。真に受けて怒る先輩がいなかったから成り立ったことだし、本気の悪口や罵りは一切ありませんでした。

例えば「バッティングしょぼいからうんぬん」みたいなのも、バッティング能力に定評のある選手に向けられるのが常でした。

「誰かに言って来いって言われたんでしょ」って優しく返答してくれるから「そうなんすよ、うわ関係ないみたいな顔してるけど○○先輩が」みたいに会話ができる。

「じゃああいつには足臭いんでスパイク脱がないでもらえますかって言ってきて」みたいなお返事をすることもあります。

練習後ある程度足が臭いのはみんな一緒なのでこれも悪口に入りません。

ただただ、「からかい」や「失礼」というコミュニケーションの方法で、「誰にどんなセリフで話しかけるか」まで決められて、強制的に取らされるコミュニケーションの型があった、という話です。

窮屈だし、社会に押し広げて考えたり、見方によっては「パワハラ」と呼ばれても仕方ありません。

ただあの頃は嫌じゃなかった、問題にならなかった、誰も起こらなかった、それどころか、結果的にただでさえ話しかけにくい先輩と話をするきっかけになった。

もちろん、少しでも嫌だと感じる人がいれば「パワハラ」だったでしょう。しかし先輩方は本気で嫌がったり面白がらない人に強要することはありませんでした。

社会に浸透しているからかいのコミュニケーション

からかうコミュニケーションや、あえて失礼を働くコミュニケーションは、高校を卒業してからもそこかしこで見受けられました。

ちなみに、高校でも1年時にしかその手のコミュニケーションはとられませんでした。3年生が卒業すれば廃れた方法でした。詳しくは説明しませんが、良いのか悪いのか分からない変化でした。

からかいのコミュニケーションは、特に男性社会に多いの方法のようでした。

男性同士で軽口を叩くとき、男性が女性に好意を寄せるとき、「からかう」という方法はよく使われました。

目上の男性が目下の男性とコミュニケーションを取るとき、この方法ですっかり膠着している人もいました。それだけ鉄板の方法だなと納得しました。

コミュニケーションが上手な人は、不快にならない「からかい」を心得ているか、相手にカウンターを許す隙を作るようだと思いました。

失礼も同様で、相手を不快にしない失礼度合、失礼の間合いのようなものを心得ている人は、コミュニケーションが上手だと思いました。

良くも悪くもコミュニケーションを表層で留める手法

僕は僕で、そういうコミュニケーションが場に適用されれば、「そういうときの後輩」や「そういうときの新人」が取るコミュニケーションの型を引っ張り出しました。

これは高校時代に獲得したコミュニケーションの語法のようなものでした。

英語の授業で、ハウアーユーエブリワンって教師が言えば、アイムファインセンキュー、エンドユー?って返すって覚えたものを実地で使うような恥ずかしさがありました。

僕自身が「からかう」コミュニケーションを使うこともありました。ありましたしあります。

愛情表現として、と言いだすと独善的で危険ですが、愛でるものに意地悪したくなったりからかいたくなる心理というのはしっかりあると思います。

だからその愛情が同じ程度に相手に伝われば良いコミュニケーション法だし、実際に便利なコミュニケーション法ではあるけれど、何となく歳を重ねるにつれて劣化した方法のように思うようにもなりました。

高校時代は楽しかった。大学にいる頃は多用されすぎて恥ずかしかった。そして今は何となく物足りず、つまらないと感じることが多くなりました。

上辺のコミュニケーションには大いに使えるが、良くも悪くも、コミュニケーションを表層で留める手法なのかもしれない思うようになりました。

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