僕は小説をこういう風に書いた②始まりと終わりを決める

「僕は小説をこういう風に書いた」って過去形でタイトル書いているけど、正確にはまだ書き終わっていません。

むしろまだ数文字しか書き始めていないです。

本来なら「この小説」という感じで出来上がったものがあって、さあこれをどういう手順で作ったかというと~という風にやるべきなんだろうけど、作ってる最中を見せたいと思ったのでこういうコンテンツにすることにしました。

しかしこれ難しい。自分の頭の中で起こっていることを意識して整理するのは簡単ではなく、あまり順番に働いていないということが分かります。

しかし、だからこそ手順を整理してみるのは大事なのかもしれないと思う。漠然と、自己流でやっているから上達しないのかも、とも思ったわけです。

料理のレシピを書くような感じかもしれません。いつも目分量でやっているけど、砂糖は5g入れて、水は500CC でって自分で測ってメモすることで、あここが大事だったんだなとかそういうことが分かるようになるんじゃないだろうかと。そして人に伝えられるようになるかも。

内省、内観にお付き合いしてもらってる形になりますが、とにかく実験的にやってみます。

さて前回では、「誰が語られるか」、「誰が語るか」、「聞き手は誰か」を定めました。

2回目の今回は、物語の「始まり」と「終わり」を決めます。

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始まりを決める

なぜ「始まり」と「終わり」を決めるのでしょうか。

分かりません。

始まりを終わりを考えて小説を書いたことって今まで一度もない気がします。

でもどこかで始まりを決める瞬間はあるはずで、どこかで終わりを決める瞬間もあることも間違いない。いつも何となくでやっていたけれど、今回は意識的にやろうと思ったので、先に始まりと終わりを決めます。

はじまりで人に見せたいものはなんでしょうか。

「どこの話?」だと僕は思います。

「誰の話?」という側面もあると思いますが、まずは舞台。

そこがどんな場所なのかを分かってもらう。もちろん完璧にじゃなくても良いと思います。最初の一行は、とにかく話しが始まれば良い。

今回は過去の我が家。鉄工所が舞台なので、その様子を書きます。しかし、鉄工所だからといって工場から始まりません。

家の話でもあるので、家から始めます。その必然性はおそらくあるのだろうけど、今のところ分かりません。多分「家から工場」は場面転換がイメージしやすいけれど、「工場から家」だと混乱すると考えていると思います。その根拠は分かりません。

ちなみに一行目はできています。

「〇〇(親方の名前:未定)が起きればラジオが流れる。」

どこの話?と言いつつ、この一行じゃなんのこっちゃ分かりませんね。

次の文章も流れで書いてしまいます。

「居間の長押に据えてあるラジオのつまみを捻り、聞いているのだかいないのだから分からないほどにううむううむと唸りながら、〇〇はその場でしばらく、朝のニュースを聞いている(このとき流れているニュースはなんだろう)。」

ここで、とりあえず家だということは分かると思います。朝だということも。ところがこのラジオを聞いている人物が何者なのかはまだ明かされない。

赤字はメモです。何を聞いているのかは必ず重要な要素になります。時代を定め、その当時どんなことがニュースになっていたのかを調べるという取材の必要があるので、赤字で書いておきます。

我が家の朝はこうだったようです。ラジオは居間に置いてあるけれど、それをいじって良いのは親方だけだったので、ラジオの音で親方の起床を知るわけです。いじって良いのは親方だけというのも、別にそうと言われていたわけではなく、言わば「暗黙の了解」でした。

終わりを決める

終わりを決める。

始まりを決めてすぐ終わりを決めるなんて無理そうですが、とりあえず決めてしまいます。

変更する可能性はもちろんあるけれど、自分で着地点不明になるのは書いてからで良いと思います。書いて飛翔してみて、もちろん地に降りるつもりではいるけれど、どうなるかは分からない程度のつもりで終わりを決めます。

前回、「語られるのは誰か」を決めました。

「盗みを働いた弟子」を語られる人物にしました。

このお弟子さんは盗みを働いて出て行くというエピソードがあるのですが、これを探し連れ戻すことに決めるというところが一応の着地点です。

なぜ盗みを働いて出て行った人物を連れ戻そうとするのだろうか?と自問します。

それはきっと、「叩きなおす」という行為がいつも農具や山稼ぎの仕事に使う道具を文字通り叩きなおす鉄工所的であり、過去の鉄工所であれば「人の性根を叩きなおす」という言葉が機能的に扱えるのではないかと思ったから。

現代では丁稚制度や弟子制度というのはあまり一般的ではないと思います。職人の世界ではまだあることなのかもしれませんが、月々少額のお小遣いをもらって住み込みで仕事を覚えるというスタイルは古臭く感じる方が多いと思います。

しかし、少なくとも我が家の歴史で言えば、お弟子さんたちはやっと中学を出た頃の子どもであったりしました。今の工場長も15・6歳の頃にうちに来たと言います。

つまり、こういうところで仕事を覚えさせるというのは、教育の側面も併せ持っていたことになります。

そういう意味で、叩きなおすという言葉が機能的に働くと思い、盗みを働いて勝手に出て行った弟子を連れ戻すという決断を親方が下すところを一応の着地にしようと思いました。

同時並行作業「語彙を集める」

さてここで少し、取材の一環で、「語彙を集める」という作業も重要です。

前回も書きましたが、取材は常に行います。

鉄工所で使うのに相応しそうな言葉、日常で使っていただろう言葉を集めます。

鉄工所とその家で使う言葉の集合。そういった「語彙」を集めます。

方言はどの程度使っていただろう、兄弟子と弟弟子ではどんな言葉遣いでどんな話をしていただろう。また、鉄工所というより、鍛冶屋とか鍛冶仕事と言った方がしっくり来るとか、そういうこと。

それは眺めていくとテーマや話の方向性、雰囲気を定めるのに役立ちます。

「叩きなおす」が鍛冶屋独特の言葉というわけではありませんし言葉、セリフとして使うかどうかは分かりませんが、その行為自体はおかしくなく、自然なことに見せられるかもしれない。

今現在、例えば店長や工場長が部下やバイトを叩きなおすと言えば何様なの?という風に取られるかもしれませんが、ある状況下では感じ方が変わる可能性がある。

ここで「性根を叩きなおす」という言葉や行為が陽性なことと映るように話を作りたいという方針が芽生えてきます。

僕は小説をこういう風に書いた②始まりと終わりを決める(完)

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