私を中心に世界が拡がってるという認識の話。

「宇宙の中心はどこだ」という問題に対する答えは、「ここだ」と答えるのが正しいのだそうです。

最初はごく小さな光の塊だった宇宙は、ビックバンと呼ばれる大爆発により膨張をはじめ、その膨張は今もなお続いている。

つまり宇宙は広がり続けていて、僕らの地球はそんな宇宙の片隅で、いや、中心で、今日も元気に回っている。 

宇宙の広がりと僕らの頭の中が似ているって文章をいつか書いたけど、そもそも僕はこういう宇宙の話って好きなんです。

宇宙の拡がりと文明の拡がり/宇宙と頭の中は似ているという話。剣淵の夜、補足譚。

詳しい訳じゃないけど、認識を越え過ぎた領域の出来事でありながら、オカルトとは違って確実に存在する宇宙の不思議は考えると面白い(オカルトも大好きだけど)。

だからこの記事も、すごく暇なときに考える、取るに足らない妄想レベルの、宇宙と僕らの共通点の話です。

スポンサーリンク
スポンサードリンク

宇宙の拡がりと言葉の拡がり

僕らの言葉はある境界線を作ります。境界線を作るということはその外側を作ることになる。 

僕らが認識できること、つまり名前を付けることが可能なものだけが存在となり、その存在を確認すると必ずそれ以外、それ以上のものができる。

赤という名を付ければ、赤以外が自動的に生まれるのです。

宇宙だって同じように、僕らが観測できて、名前を付けられる星であれば確実に存在すると言えるけど、一つ名付け終わると、その外側はどうなってるのか、それ以外はどうなってるのかが気になるようになる。

宇宙の果てを仮に観測できるとして、その先はどうなっているのか。なにもないとはどういうことなのか。宇宙の始まりは?始まる前はどうだったの?

僕なんかだとこの辺でパニックになる。

だからこの話はこの辺にして、僕がまず話したいのは単純に言葉の広がり(つまり僕らの頭の中)と宇宙の広がりがすごく似ていて、だからこそ一人ひとりの頭の中は宇宙なのだということ。

 誰かの脳みその中の自分の脳みその中に誰かがいるという無限入れ子状態

僕らが普段宇宙だと思って見ている星空も、本当は「誰かの脳みそ」の内側から見た姿で、星の輝きはシナプスの発光かもしれない。

そしてその誰かも、僕らと同じようにまたどこかの宇宙を眺めてるかもしれない。

こう考えるとやはりパニックで、僕らは脳のニューロンの一本でしかないのか?僕らの命は神経の一本に走る閃光程度の儚い存在なのかと考える。そうするとちょっと怖くなります。

でもでも、怖いとか言ってないでもっとよく考えてみる。例えばその「誰かの脳みそ」っていうのが、たまたま僕らが今住んでいる地球の形をしているとする。つまり地球が一つの生命体なのです。

地球を一つの脳、生命体として考えたとき、人口が増え続けていること、同時に老化していくこと、ネットワークが繋がり、どんどん複雑な姿になりながらも情報の流れは迅速になり、なおかついくつもの矛盾をはらんでいたりすること。未知な部分がまだ多いことなどなど、僕らの脳みその働きと似ているところがたくさんある。

そのような姿を考えれば、脳みその発達と地球はすごく似ているなとやっぱり思ってしまう。

そして自分の頭の中もやはり神経細胞の一つにとっては大きな宇宙、いやせいぜい惑星の一つの姿かもしれない。宇宙は僕の目から映る地球の姿ということになる。

分かるかな。言葉で言ってもよく分からないかもしれないですね。でも全然雰囲気だけで書いてるし雰囲気だけで良いです。僕が妄想しているのは、宇宙は無限の入れ子構造になっているんじゃないかということ。

僕らも地球も宇宙も一つの脳みそで、一人分の生命体で、それぞれ下位の存在からは果てしなく広く拡がっているように見える。

難しいことはどうでも良くて、自分の頭の中に宇宙が一つあると考えるのも、自分は誰かの脳みその神経の一本だと考えることもできるよねという話がこの段落ではしたかった。 

 宇宙は全方向に広がっている

ともかく、どう考えるのも僕ら一人ひとりの自由です。

なぜなら、宇宙の中心はいつもここにあるから。

僕らが普通に認識している宇宙は今も膨張を続けていますが、そう聞くと、どこかに中心があり、そこを起点に、放射状に広がっていくイメージを持つ人もいると思います。

だけど真実は違って、僕らの宇宙はそれぞれの空間が全方向に広がっている。

だから、それぞれがそれぞれを中心にして、そこから風船をふわっと膨らませるように、互いの空間が同じように広がっている。

この説明が分かりにくければhuluで「ホーキング博士のジーニアス」のという番組があって、その中の「宇宙の始まりとは?」というエピソードがとても分かりやすかったので見てみたら良いんじゃないかなと思います。

何が言いたいかと言うと、僕らは誰しも、自分を中心に世界を広げているのだということです。 

宇宙の惑星だってそうです。地球が宇宙の中心ですか?と聞かれると、遠慮深い僕らは、もしくは卑屈な僕らは、いや地球なんか宇宙で言ったら超辺境の片田舎みたいなところにあるんでしょうどうせ、なんて言いたくなると思う。

だけど実際は、ここが中心なのです。僕らの地球もしくは太陽系を中心にして宇宙は広がっており、同時に、また別の銀河系を中心にして宇宙は広がっている。

宇宙のどの地点でも、その場を起点に、全方向に空間が広がるので、どの地点も中心なんです。

僕らはそれぞれが世界の中心

これって、僕ら一人ひとりの人間の世界観とすごく似ていると僕は思う。

どれだけ人のこと考えたって、人の立場に立ったって、その人の世界観をまるっと理解するのは不可能です。その人の世界の広がりや世界の認識をコピーするのは不可能で、少なからずある自分との共通点の中から、相手の立場を想像するしかない。

どの人の人間関係だってそう。ある人にとっては何でもない人でも、ある人にとっては大親友だったりする。ある人にとっては最愛の人でもある人にとっては軽蔑の対象だったりする。

人間関係はそれぞれの人を中心に広がっており、だけどどこがスタートという訳でもなく、この人から広がる人間関係、また別のこの人から広がる人間関係という、それぞれの拡がりをそれぞれが持っている。

これだけの違いや重なりやムラはあるけど、誰の認識もすべて正しい。

なぜなら、正解の中心はいつも誰にとっても「ここ」だから。

地球の常識と木星の常識が違うように、僕の常識とあなたの常識は違う。

衛星は一個に決まってるだろ?と僕らは思うけど、木星に住んでいれば、いや衛星なんて何個もあるだろうという話になる。そんな違いは当たり前である。

それでもまだ地球と木星ならマシな方で、少なくとも太陽を中心に回っているというような共通の部分もある。

僕らだってこんな感じですよね。普通こうだろうと考えてることが、ちょっとした他人からすれば恐ろしく非常識に感じたりして、それでも僕らは法律とか人間性とか愛とかそういう共通認識の部分で辛うじて同じ空間にいる。でも本質的に理解するなんて無理。全然

結局この記事で言いたいことはただただ、みんなが世界の中心なんだってことです。

ほんとだから何なのかという話じゃなくて、ただ「みんながそれぞれ世界の中心」っていう不思議な現象?が宇宙にはマジであって、だから僕らの認識している世界でも同じことが成り立ち得るよねということ。

僕らには優劣も上下もないってまるで理想論だけど、今日も拡がる大自然の親玉である宇宙がそんな理想を地でいってるんだから、それは理想ではなく自然だよねということ。

だから卑屈になる必要もなく、遠慮することもなく、自分の世界観を大事にしたいよね、みたいなことで、僕は過剰に人目を気にしてしまったり、人と比べてしまったとき、こういうことを考えることがある、というだけの話です。

私を中心に世界が拡がってるという認識の話。(完)

スポンサーリンク
スポンサードリンク