コミュニケーションには必ず目的がある/人を人と思わないおざなりな会話が人間関係の崩壊を招く

コミュニケーションには必ず目的がある。

誰かに「何か話をしよう」とするとき、もしくはもっと具体的に「○○の話をしよう」とするとき、必ずその会話内容以上の目的を持っている。

例えば、初対面の人と話をするとき、頭の中で考えるのは「気まずい空気を何とかしたい」、「友達になりたい」、「この人どんな人なんだろう(情報収集しなきゃ)」、「緊張をほぐしたい」などなどだと思います。

また、コミュニケーションは言葉だけでは成り立ちませんので、動作や目線や表情と言った情報も、僕らには意味のあるものです。むしろ僕らのコミュニケーションの80%だか90%だかは、言葉以外の情報によると言われています。

つまり言葉というものはかなり後付けの、オプションとも言うべきコミュニケーションツールで、実際は無意識に行われる話題の選択や動作にこそ多くの情報が含まれている。

「目は口ほどに物を言う」は本当に本当の話で、僕らは日ごろから表面上の会話以上の情報のやり取りをしている。だからこそ、表面だけ(言葉だけ)を取り繕った会話をすると相手にバレるし、ときには傷つけてしまうことだってあります。

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本当にあったおざなりな会話

表面だけを取り繕った、おざなりな会話で嫌な思いをしたことがあります。

これは友人の結婚式に出席したときの会場でのことで、そこでは新郎同様に久々に会った友人Aも出席していました。

そしてさらにそこにはAの以前の交際相手がいたのです。

Aは彼女の存在に気まずさを感じたらしく、彼女が側を通るタイミングで慌てて、たまたま近くにいた僕に話かけてきました。

このとき、Aのコミュニケーションの目的は「元カノを避ける」というものでしたから、僕との会話に興味がある訳ではありません。

僕は一連のAの様子が目に入っていたので、気まずさが分かり、会話に付き合うことにしました。

しかし、やはりAは僕のことにも僕の話す内容にもまったく興味はない様子です。顔も体もこっちを向いてはいるものの、意識が元の交際相手の方に向いているのが分かるのです。

僕は何となく馬鹿々々しくなって、彼の適当な質問に輪をかけた適当な返事をしました。まったく文脈に沿わない返事をしたので、もう一つ二つ質問をしなければ意味が分からなかったはずです。

そのとき、Aの元交際相手が披露宴会場に向かいます。その姿が横目に見えていたということは、Aも当然そのことに気づいているはず。

するとAは「まあ、そうだよね。じゃあ」と言って僕の隣の席を立ちました。

やっぱり聞いてないよね、と思いました。

おざなりな会話で僕が悲しい気分になったことは気付かない

こんなことはよくあるだろうし、僕だって少なからずこのような振る舞いをしたことがあるかもしれませんが、Aのやり方はあまりにも露骨で、あまりにも失礼だと感じました。

少なくとも、ここでこういう風に書く程度には根に持っているということですし、僕はこんなに興味を持たれないのかとショックを受けたことをよく覚えています。

人に興味を持たれるような人間ではないという点は認めなければなりません。だからその辺りのプライドが傷ついたということはないと思います。

しかし、まるで物のように扱われたのにはプライドが傷つきました。物で良いのであれば、スマホでもいじってればよかったじゃないかと思いました。

あそこまで露骨に用済みだという扱いをされれば悲しい気持ちにもなります。

恐ろしいのは、Aは僕を怒らせたり、悲しい気分にさせたことにまったく気づいていないだろうことです。

「話を聞かない 人」で検索してくる人が毎日います

日常でも、こんなことはよくあります。

ここまで文句を言っておいて何ですが、僕だってやっぱり人を人だと思わないような、おざなりな会話をすることはあるように思います。やっぱり自覚はないけど。

特に家族や親しい人であればその頻度は高まるのではないでしょうか。

このブログには「話を聞かない人」や「男 話を聞かない」や「話 伝わらない」などのキーワードを検索して訪れる方がよくいらっしゃいます。

なぜあの人には話が伝わらないのか/男性脳の特徴

話を聞かない人がやっていること/『自分の小さな箱から脱出する方法』の紹介

よく、というか、毎日毎日コンスタントにいらっしゃいます。

ああこんなに世の中には自分の話が聞かれていない、関心が寄せられていないと感じる人がいるんだなと思うにつけ、コミュニケーションは本当に難しいんだな、コミュニケーション不全は大きな問題だなと痛感します。(だからこのブログでは、「コミュニティ」とか、自分の気持ちや思考を伝える工夫であるところの「創作」をテーマの中心にしています)

なぜ文明は崩壊するのか。なぜ夫婦やカップルの関係は破綻するのか。きっと原因は同じだ。

コミュニケーション不全は怖い病気

ケンカをしたり、言い合ったりするのはまだコミュニケーションが成立しているから良いのです。多少醜いかもしれませんが、お互いの目的がお互いに向いている。

しかし、一方が自分の目的だけのために人を使うようなことをするとコミュニケーションは成立せず、コミュニティは崩壊します。

例えば僕はAの文句をここに書きましたが、今後直接本人に文句を言うことはないと思います。失礼なヤツだという印象を持ったままなので、もう友達じゃないとまでは言わないにしても、僕から積極的に関わることはないと思います。

これも、僕が一方的にコミュニケーションを放棄したことによって起ったコミュニティ(友人関係)の崩壊という一つの形ではないでしょうか。

あのとき直接怒っていれば謝ってくれたかもしれませんし、完全に僕の勘違い(被害妄想)だったかもしれないし、単純に僕がキモ過ぎたのかもしれず、つまりAには全く非がなかったかもしれないのです。

つまり、どちらか一方がコミュニケーションを放棄した途端に、コミュニティは崩壊するのです。

はじめから相手のレスポンスに関心がないおざなりな会話は危険。コミュニケーションの不全には気付かないまま、自覚症状がないまま、コミュニティの崩壊を招くことになるからです。

なんか、気付いたときにはもう手遅れって、末期になるまで無症状の病気みたいで怖いですよね。こういうパターンって熟年離婚に多いのかもしれないですね。

コミュニケーションには必ず目的がある/人を人と思わないおざなりな会話が人間関係の崩壊を招く(完)

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