ワーホリ中の根無し草だった半年間、ぼくは自分のまちのことをばかり考えていた

「理由があれば人はどこにでも行くんだ」と感じたのは、オーストラリアのある小さな町に降りた夜のことでした。

PM8:00。

閑静なまちで、明かりがあまりない。夜道を歩きながら、ここは田舎だなあと思いました。

ブリズベンという都市からバスで2時間(60A$=当時5,000円くらい)もかけて来たまちだったのです。体感的にも、ずいぶん郊外に来ちゃったなあという感じでした。

夜の9時前には人の気配がしない町。宿に向かう途中にバーがあったし、歩いて行けるところに大きなスーパー(ウールワース)もあるのだから、人口1200人くらいしかいない田舎町出身の僕に田舎だなんて言われる筋合いはないと思うけど、田舎には違いありませんでした。

そのまちはスタンソープというところで、後から聞くと人口は3000人だか4000人くらいしかいない、ファーマーがたくさんいる地域なのだそうです。

ファームがたくさんあるのでピッキングの仕事を求める旅人の間では有名な土地らしく、ここを訪れる旅人は多いのだとか。

だけど、後で書くけど当時僕そんなことは知らず、流れでこの土地にたどり着いたものだから、ウールワースに入って驚きました。閉店間際だと言うのに、店内には若い人がたくさんです。

「うえ?なんでこんなに人いんの?」って思ったけど平静を装い、「ああ、これは日本の田舎では見られない光景だなあ」とちょっと旅慣れた風に感想を修正して、それから、どうやらみんな僕と同じでここに働きに来たらしいことを悟ります。

僕はこのとき考えた。

どうして僕のまちに人が来ない(来る気配も無い)のに、このまちには人が来るのか。

簡単でした。仕事があるからです。

「理由さえあれば人はどこまでも行くもんなんだなあ」

と、なんの事前情報も持たない僕は思ったのでした。

「じゃあ、僕のまちにも訪れる理由があれば…」

仕事?仕事があればまちは賑わうのか?

オーストラリアにいる間、何かにつけて考えていたのは、僕のまちのことでした。

※当時の写真のっけるけどあんまり本文と関わりはありません。

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初心に帰って、まちづくりを考える

今日は、たまにある初心に帰りたくなる日です。

断片的な思い出話を書きなぐるだけですが、あの時間は「まちづくりを考える軸」になってるなあと思うので、「まちづくり」について、自分語りではありますし長くなるかもしれませんが、興味のある人がいれば付き合ってもらえたらと思います。

舞台はオーストラリアです。僕は全然旅人気質ではないどころか超インドア体質だけど、ワーキングホリデー制度を使って、オーストラリアで10カ月(正月付近に一時帰国しました)ほど暮らしていました。

その間、ホームと呼べるようなところに落ち着いて住んでいたのは、シドニーにいる間の後半5か月間ほど。残りの前半5カ月くらいは根無し草という感じで、色々なところを転々としていました。

大雑把に言えば、まず東海岸沿いにあるゴールドコーストに降りて、次に少し南に下ってブリズベンの方へ(スタンソープに行ったのはこの頃)、それから一気に西のパースという街に行きました。

根無し草と言えば若干ワイルドな印象もあるかもしれないけど、僕はインドアな人間ですから、落ち着き場所が無いというのは本当に落ち着きませんで、基本的にいつも疲れてました。

疲れてたはいたんだけど、たくさん歩かなきゃ、色々見なきゃという気持ちが強く、何かに突き動かされるようにして、無計画に旅をしました。

そういう無鉄砲さを経験しなければという強迫観念があったし、そういうことができる自分なんだぞという虚勢を張りたかったのです。オーストラリアであればそれができそうだという舐めた意識もありました。

そんな感じで衝動的に、地名もろくに読めないまま(あえて何も調べないまま)適当な電車のチケットを買って、適当なところで降りるを繰り返し、地図に行った場所の印をつけて、一丁前に旅をしている気になってる時期もありました。

そんな自分に満足もしていたけれど、でも心のどこかで、北海道のまちに限定したって行ったことないところの方が多いのに、僕は何をやってるんだろうという気持ちもありました。こんなことして北海道に帰ってどうするんだろうという気持ち。

地図を見ながら、オーストラリアでここからここまで移動するのには全然抵抗が無いのに、こんなに小さい北海道内をろくに移動して歩いたことが無いのはどういうわけだろうと不思議に思ったりしました。

こんな風にぼんやりとではありますが、僕は海外を歩きながら、故郷のことを考えていたのです。

オーストラリアでは、困っても良いと思っていた

でたらめに歩いていると、当然の如くトラブルが発生します。適当におりたまちに仕事が無い、手頃な宿が無い、宿が無いのに電車も無い、宿があってもお金が無い。

路頭に迷うという経験(思えば半ば意識的にではありましたが)をして、安い宿を訪ねて色々な人に話を聞く。人のよさそうな人に声をかけて、するとたいていの人は親切に教えてくれるけどただのたらいまわしだったり、全然部屋空いてなかったりでうまくいかない。

だから非常に馬鹿々々しい話ではあるけど、ただひたすら無目的に歩いて体力を削るような日がけっこうありました。

日本ではこんなこと恥ずかしいし無謀な感じがして(僕には)なかなかできないのに、どうして海外ではこんなことをしようと思うのでしょうか。きっと「海外の放浪の旅」というイメージ上のパッケージをなぞって、適度にそれらしいことをしようとしていたに違いありません。

迷ったり、困ったりする道を、半ば意識的に選んでいたに違いありません。

実際、困っていると助けてくれる人はたくさんいました。

例えば炎天下のまちでは、歩いていると「こんなに暑いのに帽子もかぶらないで歩いてたらダメでしょ」っておばさんに叱られて、車にお家に連れていってもらい、帽子をくれました。自分の帽子をなくしたばかりで脳天がジリジリしてたので、本当にありがたかった。

また別の町では、宿がどうしても見つからず夜に歩いていると、「迷ってるの?」と声をかけてくれた人がいました。

そこはあるジムの前で、僕は喉が渇いていて、開け放たれたジムの裏口から中に自販機があるのが見えたので、入って飲み物を買おうかどうか迷ってるところでした。

声をかけてくれたのは娘さんのクラブ活動のお迎えに来ていたお母さんらしく、家にはお父さんと息子さんがいて、急な夜中の訪問だと言うのに快く迎えてくれたばかりか、その日と、その次の日も泊めてくれました。

忘れられない親切、困っている人がいると助けてくれる国。

もちろんこんなことがあったからというだけではありませんが、僕はオーストラリアが大好きになったし、こういう経験が蓄積していくことで、旅はどんどん安心になっていきました。

家に連れて行ってもらう道々、「助けてくれてありがとう。でもどうしてこんなに親切にしてくれるんですか?僕怪しくないですか?」と聞きました。

「んー、分かんないけど、多分私が助けなくても、誰かがあなたを助けたよ」とお母さんは言いました。

えっ、と思いました。誰かが助けると思うんなら、なおさら放っておくもんじゃないのか。

どうせ誰かが助けるんだろうけど、じゃあ私が引き受けようって、どうして思うのか。

個人の性格の問題なのか、それとも、お国柄ってやつなのか。

いずれにせよ僕にとってはこの会話が新鮮な感じがして、「日本もこうなれば良いのに」って思いました。

ちなみに、冒頭のスタンソープ行きのチケットを買ってくれたのもこの家のお父さんでした。

僕はただ、「ブリズベンからバスに乗れば良いから」という言葉を頼りにそこに向かっただけだった。

親切にしたり、されたりする理由

こんな話をしておいてなんだけど、オーストラリアの人は日本人と違って親切だとかフレンドリーだとか言いたいわけではありません。

当時は外国はすごいなって思ったけど、よく考えてみると不親切もたくさん受けたし、僕だけのわずかな経験値でお国柄を普遍化して捉えようとするのは違うなとあとから思いました。

冒頭の方で「そこに行く理由があれば人はどこにでも行く」と書きましたが、普遍的な要素があるとすれば、何にせよ僕たちには理由が必要なんだということです。

つまり、「人に親切にするにも理由がいる」ということ。

僕はあのとき、「明らかな旅行者」で、「明らかに迷ってた」からこそ声をかけられたのだと思います。多分僕が大きなリュックを背負ってなかったら、声かけられなかったんじゃないかなと思ってる。

あと、僕の方も「英語が稚拙だったこと」とか「お金が普通になかったこと」など、助けられる理由を持っていたから助けられた。それだけのことかもしれません。それに加えて、自分で言うのもなんだけど、「悪そうな人には見えなかった」んだと思います。

でも、助けてくれたお母さんと話してるうち、もしかしたら日本の方が人に親切をするにも、親切にされるにも「がちっとした正当な理由」を必要とする傾向にはあるのではないかと思ったんです。

例えば、電車の中などで妊婦さんやお年寄りに席を譲るのも難しいことがあると思います。自分からちょっと離れてるからわざわざ立ってあそこの席どうぞとか言えば、近くに座っていた人が罪悪感を抱いてしまうんじゃないだろうかとか、実は妊婦さんでもお年寄りでもなく、席を譲ることで不愉快な思いをさせたらどうしようとか、そういう細かな障害が邪魔をして、親切を働けないことがある。

だけど自分の目の前に、マタニティマークを付けていたり、杖をついていたりする人が現れたらどうだろう。迷わず席を譲ることができると思う。

助けを必要としている、親切を求めているという様子がちゃんと分からなければ、人は人を助けるにも助けられない。これは優しさとか善良さとはまた別の話だと思います。

んーでも、うまく書けないんだけども、日本では特にこういった善性を発揮したり、弱みを見せたりするに足る理由は意識的に作るべきなんじゃないかなと当時思いました。

まちでも。

結局何が言いたいのか。

かなり迂遠な書き方をしているようだけど、僕はオーストラリアで歩きながら、考えるともなく「まちづくり」について考えていました。

「理由があれば人はどこにでも行く」

「人は理由がなければ動けない」

同じ話を別々のエピソードで実感したのです。

じゃあ、僕の町に来る人はどんな理由なら来てくれるだろうか。

逆にどんな理由で来る人ならば、自然にまちに溶け込めて、コミュニケートできるだろうか。

これはなかなか難しい問題で、多分多くの地域では「仕事」とか「観光」が必要だと考えるのだと思う。確かにそう。それは否定できない。

でも僕のまちには仕事も観光地になりそうなものもないんだよね。

「無いってあんた…、仕事はともかく、観光名所になりそうなところは探せばあるでしょう、ブログ書いてるならそういうの発信して人を呼びなさいよ、この役立たずが」って誰かに言われるんじゃないかってビクビクしてるんだけど、僕個人的にはただ人を呼びたいんじゃなくて、コミュニケーションを取りたいんですよね。

コミュニケーションというと語弊があるかもしれないけれど、来た人を異邦人扱いするのではなく、一時的にでも地域のメンバーとして接したい。いやなんていえば良いかな。仲間みたいな感じでワイワイしたいと言ってるのではなく、疎外感を与えたくないという感じです。

ヨソモノを見る目って嫌なものだし、地域に溶け込めてる感覚とか受け入れられてる感覚って気配で感じるものだから、そういうのが無い空気を作りたいなと。

正確には、ぼくのまちにも訪れる理由を持った人はいます。

士別市は合宿の里ですから、スキーヤーとか陸上選手はよく来てくれるようです。だからそういう人がまちを歩いていても全然おかしくない。誰も不審な顔をしない。

でもそれだけで良いんだろうか?もっと別の理由を持った人が、この町を訪れる余地が必要なんじゃないだろうか。「多様性を受け入れる」というヤツが必要なんじゃなかろうか。

だからそんな多様性の一側面となるために、僕ならどんな人になら親切ができて、僕はどんな人に親切にしてもらいたいと考えているかを、よく知ってもらえたらなと思う。

で、このまちにはツカダがいるからこんな弱みを持って行って大丈夫、自分にはそこに行くにたる理由があるのだという安心感があれば、なんか、良い感じなんじゃないかなと思ってる。

例えば、これは今考えてることだけど、僕は小説家とかになりたい人なんかを応援したい。僕も小説書くし。小説書きたい気持ちと、小説じゃ日の目を見ない、読んでもらえないって気持ちがあって怖いですよね、怖くないですか。僕は怖い。

だからそういう活動を楽しんで続けるために、読んで感想を言ったり、ブレストの相手になったり、テーマ探しを手伝ったり、体力づくりを手伝ったり、瞑想できる場所に置き去りにしてあげたりできると思う。田舎で集中的に書くのって良いよ。

オーストラリアで引きこもり。旅のノートは小説のプロットでいっぱいだった

こうして何か創造する手助けすることでかすかにでも人が来て、それがまちづくりになるのなら、僕は助けられもする。というか僕が助けられたいと思ってる。

困ってるよー助けてよーって言うのは恥ずかしいし悟られないようにするものだと思うけど、人に分かるように困らなきゃ、人は人のために動けないというのはあると思うから、ここにこうして書いておく。読んでくれる人いるかな。

↓こちらも同じようなことが書いてある

他人のことを考えるフリして自分のことばかり考えるバカ、まちづくりと文学を考える

助けられることを自分に許せる環境

僕がオーストラリアで必要以上に自分を追い込んで、困った状況に自分を置くことができたのは、そこが海外だったからです。

僕はオーストラリアなら、お金が全然なくても、道に迷っても、人に迷惑かけても大丈夫だってなんか思ってた。全然変じゃないと思ってたし、むしろ困らない方がかっこ悪いくらいに思ってた。僕は異邦人なんだし、言葉も不自由だし、困って当然というメンタリティがあったから、助けられることができたと思ってる。

あんまり褒められたことではないかもだけど。

でもその結果、なんだか濃ゆい経験ができたし、オーストラリアの人は親切だなあ!と反射的に思ってしまうほどの親切を受け取ることができた気がする。オーストラリアは良い国だなあと思えて、それから、何をするにも安心できるようになった。

これを自分のまちで応用できないかなと考えたのです。

その後家探しするのも、職探しするのも、困って良いのだ、助けられて良いのだと自分に許すことで迷わず行動にうつせたし、周りの人も助けられるようになっていたんじゃないだろうか。

うまくやらなきゃとか、失敗できないと思うと窮屈だけど、まあ最悪どこかで助けてもらえるでしょって思うと楽になる。そんな風にナチュラルに楽観的になれる環境は、逆説的な話ではあるけど、何かをやり遂げたいと強く思うときには必要だと思う。

当時、多くの人に助けられながらなんとなーくこういうことを考えて、もしかしたら日本には、僕のまちには、隙と言えばおかしいかもしれないけど、他人がふいに足を踏み入れて場所に溶け込むことを許す設定が無いんじゃないかって思ったのです。

仕事とか観光地とかより、そういった設定の方が長い目で見れば大事なんじゃないかと思ったのでした。

長かったのに漠然とした話ですみません。当時考えたのはこんな感じで、今は「じゃあ僕はどんな人になら親切にできるかな、どんな人に安心感を与えられるかな、それが僕のまちづくりなんじゃないかな」と考えてるところです。

僕は単に人を呼びたいのではなく、人が増えれば良いと思っているのではなく、訪れる人に自分のまちを好きになって欲しいと思っています。移住とかそういうの関係なく、遠くからでもこの場所を大切に思ってくれるような人が増えれば良いと思う。

僕がいまでもオーストラリア大好きなように、一度ここに訪れた人が、自分の家に帰ってからあそこは良いところだった、たくさん親切にしてもらったって思う人が増えたら良いと思う。

ワーホリ中の根無し草だった半年間、ぼくは自分のまちのことをばかり考えていた(完)

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