今を生きるための文章。未来のあなたのための文章。

僕らには「今」を生きているときと、「少し未来」を生きているときがある。

ふつうこう並べれば、「今」を生きているときの方が良い感じがするけれど、現実はちょっと違います。

僕らが上手に生きるには、少なからず未来のことを考えなければならない。

後先を考えて行動するからこそ、僕らは計画を立て、目標を立て、理想的な状況に自分を導くことができる。プラン・ドゥー・シー、試行錯誤。そのはじめには「未来を予測する」という作業がある。

なにより上手に未来のことを考えることができる人こそが「成功」するんだろう。

それに対して、今のことしか考えてない行動は蔑視されると言えば言い過ぎかもしれないけど、賞賛はされないです。今が良ければそれで良いのか、生産性の無いことをするな、後で後悔してもしらないよ。そんなことを言われます。

なんでこんな言われ方をしなければならないのかと言うと、今を生きるのは簡単だからだと思います。将来的になんの役にも立たないことをすればよいのです。もしくは未来に役に立つだろうことをしなければよいのです。娯楽がほとんどそうです。

未来のことを考えるのは脳みそ的に多分かなりの負担で、多くのイマジネーションが必要になる一方で、今を生きるのはとても楽。好きなアニメならずーっと見てられるような気がするし、温泉旅行やテーマパークにはずっといたいと思う。

文章を読んでるときはどうだろう。当然どちらの側面もある。未来の自分のために読む文章もあれば、今の自分を満たすための文章もある。どっちが良いというわけではありません。なににつけてもそうだけど、バランスが重要なんでしょう。

あなたがあるブログ記事をクリックしようと思ったとき、何を考えているだろう。

今の自分を満たせそうだからそれを読むのか、未来の自分に役立ちそうだからそれを読むのか。多分無意識のうちに峻別していると思う。

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直接幸せになるか、あとで幸せになるか

例を挙げるとなると難しいんだけど、例えば

「いつもニコニコラテン女性の知り合いがいるんだけど、ジョークセンスの無さに驚愕した」

「日本語教室に遅刻したラテン女性の対応に目から鱗!ポジティブな人間はこうやってチャンスを掴む」

この二つ、上はただちょっと面白かった実体験みたいな感じだけど、下のは「学び」がある感じがすると思う。適切かどうかは自信ないけど言いたいことは分かってもらえるでしょ?

ちなみになんでこれを例に挙げたかと言うと、先週、下の記事を書こうと思ってやめたからです。こういう形で供養しようと思う。

で、上の記事をクリックするとしたら、多分その記事を読んでる時間が少しハッピーなら良くて、言わば娯楽で読むと思う。

あんま役には立たなそうだけど、何となく、いつも機嫌良いラテン女性だからこそ「無理に笑わせたり笑ったりする必要がない故のジョークセンスのなさ」って目に浮かぶ感じがしてほほえましいじゃないですか。

そういう予測も「ちょっとハッピーな気分の自分」という近未来を考えているには違いないんだけど、わりと「読んでる時間」と「価値を受け取っている時間」のズレが少ない。

一方下の記事を読もうと思うときは、「ネガティブに物事を考えちゃう人がポジティブシンキングを身に付けたい」、もっと言うと、「ネガティブに考えてしまうことがイマイチ人生が楽しくない原因で、これを解消しポジティブシンキングを獲得すれば人生が好転する気がしてる人」がその予測を肯定する内容を求めてクリックするんだと思う。

実際に書くとしたら、そういう人を想定して書く。

つまり下の記事を読む人は、読んでるその時間じゃなくて、読み終わった後の自分に何かを期待している。これは今その文章を読んでいながらにして、既に未来を生きている。

ちゃんと幸せになろうとした方が幸せになる確率が下がる?

ここまで書いてて面白いなーって思ったんだけど、仮に今あまりハッピーじゃない人がいるとして、上に上げた二つの記事を目の当たりにするとします。

「いつもニコニコラテン女性の知り合いがいるんだけど、ジョークセンスの無さに驚愕した」

「日本語教室に遅刻したラテン女性の対応に目から鱗!ポジティブな人間はこうやってチャンスを掴む」

これでどちらを選ぶかで、ハッピーになる確率って違うと思う。あ、上の文章は内容がめちゃくちゃ面白くて、下の文章はめちゃくちゃ役に立つ内容ということとします。こととします。

あまりハッピーじゃない原因ってのがいっぱいあるから一概には言えないんだけど、まあ適当に考えてもらうとして、とにかくなんとなく今ハッピーじゃなくて、この気分をどうにかしたいというのであれば、素直に上の記事を選べば良いと思うんだよね。めちゃくちゃ面白いんだから。

でも、今こうなっている気分にも原因があって、つまり過去があっての今、そして今があっての未来っていう風に考えてしまう人は、下の記事を選ぶんだと思う。

ハッピーになるにも手続きが必要で、条件が必要で、それを満たせばハッピーになれる、逆に言えば、ハッピーになる条件が揃ってないもしくは足りないからこそ、私は今あまり気分が良くないんだと考える。

そうやって下の記事を選んで、「まっとうにハッピー」になろうとする。面白い文章読んで直接ハッピーになれば良いのに、「ちゃんとハッピー」になろうとする。

こういうネガティブともポジティブとも違う、神経質な思考ってみんな持ってると思うんだよね。で、それがハッピーになる確率を逆に下げる場面がけっこうあるんじゃないか。

これ面白いですよね。だって、ちゃんと未来のあなたのためになることを考えて書かれた文章なのに、それが条件付きで、手続き的であるが故に、成功・不成功が生まれ、正解・不正解が生まれ、不成功や不正解が生じた分、ちゃんとハッピーになれる確率が下がるのだから。

しかもちゃんと未来のことを考えたあなたの方が、ハッピーになるまでに時間がかかり、しかもその成功確率を下げてしまう。なんて皮肉だ。

「手続き的な幸せ」で溢れた社会

僕らはみんなちょっとマゾだから、苦しいことをした方がなんか良い気がしますよね。苦しさは報われるという気がする。

しかもただ楽しいだけ、ただ気持ちいいだけって状態にはなんか罪悪感を抱いてしまう。

頑張ったから、いろいろ溜まってるから、普段我慢してるから「今は楽しんで良い」みたいに考えてしまう。

そしてなぜか、未来をハッピーにするためにも、今は頑張って、我慢して、苦労しなければならないと考えてしまうし、なぜかそういう手続きを踏まえなければハッピーになれないと考えてしまう。

刹那的に生きる人を軽蔑し、享楽に耽る人間を見下し、まっとうに生きて、まっとうにハッピーになろうとする。それは正しいし、うまく行けば楽しいのかもしれないけれど、うまくいかなかったときが辛いよね。

うまく行かなかったことにも原因があるんだろうか。まっとうに生きようと思って、あらゆる条件をクリアして、それでも思ったようにならなかったとき、そこにも原因を見つけようとする。

すると「を引き付ける会話術」とか「男にも愛嬌が必要な時代」とか「弱みを見せれば人は変わる」とかそういう人格的な領域まで手続きやスキルで支配されるようになる。

予約制のハッピー

「予約制のハッピー」みたいなのが多い気がします。

大人になるに従ってそう感じる度合いが大きくなってきました。

ただ良い気分になるにも、ただ楽しむにしても、ちゃんと早めに電話なり問い合わせして、席の確認して、お金払って、時間通りに指定された場所に行けばハッピーになる権利がありますよ、みたいなことが、人生全体で起こっているような気がする。

幸せになりたければ何歳までに結婚しろとか、転職するなら早い方が良いとか、自分のメディア持っておいた方が良いとか、20代のうちに「好き」を見つけようとか、そんな手続きで溢れている。

もし望み通りハッピーになれなかったなら、その手続きのどこかで怠惰だったか遅かったか運が悪かったか、まあいずれにせよ自己責任ですよね、ちゃんとしなかったからですよねっていう空気があると思う。

まさか。ちゃんとやろうとすればするほど、まっとうにやろうとすればするほど、未来を信じ、人間的に幸せになろうと考えれば考えるほど、その実現可能性は下がっていく。統計があるわけでもないし論理的に説明することもできないけど、感覚的にそう思う。

幸せになれないのとはちょっと違うな、幸せにはなれるんだろうけど、一体いつ幸せになるために生きてるんだろう?って気持ちになる。

ときにはなんも考えんとアニメ全話いっき見したりした方が確実なんだけど、幸せにも対価が付き物だって信じてて手軽な楽を享受してしまうと「ダメ人間だ―」とか思っちゃうんですよね。

ちなみに僕今月『進撃の巨人』いっき見したよ。多聞に漏れず複雑な気持ちになったけどめちゃくちゃ面白かったよ。

でも、「だから今を生きろ」とか、「直接幸せになろう」とかさ、そういうメッセージだって誰かの未来のためにあるわけで、手続きの一つ、ちょっとした人生のコツの一つになってしまったら結局、「時代に合わせて保険を見直しましょう」って言ってるのと一緒なんですよね。

今までもこういうことは定期的に書いてきてて、はじめは

モモを読む/現代の必読書『モモ』に学ぶ自分だけの時間の見つめ方

そのあとは

今、ここにしか価値はない。今のために今やるを死ぬまでやる

みたいなのを書いてる。

同じ人が書いてるんだから主張はほとんど同じはずなんだけど、最近はそういってる自分は誰に向けて書いてるの?今読んでくれてる人?未来に生きている人?という曖昧さが気味悪いというか面白いというか、このブログはぐちゃぐちゃでどっちつかずで、そういうところが良いなと自分では思ってる。

でも最近では特に明確に、「未来に生きる人」に向けたものはあまり書きたくないって気持ちが大きくなってきた気がする。

そういう文章が間違ってるとかじゃなくてバランスの問題で、個人的に世の中は手続きと予定で埋め尽くされているなーと感じるからこそ、このブログはなんかこう、夜眠れなくて悶々としたときにとにかく活字を追いたい、そんでいつの間にか寝てたい、みたいな人に読んでもらえたら良いなと、最近では

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