時間や場所にとらわれず気分と感性で所在地を選ぶ人にとって、この地域は魅力があるだろうか?という視点

夏休み開始からお盆にかけて、僕が住む朝日町もなんとなく、そこはかとなく、人口密度が増えたような気がします。

お盆を過ぎると例年通り急激な温度の変化。温度というより、空気の組成がガラッと変わる気がしますよね。

同級生もちらほら帰ってきてたり、知らないうちに帰ってきてた様子なんですけど、ふと思ったのは、みんな、時間や場所にとらわれない生き方をしていたら、もっとこのまちに帰ってくるんだろうか?ということです。

とは言えその答えにはあまり関心がありません。

本当に考えたいのは、「時間にも場所にも捉われない人が今後どんどん増えて行く」と仮定したとき、「この町は人が立ち寄るような魅力があるだろうか?」ということなのです。

地元の人でさえ、お盆にでもならなければ帰ってこないような町に未来はあるか?です。

いやだって、しょうがないよ、みんな仕事あるし、家庭あるし、盆や正月でもない限り帰ってこれないでしょ。独り立ちしたら実家とは言え親の家だし、心からくつろげるわけでもない。

そうなんですよね。それはもちろん分かる。だから同級生がどうこうより、世の中の、時間や場所にとらわれずに生きている人はどうだろう、ということなのです。

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場所を選ばすに仕事ができる人が増えていくのは必然だと思う。その上で、この町は誰かが来るところだろうか

場所を選ばすに生活できる人、仕事ができる人が、今後どんどん増えていくと思います。

若くしてフリーランス生活をしている人が増えている印象もあるし、クリエイターの活躍の幅も増えていくでしょう。パソコン一台あればとりあえず仕事はできるという人は今や珍しくない。

職場に生活圏を限定されて、仕事に休みや自由な時間を設定される人間は今後どんどん減り、明日どこにいても良い人、来週どこにいるか分からない人というのは増えるに違いありません。

もちろんそういう生き方を好まない人もかなりいるだろうからそっちが主流になるとは言わないけど、仕事量も休みも自分でコントロールしたいよ、という欲求に対して、現代社会は充分なソリューションを生み出しつつある。

その事実について考えた上で、人口減少に悩む地域、活気が乏しい地域はどんな地域にしていくかを考えなければならないと思うのです。

今後、利害や義務ではなく、好き嫌いで所在地を決める人が増えるのも必然だと思う

場所を選ばなくて良いというのは、言い換えればその人たちを留めるのは利害や義理でもなく、単純に「好き嫌い」なんだってことです。

極端なことを言えば、今後、田舎に若者がいない理由は単純に好きじゃないから、の一点になる。「好きがないから」と言っても良いかもしれません。

今は仕事がないからとか娯楽がないからとかそういう「自分とは関係ない領域における、需要に対する供給不足」を言い訳にできるけど、今後この言い訳が通用しなくなる。

だって、同じように時代の流れで、時間や場所を選ばずに仕事ができる人が増えるのだから。娯楽だってスマホの中にいっぱい詰まってるし。

人がいないということは、単純にこの地域を好きな人がいなくて、魅力がないから人が来ないという現実を見なければならなくなる。

単純に好き嫌いだけというのは乱暴かもしれないけれど

いや、全体的な人口が減ってるんだからそれはあまりに極端な言い方じゃない?

もし家庭を持つなら病院とか学校とかの立地や質が重要だから、単純に魅力がないというのは乱暴でしょう?

あと、もうリタイアした世代の方たちだって言うなればあまり時間や場所にとらわれないと思うけど、そういう人たちにとってアクセスの便利さとかの事情もあるでしょう?

確かにその通りだと思います。

人がそこへ行く理由が、純粋に好き嫌いだけになるとはまだ考えにくい。

だけどそういう風に主観で世の中を見て、においを感じて、時間を使う場所を探す人が増えるとき。

言うなれば「需要と供給」よりも「気分と感性」で動く人が増えたとき。待ち受ける側の僕らが「自分の地域の見方」をアップデートしないのは危険だ、と思うわけです。

もしくは「自分の地域の見せ方」のようなものを。

そのアップデートの一つとして、「この地域には好きがないんじゃないか?人の感性に響くものが無いんじゃないか?」という視点は必要だと思うのです。

好きなものごとを棚卸する。定期的に

漠然とした誰かの「好き」を求めればきっと迷子になります。奥が深すぎるし、それは「フリ」で何とかなる代物でもなさそう。

また、人間ってのはわがままなもので、自分で好きじゃないところばっかり褒められたり認められたりしてもそんなに嬉しくないんですよね。

意外な長所を褒められて嬉しいとか、自分の強みを知れて嬉しいみたいなことはあるかもだけど、それはどちらかと言えば「需要と供給の世界」の話で、「気分と感性の世界」の話じゃない気がする。僕は。

だから僕は僕の好ましさを指針にして、僕の周辺はどんな姿にしようかを考えていくしかないんだよなと思うわけです。僕の生き方は、僕の存在は、僕はこう生きるのが好きなんだと伝えていかねばと思うのです。

定期的にこんな風に考えては、僕が好きなモノゴトについて、棚卸をするのです。

やっぱ本とか、映画とか、ゲームとか、静かなコミュニケーションが好きで、無言の熱中が好きで、そういうことが許される時間や場所が好きだ、ということになる。

そういうものをもっと尖らせようという発想になる。

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