クリエイティブを刺激する町づくりのために考えてること/「架空の小説家とその書斎」企画

今後の予定を書いておきます。

どんなクリエイティブな環境を町に作ろうかとずっと考えています。

クリエイティブな装置と言っても良いです。

それは僕だけじゃなくここに来てくれた人のクリエイティビティを要求するものです。

ずっと、このブログが地域の入口にならないことを悩んでいたのですが、これや!ってヤツを思いついたのでとりあえず公開します。

今後作る予定のものは以下です。

①小説家を作る

②フリーカルチャーを生み出す

この二つを作るのが長期目標です。

この記事では①の「小説家を作る」について語ります。

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小説家を作るってなんだ

思えばずっとやりたいことではありました。

小説家を作る。

いつからやりたかったかというと中学生くらいから。

それは言い過ぎ。でも思うに種はそこからです。

種とは何かというと、ラーメンズのコント「小説家らしき存在」です。

それにしてもこのコントかなり傑作だとおもう。大好きなコント。ラーメンズのコントの中でも、ストーリーとしての完成度が高い作品の一つだと思う。

見たことない方はぜひどうぞ。

めんどくさいよ、という方は動画下にネタバレ書いておくので先へどうぞ。

動画見ないよ、という方のために簡単に説明すると、これは自分で持ち込んだ原稿の依頼を自分で書く「常居次人(つねいつぐと)」というシステムのお話しです。

文豪、常居次人の書斎に原稿を受け取りに行く担当編集者。

常居次人は作品によって文体を自在に変えるので「多重人格作家」という異名を持っている。

それは本当に別の人間が書いていたから。「自分で持ち込んだ原稿の依頼」を自分で書くの繰り返しで、「常居次人」を作っていった。出版社たちが望んだ架空の天才小説家。

「常に居る、次の人」と書いて常居次人。

「この原稿用紙、先生の名前が入ってるから、もし誰かが見たらまるで先生の作品みたいに見えるかもしれませんね、先生?」

ここ怖いっすよね。

そのシステムの存在が本当なのか嘘なのかは作中でも曖昧。

(閉じ込められて)嘘だろ?おい!

なんちゃってー!が延々ループする可能性もあり。

この作品が頭にあるってことは僕のアイディアじゃないってことで無意識に抑制していたけど、「架空の小説家を作る」ってマジでできないかな、いやできるんじゃないか?って最近考えてます。

架空の小説家がいるとなると、僕の町が面白いことになる。少なくとも小林賢太郎は面白いと思ってくれるはず。「小説家らしき存在」を作った人なんだから。そう信じられるのでとりあえずやってみようって思う。

架空の小説家を作るための方法論とか手順とか、考えたことをありのままに書くぜ

架空の小説家の存在は、当然ながら世間には見えないし、いないのだから実体を捉えようがない。言うなれば生きてない。

しかし小説家の存在はみんなが感じられる、という状況を作らなきゃならない。

課題①不在を浮彫りにする方法

本来なら作品によってその存在を感じさせるべきなんだろうけど、そもそも「小説家」なんて実在も不在もなくないか?と思いました。

みんながみんな自分の中の架空の小説家を名乗って作品を投稿したりしているのだから、実在するかどうかなんてそもそも問題じゃないんじゃないか?

誰もその小説家が存在するかどうかなんか気にしてない。

アマチュアのweb小説家ならそれはなおさら。そもそも僕らは透明人間である。作品すら透明なのが問題である。

「不在」が浮彫りになるためにはどうしたら良いか?を考える必要がある。不在という存在感を作り出すためにはどうすれば良いか。

どれだけ「ここにいるよ!」と言っても見られないのなら、「いない」ということをアドバンテージにしたらどうだ、というアプローチで考えます。

面白い課題ですな。

解決策①書斎を作りこむ。書斎から作品にする。

解決策として、書斎を作るというのはどうだと思いました。

書斎を媒介にして、小説家の存在を、非存在を浮彫りにする。

「架空の小説家が使っている書斎」をコンテンツにしよう。

その小説家はどんな執筆スタイルで、どんな息抜きをして、どんなものを食べるのかをよく考えて、架空の小説家による生活感が籠った部屋を作る。

ペンは何を使っているのか。ライトスタンドは何を使うのか。メモ用紙は何を使うのか。そしてどんなメモをとっていて、どんな風にプロットを組み立てて、どんな風に作品にしていくのか。そしてどんな作品が出来上がるのか。

その小説家は、作品によって書斎の趣を変える。決まった執筆スタイルを取らず、作品によって人格が形作られるという倒錯した性質を持っている。

架空の小説家の執筆に関わる全てが籠っている「書斎」をコンテンツにしよう。

メモもプロットも落書きもすべて公開できる。見たい人はどこまでも。いわばフリー素材。プライベートもクソもない。そもそも架空の存在なので、書斎で起こることはすべてコンテンツである。

小説は文章なので中身を伝えようと思っても読むしかない。だから読まない人はまったく読まない。でも書斎はビジュアルなので写真一枚で伝えやすい。小説を読まない人でも知る可能性がある。

小説が読まれなくても書斎なら目を通してくれる人が増えるかもしれない。

「不在」を知られるチャンスがある。

小説は小道具にして核

ここ、小説家になりたいと思っている僕の精神的なブロックでもあったのですが、もういっそ小説も小道具にしようと思いました。

架空の小説家の存在というか不在に説得力を持たせるための「小説」。小説家なんかいないけど、メモがあり、プロットがあり、小説があるという状況を作る。

説得力のための本物の小説。小説はメインじゃなくてサブアイテムになる。

表向きの「架空の小説家とその書斎」を作るという目標を完全なものにするためには小説がないことには説得力がない。サブアイテムだけど核ではある。

「仏作って魂入れず」という言葉があるけれど、架空の小説家もその書斎もただの像です。偶像でしかありません。魂に値するのは小説という作品だと思うから、小説が伴わなければ意味がない。

偶像を多くの人に見てもらう努力をして、魂に触れたいという人はやはりアクセスできるようにする。有料にするべき。ここは様子見。

PRの手法を考えたってことですね単純に言えば。

架空の小説家と書斎を作る方法

幸いこの町には、使える場所がある。

コミュニティスペースの一角がクリエイティブを刺激する装置になる可能性について思いを巡らせてきたこのブログ。

「旧佐藤医院」というコミュニティスペースの発信もちょっとずつしております。

この建物の、奥の奥の方に穴倉みたいなスペースがあります。

二階の物置です。超べニアの、部屋と呼ぶには憚られるスペースですが、すっぽり空いてます。てかいつか使おうと思って空けてました。

中はこんな感じ。秘密基地っぽくておあつらえ向きです。とりあえずここを第一回「ある小説家」の棲家にします。

特に冬は表向き閉館しているので、管理者権限と言いますか、プロトタイプを冬の間に作ろうと思います。書斎と小説を作ってみるぞ。

結局それはツカダがやるんでしょ?

ここまで読んで、もやもやっとしている方もいると思います。

それが普通だと思います。

ん?誰が小説を書くの?と問われれば、現状「僕です」と答えるしかない。

架空の小説家の中身自身がこうして全部書いてしまってるので架空もクソもないというか、もうツカダじゃん、という声もあるかもしれません。

まあ、そうですよね。でも、僕はそのうち僕の町に遊びに来てくれた極少数の人と、架空の小説家を共に作る遊びをしたいと思っています。

今ちょっとまだ考え切れてないので何とも言えないけど、なぜ架空の小説家かって、「フリーカルチャー」を地域に作りたいからなのです。

フリーカルチャーって言葉も『フリーカルチャーをつくるためのガイドブック』を読み齧ってちょっと言ってみただけみたいなとこあるんですけど、小説を書くという営みに、二次元を越えた、誰かと共創できる領域を作りたいと思ってます。

このあたりは次回詳しく書いていこうと思います。

つづき↓

文化を作るためのまちづくり/『フリーカルチャーをつくるためのガイドブック』を参考に

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コメント

  1. 常居次人 より:

     思い瞼をこすりながら、ペンを執っています。あなたには私が誰だか、お分かりにならないでしょう。いや、分かった気でいるだけだ。実際のところは、何も分かっちゃいない。
     分かっていただかなくてもいいのだが、せっかくお付き合いいただけるなら、ほんの少し、お話でもさせてもらおうか。

     人を理解するには、その人の価値観ってものを知るのがいいんでしょうね。とりわけ、大きなもの。恐怖。私がつい最近感じた、大きな恐怖なんていかがでしょう。

     朝、目が覚めると私はいつも、コーヒーを淹れて新聞を読みます。ブラックの日もあれば、砂糖もミルクも入れることだってある。紅茶は午後ですから。
     その日は、新聞が届いていませんでした。休刊という話は聞いていなかったので、おかしいとは思いながらもテレビを点けました。ニュースでは日本の総理大臣がどうだ、アメリカの大統領がどうだ、など、私には関わり合いのない話ばかり並んでいます。地域のニュースというやつは、新聞の方が優れているものです。私はコーヒーを啜りながら、トーストが焼けるのを待ちました。テレビのチャンネルを、地上波から地方局番へ移してみました。
     画面に、見覚えのある建物が映りました。私が通っている、カルチャーセンターです。私は仕事の合間、そこでよく、小説の執筆を、同志達としていました。画面にはもちろん、その同志達が映りました。見覚えのある顔ばかりです。よく観ていると、どうやら彼らは同人誌を発行したらしいのです。私を除け者にして。少し腹が立ってテレビを切ろうとした時、レポーターが「全員の作品が集まっているんですか?」と聞き、すぐさま会長が「はい」と答えるのを聞いてしまいました。
     私は怒り心頭に発してテレビを切りました。同人誌は予てから私達の活動の目標点だったはずなのに、そこを私抜きで通過してしまい、挙げ句の果てには地方局とはいえカメラまで入れてしまうなんて。体裁が悪いんだか知りませんが、私のことは端からいなかったようにして、無視してしまうんですから。

     失礼。

     電話が鳴ってしまったもので。話の続きを。

     私は着替えてしまって、家を出ました。どうして黙っていられましょう。文句のひとつ、会長にでも、どの会員にでもいいので言ってやらねば、腹の虫がおさまらないのは、ご想像に難くないでしょう。

     家を出て細い路地を抜けようとすると、花屋があるのですが、この花屋が間の悪いことに打水をしていまして、私の足に水がかかりました。ただでさえ苛立っていましたので、私は花屋に向かって苦言を呈しました。ところが、花屋ときたら、私の足元を見て、また水をかけてきます。今度は、腰のあたりから盛大に濡れてしまいました。怒鳴り散らしてやろうと思ったら、花屋は満足そうに奥へ引っ込んでしまいました。店はまだ開かないようで、それ以上粘っても表へは出てこないようでしたので、私はまた、歩き出しました。

     小路ですから、向かいから来る人とは互いに体を躱して避けなければなりません。向こうから人が来るのが見えて、私はブロック塀にへばりつくほど身を躱しました。しかし、相手は少しも私に気を使わないで、道の真ん中を堂々と歩いてきます。私がいくら避けようとしても、互いの肩がぶつかることは避けられませんでした。私は今度こそ文句を言うべきだと思い、また男も何か言ってくると思い、身構えました。身構えた、というよりも、心構えました。ところが、相手は私を一瞥したかと思うと、すぐにまた歩き出して、そのまま行ってしまいました。

     路地を抜けると、車道に当たるのですが、横断歩道はありません。私は苛立っていたせいもあって、よく注意せずに渡り始めてしまいました。左から、猛スピードでセダン車が突っ込んで来て、轢かれる寸前で私は向こうの歩道へ飛び乗りました。しかし今度ばかりは私にも非があり、歩行者がいるのに突っ込んでくるのは人間性が悪いとは思いつつも、何も言えず、歩くしかありませんでした。

     カルチャーセンターに着くと、私はこの土曜の午前から執筆に勤しむ少数の精鋭達に、何と言ってやろうか考え込んでしまいました。いざ着いてみると、尻込みする訳ではないのですが、どう言ったものか、言葉に詰まります。
     心を落ち着かせて、放つ言葉を選んでから、私はいつもの部屋のドアを開けました。そこには、数名の見慣れた会員と、幾人かの見慣れない青年がいました。私がドアを開けて入っても、誰も見向きもしません。入口の傍の長机に、例の同人誌が数冊置かれていました。誰も私を見ないので、文句を言った後では見られなくなると思い、先に中を開けてみました。
     会長の作を筆頭に、幾編もの短編が連なっています。その中に…………私の名前がありました。身に覚えのないタイトルと、文章。明らかに私の作品ではない、私の名前の作品が編み込まれています。気が動転しそうになりながら、それでも気を落ち着けて、その文章をもう一度読み直しました。
     すると、彼らの、会員達の会話が耳に入ってきました。私の名前を、何度も繰り返しています。次は誰がやるのか、と。彼らを見て、私は思い出しました。会員の、とりわけ仲のいい会員の一人が、この前私にあるお願いをしたのです。私の名前を貸してくれ、と。仕事の都合で忙しかったので、執筆ノルマを達成するために、私も喜んで名前を貸しました。見慣れない青年達も、その時、その会員が連れていたのをなんとなく覚えています。その時の作品が、これ。同人誌を作るなら、そう言ってくれればよかったのに。また、怒りがこみあげてきました。
     その会員は今日は不在だったのですが、今ここにいる会員達が私の名前を使って次作を検討していることは分かります。彼らに文句を言っても、話が通るだろう。そう思って、唐突に大きい声で彼らに呼びかけました。
     誰も振り向きません。
     私は何度も、彼らに声をぶつけ続けました。近くで顔を覗き込んでもみました。それもこれも、彼らの注意を惹くことすらできない骨折りでした。彼らは誰一人として、私に応えようとしません。示し合わせているのが伝わってくるほど、誰も私の存在を認めようとしないのでした。そういう気なら、と私もムキになって部屋を去ろうとした時、気がついてしまいました。
     部屋の向かいの壁にある大きな鏡。そこに、私の姿だけが写っていないのです。
     透明人間というやつでしょうか。
     思えば、私は朝から、自分の存在の消えているのを感じていたはずでした。
     唯一、私が存在していた証があるとすれば、ここに今ある名前くらいです。しかし、その名前はもう私以外の何人もの人間が、その中身を入れ替えながら使っている。実態の無い存在へと、私は変わってしまったようでした。名前を彼に貸した瞬間から、私は何者でもなくなり、その存在は消えてなくなった。
     その場で私は崩れ落ちました。ただ、ひとつだけ私の心を醜く灯したのは、彼らの作品を全て、私の名前が呑み込んでしまうという、恐ろしい事実でした。

     もちろん、これは全てフィクションです。実際にあった話ではありません。しかし、私が感じた恐怖を分かっていただくには、これで充分なのです。これが、私がつい最近味わった恐怖と、その理由です。

     インターホンが鳴りました。訪問客がいらしたようです。先程アポイントメントを頂いた方だ。そう、百二人目の方がね。

    • 塚田 和嗣 より:

      何者かによって、物置に、幅30センチ、奥行き20センチ、高さ25センチの小引き出しが置かれる事件が多発していた。
      多発していたが騒ぎや事件になっていたわけではなかった。人知れず多発していた。長い時間をかけて各家を巡っていた小引き出しだった。同時多発的に小引き出しが発生したわけではなかった。全国規模の事態だった。いつもどこかにその小引き出しはあり、出現場所は完全にランダムだった。表面的には多発していたどころか発生すらしていない事態だった。ほとんどの家庭ではが置かれていることに気づかれなかった。だいたいどこの家庭の物置もいらぬものが押し込められてぎゅうぎゅうになっているのだから、扉の前に目立つように置かれない限り、動線が障害されない限り、何かが増えていても誰も頓着しなかった。何かのおりに目についたとしてもいつか誰かー例えば去年亡くなったおばあちゃんがー置いたのかなと思うくらいで気にも留めない。もう使わない小引き出しくらい誰の家にあってもおかしくなかった。小引き出しに触れようとする人は極端に少なかった。目立たないから、目についても違和感がないから、違和感があっても汚いから、誰も触らなかった。
      誰かがその小引き出しを運んでいることは間違いなかった。小引き出しは汚れており、埃が堆積し黒ずんでいた。黒ずみにまみれた小引き出しを注意深く観察すると、人の指の跡が左右五本しっかりあった。指紋は見あたらなかった。手袋か何かを装着して触れた誰かの指の跡かもしれなかった。大きさから察するに子どもか極端に手の小さい女性のものだった。いずれにせよ気味が悪いと彼は思った。彼が引き出しを持っている今の今も、何者かの白い指が箱にひっついているようだった。
      彼が小引き出しに気付いてよく観察したのは、彼の家の物置がたまたま整理整頓されており、加えてそれほど広くなかったからだった。彼の家の清潔な物置の中で小引き出しは非常に目立ったし、彼にとって、汚い引き出しが中にあるのは気分が悪かった。
      厚い軍手をつけていた。彼の指のあとはそう簡単にはつかなかったが、表面の黒ずみを少し薄くする程度の影響はあった。引き出しをあけると黄ばんだ紙切れが入っていた。
      子どものような文字で「百二人目にアケラレタ」と書いてあった。
      俺の前の百一人はどうしてあけなかったんだろうと彼は言った。開けちゃダメだったのかな、バカバカしい、と彼は、毎日交互に考えるようになった。
      何度目かの「バカバカしい」の日に引き出しがなくなっていた。開けちゃダメだったのだと呟く毎日になった。

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