色んなものにとらわれまくって生きてる

洋館 撮影 猫発想と行動を記録する

現代のトレンドの一つとして、そしてこれからより一般的になるだろう働き方として、「場所や時間に囚われず自由に生きる」というのがあると思う。

実際可能ですよね。パソコンやスマホがあれば稼げるという人は、別に一所にいる必要はないし、暑ければ涼しいところへ、寒ければ温かいところへ移動して暮らせば良い(その代わりWi-Fiと電源がないと死ぬが)。

朝働くのが嫌だったら夜働けば良いし、静かなところで働いてもうるさいところで働いても良い。温かい時期だけ働いて、寒い時期は冬眠とゲームだけで過ごしても良い。

働き方は選びまくれる。

いやもういっそ「働かないというスタイル」すら自然に成り立つようにしていこうなみんな!って段階ですよね。

勤労は素晴らしいことだけどたいてい勤労に伴う「何か」が素晴らしいのであって、勤労の苦痛や憂うつがその素晴らしさを上回るのならうま味なし。

また、その素晴らしい何かが分かってるのであればそれをダイレクトに受け取りにいく手段or与えに行く手段を講じれば良いわけだから。

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わりと自由なはずなのにとらわれまくって生きてる

かく言う僕も、パソコンがあれば仕事ができるので時間も場所も自由に選べると言えば選べます。

と言ってもバリバリ稼げるってわけじゃなくて少数のクライアントさんからもらえるお仕事でなんとか糊口を凌いでいるという状況なので言うほど自由を選べるわけじゃないんだけど、それでも、働く時間も場所も選べることに変わりはないです。

だけどぼくは場所にとらわれまくって生きてます。

がんじがらめと言っても過言ではないくらい場所にとらわれてる。

町に、人に、ペットに、そして仕事に。

朝日町っていう故郷に住んで、まちづくりとか言ってブログ書いて、民泊もはじめました。

結婚しました。重度のおばあちゃん子なので、どうにかおばあちゃんの近くにいようと考えてたらうまいことばあちゃん家の目の前の空き家に住むことができました。

おばあちゃん離れしなよって言われるかもしれないけどさ、おばあちゃんとは遅かれ早かれ離れなきゃいけないじゃない……という気持ちです。

そんで結婚したので妻とも離れません。結婚したのでってわけじゃないけど、離れたくないから結婚したわけで、それを指してとらわれているというのはおかしいけど、自由度を自分の意志で減らしたことは間違いない。

加えて猫。ばあちゃん家には僕が結婚前にもらってきた猫がいます。一日会わないと禁断症状が表れます。

場所にこだわる理由はめちゃくちゃあるし、積み上げてきたおもりや制約が幸せを作っています。

ついでに僕は時間決めてやらないとクズ人間になるので時間にもとらわれてます。許される自由度を活用しきれてない感があって、傍から見たらもったいないことしてるかもしれないです。

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まだまだとらわれたいと思って生きてる

しかし、まだまだ僕はとらわれたい。

次は肩書にとらわれたい。

小説家。それも次の時代を表すような小説家。

自身で小説を書きながら、同じくこの時代を生きる小説家の創造力をブーストするような環境を作り、文で生じる、現実をベースにした、それでいて現実を8乗倍くらいした濃く楽しい虚構的な日々を送るのが夢です。

文の中と外で創作活動をする。文の外の創作が、ぼくにとって「まちづくり」なのです。

まちづくりを創作だと思っているのです。ということを知られたい。

僕は思います。自由って何にとらわれて生きるかを自分で選べることなんだろうと。

何にもとらわれずに生きるっていうのは多分難しいし、言うほど望んでいないのでしょう。

いまのところ、時間や場所にとらわれすぎるのは勘弁だよねって人が多いというだけで、それは時間や場所にとらわれ過ぎな面が社会には多いことの裏返し程度のもので、本当に「自由」「オールフリー」を求める人って僕の感覚ではあんま見かけない。

本当に正真正銘の風みたいに自由で何やってもよくて何もしなくてよくて、どこにいてもよくて、いなくても別に良い、なんてことはきっとあまり多くの人は望まない。

とらわれたいものに、とことんとらわれまくりながら生きることができるのが良いと僕は思うから、「何にとらわれたいか」を今後もしっかり考えようと思う。

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