町もプラットフォームのひとつだと考えたとき、そこはどうあるべきか。

朝日町にあるコミュニティスペース「旧佐藤医院」を題材にした記事をここのところ数点書きました。

朝日町のコミュニティスペース「旧佐藤医院」のサイトを作りました

にリンクをまとめてあるのでちらりと見てもらえると嬉しいのですが、やれコミュニティスペースの公共性についてとか、利用料金についてとか、これはまちづくりの模型みたいなもんだとか言ったり、小さな市場になるんじゃないかとか、色々思いつくままに書いて、ややこしくなって、なんなら書けば書くほど人が遠ざかるんじゃないかって感じがします。

もっと分かりやすくなんないかな。

一言でコミュニティスペースってこういうところだよみたいな説明がしたい。

それで、結局、SNSみたいだって言ったら分かりやすいんじゃないかなと思ったので、今日はその記事を書きます。

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コミュニティスペース=SNS?

ツイッターとか、フェイスブックとか、インスタグラムとか、SNSサービスはたくさんあるけど、コミュニティスペース(旧佐藤医院)ってそういう類のものなんじゃないかなと思います。

SNSにはそれぞれちょっとしたルールというか、個性がある。

ツイッターなら140字までとか、フェイスブックなら実名制とか、インスタグラムなら画像中心とか。

SNSはこの程度の独特の個性を持つ「場」で、それを利用する人はそこを通して誰かとコミュニケーションを取ったり、または取らなかったり、色々な使い道はあるだろうけど、少なくともそのユーザーという風にくくれるコミュニティであることは変わりないという感じ。

旧佐藤医院は言わばアナログなSNSで、実際に触れられる三次元的なSNS。

価値観が交差する場所、色々な人が使って良い場所。だけど場としての個性からははみ出ることはできない。

そういうのプラットフォームって言うんだってさ

コミュニティスペースって何なんだろうなあ、旧佐藤医院はどうなれば良いのかなあと考えていたときのこと。

僕がファンのブログの一つに

隠居系男子

があるのですが、そこで

コミュニティをつくりたいのか、プラットフォームをつくりたいのか

という記事があったので、何となく僕に必要だと思い読んでみました。

僕は「創造で繋がるコミュニティ」を自分の町に作りたいと考えているのでコミュニティを作りたいと思ってる。ところでプラットフォームってなに?くらいの感じで。

そしたら、旧佐藤医院みたいなコミュニティスペース、つまりコミュニティが生まれる場所、利用者がコミュニティを形成する場所ってプラットフォームって言うらしいってことが分かったんですよね。

僕ほんとに全然知らなくて、「え?じゃあ旧佐藤医院はプラットフォームだよ」って言えば済む話だったの?と思ってなんか恥ずかしかったです。

僕はコミュニティとプラットフォームを区別できているのか

上にリンクを貼らせてもらった記事の後半では

「プラットフォームとコミュニティは全然違うものだから区別した方が良い」、「どちらも取りに行きたくなるけれど、どちらかに集中した方が良い」と書かれています。

なるほど、確かに。

そして続きは引用させてもらうけど

でも厄介なことに、最近は特定の層の人々だけに使われることを目的とした、一見コミュニティにも見えるプラットフォームも増えてきました。主婦向けのSNSとか、ハンドメイドの商品が集まるフリマアプリとか、プラットフォームの細分化もドンドン進んできているのが現状です。

プラットフォームの細分化は自然と言えど、こういう例が増えてきているからプラットフォームとコミュニティは混同しやすいということでしょうか。

僕は自分で「旧佐藤医院」についての記事を読み返してみても場の機能とコミュニティの話を一緒くたに話しているので、混同していたのかもしれない。

だけど、プラットフォームとコミュニティはセットであることも間違いのないことだと思います。

その上で僕はプラットフォームを作りたいのか、コミュニティを作りたいのかと言えば、やはりコミュニティを作りたい。

ここ最近はただ「旧佐藤医院」というプラットフォームが朝日町にあるんだよって話してただけな気がする。

町=プラットフォーム

10000分の1スケールのまちづくり

では、コミュニティスペースで起こることって、そのまんま「まちづくり」のスケールが小さい版なんじゃないかみたいなことを書きました。

そんな考えの僕にとって、それぞれの地域も一つのプラットフォームみたいなものなんじゃないかなと思います。

そしてそれらのプラットフォーム(地域)はそれぞれ、自分たちは一体どんなコミュニティにモテるんだろうかって考えた方が良いのではないか。

つまり、どんな個性を持っていて、どんな生き方をする人が集まりやすい場なのか。

もちろん制限するという訳じゃなく親和性の問題と言えばいいのか。

場の個性を磨くユーザーはどんな人たちか、そして場を盛り上げるユーザーはどんな人たちか、みたいな。

イメージとしては例えば「インスタグラム」が最初タレントさんとかのオフショットとかがたくさんアップされて、何となくオシャレ写真用SNSのイメージがついて盛り上がったみたいな感じ(僕のイメージ)。

自然にそこに惹かれた人たちが上手に場を使って、「あ、ここはこういう風に使うと良い感じなんだ」って気付いたユーザーがそういう目で見るということを繰り返し、場のイメージが確立し、盛り上がり、今までそこを知らなかったユーザーも参加するようになって、みたいな流れが、どの地域にも起れば良いなと思う。

そして、どの地域にも直接的にも、間接的にも参加できて、もっとみんなの身動きが自由に取れるようになったり、みんなの居場所が増えたりしたら良いなと思う。

だからその一歩として今後、僕は朝日町という場の個性について、よく考える記事を書いていく予定。

ともあれ、僕は何か勘違いしてるかもしれない。もう少しコミュニティとプラットフォームの違いについて勉強しておこう。

町もプラットフォームのひとつだと考えたとき、そこはどうあるべきか。(完)

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