10000分の1スケールのまちづくり

今回の記事テーマは

「コミュニティスペースは10000分の1スケールの町づくり実験装置」

なのだと僕は思っている、ということです。

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ゆるく繋がるコミュニティは現代の理想形

コミュニティスペースは、中程度の規模のコミュニティ形成を可能にする場所だと思います。

コミュニティの最小単位はもちろん個人、もしくは家族だと思います。

それがどのように「まちづくり」に繋がるかというと、まちよりは小さく、家族よりは多様な、中規模コミュニティはまちの最小単位のモデルとして見ることができるというのが僕の意見です。

また、そのコミュニティはコミュニティの維持を目的としたコミュニティ(○○のための集まり、と定まっていない)ではなく、単に集い、同じ空間にいるからという理由だけでコミュニティになるものです。

そのコミュニティは、個人や家族と言った小さな領域よりも、また「まち」のような大きな領域よりも高い問題解決能力を持つ可能性があると思います。

なぜそのコミュニティが問題解決能力を持つのか

コミュニティスペースで作られるような、中規模のコミュニティ、それでいてコミュニティの維持が目的ではないコミュニティが問題解決のための集まりになる理由は、徹頭徹尾コミュニケーション自体が目的になる空間だからです。

そしてコミュニケーションとは、まさにすべて問題解決のために行われるものであるからです。

「三人寄れば文殊の知恵」と言うけれど、これも人が集まるだけで大方の問題は解決するよねって言う意味だと思う。

もし、僕らが全員以心伝心だったら、誰も会話する必要なく、顔を合わせる必要もなく、こうして文字をコツコツ書く必要もありません。全てのコミュニケーションツールが不要です。

コミュニケーションを取るということは、それ自体が、問題を孕んでいるということを全員が認めているということになります。

僕らはコミュニケーションを取らなければお互いあらゆることが分からないから、わざわざ面倒な手続きを踏んで会話したり、時間をかけて文字に残したりする。

また、コミュニケーションは僕たちはみんな「違う」という前提も語っています。以心伝心でなくても自分の考えてることがみんなの考えていることであるなら、同じくコミュニケーションは不要。

「違う」という問題を解決するために(もしくは違いを楽しむために)、僕らはコミュニケーションを取りますが、反対に言えばコミュニケーションがうまく取れた時点で解決することってけっこうあるということだと思うのです。

家族ほど以心伝心とこれまでの経験の蓄積に頼るコミュニティでもなく、まちほど伝達自体が難しいコミュニティではない中規模のコミュニティは、問題解決の素養があると言えると思うのです。

コミュニティが創造に至るのはどうしてか

僕らは理解と伝達のためにコミュニケーションを取ります。

その問題は両者に共通のものであるとは限らず、暇つぶしとか悩みの解決とか個人的なものも多いのではないでしょうか。

コミュニティ内に多様性があればあるほど、問題もバリエーションも多いと思います。このためにも、コミュニティの維持を目的としないコミュニティが生まれる空間というのは意味があると思う。

コミュニケーションが活性化すると、僕らのコミュニケーションはクリエイティビティに向かうと思います。

なぜかと言うと、第一に、僕らどれだけ言葉を尽くしても、会話を重ねても、理解し合うのは難しいし、伝達しきるのは難しいからです。

できる限りあらゆる工夫を凝らして、僕らはコミュニケーションを取ります。表情を使ったり、体を使ったり、声色を変えたり、本当にあらゆることをする。

それでも伝わらないことがあったらどうするか。すごく複雑で、難解で、個人的なことを知ってもらいたいと思ったらどうするか。

僕たちは多分歌を歌ったり、詩を書いたり、絵を描いたりするのです。

だから創造は高度なコミュニケーションで、コミュニティは熟成するに従って必ずと言って良いほど問題が高度になり(話すことなくなる、やることなくなる、物足りなくなるという大問題が発生するから)、創造に至るようになる。

そしてこの段階に至るのは、小さなコミュニティであればあるほど早いと僕は思うし、なんなら、コミュニティの維持を目的としないコミュニティと言いつつも、それぞれがクリエイティビティを目的とするのは、結局そこに至るなら、先に据えても良いのではないかと思います。

そうして、小さくても確かな文化が生まれたら良いなと思うのです。

体面(コミュニティ)を保つためではなく、内面(自分たち)を満足させるための創造

コミュニティスペースが本当に問題解決に適したコミュニティを作るのだとしたら、理想的なコミュニティだなと思います。

僕ら「全体(コミュニティ)を維持すること」にもうあまり興味がないんだろうって思うんです。

僕らはあくまで個人であって、必要に応じて協力関係にもなれるコミュニティが理想なんだと思う。コミュニティの維持を目的としないコミュニティです。

ただたまたま隣り合ったからコミュニティとなり、コミュニケーションを図ることになった人たち。その人たちが互いに問題を持ち寄り、解決してを繰り返すことができる場所。

そういう理想のコミュニティが作れるのが、例えばコミュニティスペースみたいな入れ物だという話です。

コミュニティスペースはまちづくりの模型になる

まちもコミュニティに違いありません。

もし、コミュニティスペースのような中規模な、それでいてコミュニティの維持を目的としないコミュニティが問題解決に役立つなら、その様相をまちに応用することも可能だと思うのです。

もしかしたら町のスケールで理想のコミュニティが出来上がる想像はしにくいかもしれないけれど、だからこそ10000分の1スケールの理想のコミュニティを作る、コミュニティスペースは、まちづくりそのものの模型になると期待しても良いのではないでしょうか。

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10000分の1スケールのまちづくり(完)


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