『告白』以降の邦画を見て思う「鮮やかさ」の変遷。小説の表現はどう変わる?

映画『告白』を見たとき、邦画の雰囲気が変わった、と思いました。

それまでの邦画のイメージと言えば、やたら淡くて、ぼそぼそ小さな声で話すからテレビの音量上げなきゃいけなくて、しんみりと味わい深いみたいなものでした。良く言えば滋味深く、悪く言えば辛気臭い。コメディを見ても同じような印象でした。なんかサッパリしない。

僕は映画に詳しいわけではなくて、娯楽の中では上位に食い込むよ程度なので、徹頭徹尾印象の話でしかありません。この記事全体を通して、僕の好みと主観で話すことですので、主張に偏りはあると思います。

ただこの記事で考えたいのは、僕が感じた邦画の雰囲気の変化をとりあえず時代の変化と捉え、小説での表現も時代性を意識していかなきゃなんだろうな、ということなのです。何と言うか、文芸の中で小説だけ表現の変化が乏しいような気がするし、置いていかれている気がするから。これも印象の話だけど。

書きたいものを書く、は良いんだけど、何を語るにしても、時代にぴったりあった表現の仕方ってあるんだろうなって。そのヒントを邦画の変化の中に見出そうというわけです。

とにかく、長らく僕は邦画に上記のような印象を抱いていたので、映画を見ようというときでも、滅多に邦画を選びはしませんでした。洋画の方がグイッと引き込まれて、視聴後の気分が良かった。

でも『告白』

原作が衝撃的だったということもあるし、映像技術、表現技術が向上したということももちろんあるだろうけど、とても引き込まれました。僕は映画の方が好き。

ただドロドロ、ジメジメしてるだけでなくて、ビビットな印象があった。鮮やかなものを見ている気分になって、かなり残酷な物語なのに鑑賞後はスッキリしてる。良くも悪くも後に引くものがなく、気持ちよく走った後みたいな良い疲れが体感できた。カビ臭さ、辛気臭さがなくなってる、と思いました。

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『告白』以降、印象に残るのはグロさとバイオレンス

その後、邦画を選ぶ機会が増えました。

それまでは邦画を毛嫌いとまではいかなくてもあまり積極的に見たいとは思わなかったけれど、なんだか、僕の感覚では告白以降、見てみたいと思うものが増えていった気がする。

結局見たのは以下の通り。小説原作のものに絞り、年代順に並べてみました。

2010年 『告白』、『悪人』

2011年 『八日目の蝉』

2012年 『悪の教典』、『桐島、部活やめるってよ』

2013年 『藁の盾』、『脳男』

2104年 『白雪姫殺人事件』、『渇き。』

こうして並べると、『八日目の蝉』と『桐島、部活やめるってよ』以外、内容がかなり偏ってます。

ミステリー×サスペンス。言ってしまえばグロイ描写、残酷描写が少々過剰と言っても良い作品が並んでいます。自然に目について、実際に見た映画なので、僕の興味の惹かれ方に偏りがあると言ってしまえばそれまでですが。

だけど、これらって多分多くの人の印象に残ってる作品だと思う。

この作品を並べるために 年代流行 映画(邦画)ランキング っていうページを参考にしました。他の作品にもちょっと言及しておくと、例えば2010年に『ノルウェイの森』が映画化されてるけど、印象に残ってるのは同年公開の『告白』の方なんじゃないかな。

小説としては『ノルウェイの森』の方が圧倒的に読まれているはずです。発売年が違うってのもあるけど、上下巻で累計1000万部越えています。告白は約250万部。もちろんすごいけど、2010年の時点で印象に残ったのは告白の方なんじゃないかと思う。

2012年に『のぼうの城』とか、『ツナグ』。

2013年には『永遠のゼロ』が興行収入ランキング1位だし、『少年H』とかもある。

2014年には『小さいおうち』が映画化している。

だから残酷描写が目立つものばかりが活躍しているという訳じゃないのだけど、僕の中では、なんか『告白』以降、派手な邦画が増えたなという印象なのです。

この印象、エログロバイオレンス作品が多いなと感じるのは、園子温監督の作品も目立ち始めていたからかもしれません。

小説が原作ではないですが、例えば2010年には『冷たい熱帯魚』、2011年には『恋の罪』と『ヒミズ』が公開されています。

エログロバイオレンス。クライム映画。

不穏だけど鮮やかな映画がこの辺りで多いというのは、多分印象だけではないと思う。

グロさやバイオレンスに食傷した時期

この残酷描写、派手な邦画の印象が極まって、何となく一つ覚えかよって思ったのが2013年。

『藁の楯』も『脳男』もただ過剰に暴力的でキャッチ―な印象なだけで、正直あんまり面白くありませんでした。お前らこういうのだったら映画見るんだろ?って言われているようで、なんか高をくくられ始めてるんじゃないかという気分になった。ガチャガチャ暴れてるだけじゃないかとしか思えなかった。

そして翌年、『渇き。』を見て…、あこれ見てなかったです。原作読んでただけで(原題は『果てしなき渇き』)、映画は予告編見ただけでお腹いっぱいになって見なかった。

ばかやろう小松菜奈が悪いわけないだろ!言ってしまえば小松菜奈だけ見れたら良いから予告編見てまあ本編は機会があれば…って人が多かったのではないかと邪推します。

僕の主観だけど、この頃から残酷描写、ショッキングな内容にだんだんみんな食傷気味になってきていたのではないか。

だから、というのはおかしいけど、でもなんとなく2015年からは、一転してハートフルなストーリーが増えたような気がします。

一転してハートフルな作品が増えた

でもこうなると、小説原作の作品はめちゃくちゃ少ないです。

その代わり、少女漫画原作の映画が急に増えました。

2015年 『ストロボエッジ』、『アオハライド』、『海街diary』、『orange』

2016年 『ちはやふる』、『四月は君の嘘』、『僕はあす昨日の君とデートする』

爽やかになりましたよね急に。見たのは『海街diary』だけだ。原作を読んでたから。

わざわざ少女漫画原作を抜き出す必要はないんですけど、2015年以降、なんとなく小説の出る幕がなくなっているような気がします。漫画原作の作品がそれまでよりも強くなった。

爽やかなストーリーは少女漫画から、エログロバイオレンス、クライム系は無くなったわけじゃなくて少年漫画の方からが多くなった。

漫画原作の作品はそれまでもずっとたくさんありました。

もう一回参考サイトを貼っておきますね。

年代流行 映画(邦画)ランキング

あえて省いて見てたけど、興行収入トップ30のほとんどの作品が漫画原作の映画化だったり、アニメの劇場版だったり。

ジブリは安定で、地味に三谷幸喜枠が強いのにちょっと笑ったけど、邦画の構成はジブリ、人気ドラマシリーズの劇場版、アニメ、漫画原作、三谷幸喜で90%。あと10%(数字は適当)を小説作品からという印象。

その10%の小説原作の作品は何か

2015年 『イニシエーション・ラブ』、『図書館戦争THE LAST MISSION』

2016年 『植物図鑑 運命の恋、ひろいました』、『後妻業の女』、『怒り』、『世界から猫が消えたなら』

上位30位に入ってるのはこれだけです。

小説原作だと、2016年は『何者』とか、『リップヴァンウィンクルの花嫁』とかが印象的だったんだけど、ランキングには入ってないんですね。

とにかく感じるのは、小説が弱い、ということです。立場的にも、印象的にも。

求めていたのはグロさでもバイオレンスでもなく「鮮やかさ」や「色彩」だった

この流行りの変遷を見て感じるのは、どんなテーマやモチーフの物語がウケるかというよりは、どんな素材で語られる物語が主流になっているかということです。

「何を描くか」というよりは、「何で描くか」ということ。

邦画はやたら淡くて、悪く言えば辛気臭いと冒頭で言ったけれど、これを絵で例えるとしたら「水彩画」の印象でした。絵葉書のような絵を見てる感覚。境界線が乏しく、ぼやぼやしてる。

これに対して、洋画は「油絵」のような鮮やかさというか、濃さがありました。そして絵を見たなという感じがするのは僕の場合、油絵の方だった。

だから僕は、わざわざ映画を見るときには、洋画を選ぶ方が多かった。

しかし『告白』を見て、邦画の印象がとても鮮やかになったと思いました。

かと言ってその感覚は、水彩画が油絵になったというような感じではありませんでした。

このとき感じた鮮やかさは、水彩絵の具ではなくアクリル絵の具を使ったような感じ。

絵の具にもいろいろ種類があるようだから詳しい人にはかえって分かりにくいと思うけど、境界線がはっきりして、明度も彩度も高い絵です。でも油絵のようにボテボテした感じがなく、スッキリとしてるけど鮮やかな絵。もしくはとても均一で鮮やかなデジタルなペイント感。

それまでにも鮮やかさは表現されてきたと思うけど、告白以降、使う絵具が変わって、急に現代的な鮮やかさになったと感じた。やっぱりデジタル技術の向上が大きいのかもしれないけど。

そういう鮮やかさが映える物語が、日本の場合はエログロバイオレンス。残酷で暴力的でショッキングな話だったのではないかと思うのです。

血を流せば浅黒く血なまぐさくなってしまっていた今までとは違って(ホラー作品には都合が良かった)、鮮血をちゃんと鮮血として美しく表現できるようになったから、暴力的な表現に嫌悪感よりはいくらかショッキングな爽快さを表現できるようになった。耽美さすら垣間見えた。

その意味でもミステリーやサスペンスがぴったりだった。

そしてそれが、『告白』の物語にハマったのかなと思う。

「鮮やかさ」や「色彩」を描くなら、アニメが強い。そして小説の出る幕がなくなった

ところが、多分僕らは暴力や残酷さを求めていたワケではなかったのだと思います。

鮮やかさ、目が醒めるような爽快さ、絵(画)に引き込まれる経験に、一種のカタルシスというか特別感を感じていたのであって、そのエッセンスを尊重するなら、適しているのはやはり「色鮮やかな物語」だったのではないかと僕は思います。

「色鮮やかな物語」というくくりであれば、単純に美しいラブストーリーの方が気持ちが良いし、汗が光る青春のストーリーが気持ちよかった。もしくは、少し非現実的なところが映える物語。劇的な現実。

そういうものに質感がぴったりなのは、日本の場合、アニメや漫画の世界の方だと思う。小説もライトノベルに近い作品の方が、映画の素材として使われやすいと思う。

エログロバイオレンスだって無くなったわけじゃないけど、アニメの方が際立つように感じます。登場人物の年齢や容姿を幼く設定できるアニメの方が、どうしたってショッキングさは勝るとか、そういう理由で。

日本には、やっぱり湿気ともいうべき淡いフィルターがかかっているのではないか。リアルな日本を舞台にした上で、リアルに表現されるものはどことなく湿ってる。淡く、ぼやけてしまう。悪い訳じゃないけど、なんかちょっと疲れてしまう。ありていに言えば、ファンタジーが微妙に、本当に微妙に似合わない。

これもあくまで僕の印象です。

2016年に『君の名は。』が大ヒットしたことは印象的ですが、内容が時代に合っていたというよりももっとアニメ作品という媒体がぴったりだったと僕は思う。

小説という形式を守るために時代の流れを意識する

強く思うのは、このままどんどん小説の出る幕が無くなったらヤダなーってこと。

小説が映画の原作にならないから小説ヤバいって言ってるわけではありません。

映画化する小説が必ずしも優れているわけじゃない。

小説の価値が映画化するかどうかで決まるワケじゃない。

小説は小説。極端な話、小説の世界と映画の世界はまったく別物でしょう。

でも、そうやって割り切って良いのだろうか。

映画の変遷がこのように目に見えやすく、否応なく社会のニーズみたいなのをハイスピードで反映しているのに対して、小説ってそこまでダイレクトに、スピーディにはニーズが反映されない分野だと思うし(即時性より普遍性を目指す)、ある程度、読む人の能動的な態度を期待する以上、大衆に歩み寄り過ぎるのも小説を痩せさせる原因になるかもしれない。

だからと言って、小説は小説だからと社会のスピードを追おうとも考えなければ、大衆と小説の距離はどんどん開いて、小説はもっともっと、読める人だけが読めるものになっていくんじゃないか。今よりもっと、一部の人達の娯楽になってしまうのではないか。

その中で、時代時代に合った表現にそぐう物語だけがピックアップされるだけになれば、小説の出番はあまりにも(人に能動的な態度を期待するくせに)受け身過ぎるし、映画なしでは成り立たない創作の分野になってしまうかもしれない。

ネット上で素人が小説を書く行為のロマン

どういう立場でこんなことを語っているのか分からないけど、自分が小説を書くにあたっては、この時代で輝く小説ってなんだろうと考えながら書くのはきっと大事だろうなと思う。

noteに小説を投稿するようになってから、この記事みたいなことを考えることが多くなりました。特に、素人が、web上に作品を載せる上で、人に読んでもらうためにはどうすれば良いだろう。読まれないのだから、読まれる工夫をしなきゃいけない。プロよりもっと。

どんな風に、どんなことを書くべきだろう。ただ自分の表現にこだわるのではなく、だからと言ってただ読みやすければ良いってものでもない。小説はある程度以上、能動的な態度を期待するものだから、相手の苦痛を取り除くことだけを考えると痩せる。でもその苦痛を喜びに変える工夫をしなければならない。痛気持ちいいみたいなのが良いんだろうな。

写真は使うべきだろうな、文字数は妥協したくないな、じゃあどこでこの時代にマッチしようか。そういう試行錯誤の一環で、この記事のようなことを考えました。

小説が目指す(と僕が思っている)普遍性を、この時代で輝く方法で表現できたらと考えながら書く。

色褪せない物語を、今の時代だから書ける方法で書く。

それが小説を書くロマンだと僕は思う。

プロから学ぶ小説のこと

「鮮やかさ」が一つのキーワードになる。

そう考えて見渡してみると、今活躍している作家さんはみんな(と言っても僕が好きな作家さんだけしか想定できてないけど)書く文章が鮮やかだと思う。というか、この時代に合っているからこそプロなんだろう。好きな作家さんの文章がヒントになる。

僕は勝手にストーリーや構成よりも「鮮やかさ」「華やかさ」「色彩」がプロの作家のすごいところだよなって思ってる。誰を想定しているかと言うと、桜庭一樹、舞城王太郎、森見登美彦。主にこの辺りの方たちです。

なんかみんな一般小説を書くのに、アニメ作品とも親和性がありますよね。文章を映像にしようとすると、頭の中に浮かんだシーンがビビットで鮮烈になる感じ(結果的にアニメ化の方が良さそうって思える文章)が大好きです。

あと最後に、頭にちらついていたけど都合により無視してた作家さんと作品があります。

万城目学。

『鴨川ホルモー』(2009)、『プリンセス・トヨトミ』(2011)『偉大なるしゅららぼん』(2014)と、要所要所で出てきて活躍してるんだけど、なぜか小説も映画も見てなくて、言及するにできなかった。リアルな日本を舞台にするとファンタジーが微妙に似合わないとさっき書いたけど、これらを見てから言えって僕の中で言ってるヤツがいる。

見なきゃ。

『告白』以降の邦画を見て思う「鮮やかさ」の変遷。小説の表現はどう変わる?(完)

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