伝わらないかもしれなくても恐れず書かなきゃな

自分で考える創作論

全力で出し惜しみせず小説書こうぜみたいなことをここ二三日で考えてる。

人がそれを面白い!って思うのは、きっと自分の全力が引き出されるからだ。

例えば卓球なんかやって、サドンデスに持ち込まれたゲームで異様にテンションあがってアドレナリンが出て緊張と興奮の間みたいな状態に陥るとき、面白い!って思う。

それは勝つか負けるかギリギリのところで、全力を出さなきゃたちまち負けるっていうラインに立ってるから面白いのだ。

小説を読んでもそうだなと思う。ギリギリついて行ける世界観がものすごく面白いと思う。

作者の全力。壮大な物語を繊細な気づかいで、伝えようとしているところに脳みそが喜ぶのだと思う。

その作者の脳みそのフルは、今全力で理解しようとする誰かのフル脳みそと共鳴して、「面白さ」が生まれる。

なんかものすごい精神論っていうか我ながら暑苦しいんだけど、何となくそんな風に考える時期らしい。

もしかしたら『うちのメイドがうざすぎる!』を見たからこんなことになってるのかもしれない。ロシア幼女に全力の愛を叫ぶ鴨居さんに影響されているのかもしれない。

理由は分からんけど全力で出し惜しみせず書かなきゃ、伝えようとしなきゃ、誰かの本気で理解しようとする人の脳みそを喜ばせなきゃ、と思う。

だけどこんな暑苦しいことを言っておいて、僕と来たら、表現するのが難しそうなことに挑戦する勇気がてんでない。

逃げ腰。分かりにくそうだなとか、奇抜すぎるなという構想はいつまでももったいぶってポケットの底に隠し持っているくせに、人に見せる勇気が全然ない。

端的に言って面倒くさいんだ。伝わらなそうなもの、伝えるのに骨が折れそうなものを考えるにつけ、それにあたるのが面倒くさい。力を振り絞る力がない。

だけど、そういう伝わらなそうなものを伝えてやるって、つまり自分にとって難しそうで、集中しないと失敗しそうなものから逃げて、本当に楽しく小説が書けるのかという話なのです。

小説を書くのが楽しくて楽しくて仕方ない状況を作るのは、やっぱり自分ではちょっと難しそうで、気を抜いたら負けてしまったり諦めてしまったりしそうなことにあると思う。

がんばろう。

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