面白いヤツになりたかった

すごく漠然と、「面白いヤツになりたい」と思ったことがあります。

ただユーモアセンスがあって「笑える人」とは違って、だからと言って身近な人界隈で変なヤツとか変わり者とか呼ばれるようないわゆる「面白い人」とも違って、小説とか漫画とか、あとゲームとかに感じるような面白いヤツです。

だからって例えば市場で認められるキャラクターとしての自分とかとも微妙に違う。

人の役に立ちたいってあんまり思ったことはなくて、サービス精神なんかも僕はそんなに持ち合わせてないはず。

言ってしまえば日常で人に面白いっていう評価を受けたい訳じゃなくて、贅沢な情報だとか、むしろ人を遠ざけるような一筋縄ではいかない性質とか、表現しようとすればするほどよく分からなくなるんだけど、なんかそういうクセのある面白さを身に付けたいなと思ったのです。

思いがけない到達点に向かう力みたいなのが欲しいって。

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引き出しが足りないという悩み

クセのある面白さを身に付けたいと思ったのは、単純に自分がつまらないなと思ったからです。

人と話すときに感じる変な引力と、それに抗えない自分がつまらないのです。

変な引力というのは、例えば「テンプレートな会話」でした。

対面する人によって、集まるメンツによって、その場で話される内容は何となく決まってしまっていて、なんか作業をしているような感覚になる。

場の力というか、組み合わせによってある程度未来の選択肢が決まってしまう感じがあって、でもそれは、間違いなく自分で選んで発した言葉、自分が考えて発していると思っている返答によって作り上げられている。

ケンカじゃないけど全部が全部「売り言葉に買い言葉」って感じで、一番ナチュラルな、違和感のない流れにいつもなってしまう。

これって僕の引き出しが足りないからだよなって思うのです。

極端な話、僕はこんなに簡単な運命も変えられないんだとか思って落ち込みます。

またつまらぬことを言ってしまった

もしかしたらこれは僕なりのサービス精神なのかもしれないけれど、誰かと会話した後、ああつまんないこと言っちゃったなと思うことが多々あるのです。

つまんないと思われただろうなとか、記憶に残らないんだろうなとか。

いつもいつもつまらぬ事を言ってしまったって五右衛門ばりに思っていて、知識が欲しいとか新しい発想が欲しいとか、いっそ違う人になってみたいって思うんだけど、いかんともしがたいキャパシティの小ささが影響してか、どうしても浅瀬パシャパシャの会話しかできない。

それでだいたいいつも申し訳なく思うんだけど、やっぱりこう内観していくと、人に取るに足りないと思われるのが嫌だって自我が強いんだろうなとも思うのです。

そういう、被害妄想に近い思い込みが屈辱感に近いものになって、イライラになって、書く行為に向かっていくというパターンが、僕にはある気がします。

壁を越えられない会話のもどかしさ

漠然としていてすごく抽象的な話になるけれど、大人になるにつれて何となく手続き的な、こなれた会話が増えるようで、壁を越えられないもどかしさがあります。

それは相手の心の壁とかとは違って、自分の壁です。

極端なことを言えば、会う度に違う人と話してるような、話題ごとに使う構文が変わっていくような、そういうめんどくささを自由に使えるくらい、会話するのが上手になりたい。

もちろん困らせたいんじゃなくて、新鮮な気持ちになってもらいたい、みたいな。

思いがけない到達点。そういうのに憧れる。

僕がそうなりたいという気持ちもあるけど、そういう人が現れないだろうかっていう期待も同じくらい大きい。受け身の気持ちも同じくらい。

こう、ぺりっと一枚皮を剥いたら目の前は全然知らない光景でしたみたいな驚きを与えてくれる人、アメコミのヒーローみたいに、ズバッと空を飛んできて、なんか訳のわからないものに巻き込んでいくような人。

もしくは、多分僕みたいに友達の少ないヤツは、夜中に電話がかかってくるとかさ、そういうことでも良いんだろう。

思いがけないことが恋しくなることがある。

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