星空とイルミネーション/田舎の魅力は価値ではなく、感性で語るべき

田舎ブームの昨今、田舎の優位性を訴える人は多い。

都会で何か良い思いをしたとき、ついつい、「都会じゃこうはいかないよね」と口走ったりはしていないでしょうか。

そんなとき、「ああ、この人は大人だな」と感じます。

良い意味ではなく、限定的な価値評価で物事を見てしまう、感性を鈍くしてしまった大人です。

損得勘定を通してしか感動できないのであれば、そう思われても仕方ないでしょう。

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かかるはずのお金がかからない

例えば、田舎にいれば贅沢な思いをすることはよくあります。

新鮮な野菜や魚介類をたくさん(無料で)食べられたり、(暗いし開けてるから)満点の星空が簡単に見えたり、細かいところで言えば(人がいないから)施設が貸切状態だったり。

同じものを都会で食べようとしたらとても高いお金を払うことになる。

満点の星空なんて、明かりの多い都会ではなかなか見られない。わざわざ見にいかなければならないし、そういう場所は人でいっぱいだったりする。

そういう意味では場所とか施設とかそういう場所がナチュラルに貸切状態になることも贅沢に感じる。

「都会じゃこうはいかないよね」という言葉の裏には、本来ならこれだけかかるお金や労力がかからなかったという計算の上に発されることがあるのではないでしょうか。

一旦そういう計算を挟まなきゃ目の前のものの価値が分からないのであれば、自分自身の価値観って一体どこに行っちゃってるのか。

一体いつ、どのタイミングで自分だけが感じる「好ましさ」の感覚を捨て、多数決の価値観の中で物を見るようになったのでしょうか。

意味分かんないか。

つまり、いかに多くの人が羨んだり価値を認めるものであるかという基準で目の前のものの価値を測ろうとするようになったか、ということです。

まだ分かりにくいかな?まあいいか。

関連記事→優越感なしでは人は幸せになれないのか/『鋼の錬金術師』が刺さる、何度も。

美しさは絶対的である

例えば星空とイルミネーションであれば、どちらの方がきれいでしょうか。

自然の美しさはいつも人工物の美しさを超越するでしょうか。

ここのところこのブログでは「創造性」が底に流れるテーマに据えているのですが、そういう観点で言えば必ずしも自然が人工を上回るということはないでしょう。

何も足されていない、編集も調整もされていない自然の姿は美しいものかもしれませんが、人は見たいものを見たいように見るという特徴がありますから、自然の景色を見ていても脳内にインプットされる映像は必ずしも自然(ありのまま)というわけではありません。

僕たちは五感を使って物事を把握しますから、雄大な景色を見たところで視覚だけを使っている訳ではなく、例えばそのときの温度や、風の強さ、においなどを総合的に頭の中でこねくり合わせて、恣意的な編集を加えた上で記憶します。

恣意的な編集というのは、例えばその雄大な景色を見たとき、隣に好きな人がいれば、おそらく記憶の中では必要以上にその景色が綺麗に見えているでしょう。

かえってそのとき寒かったこととか、足元に泥水がはねて不愉快だったこと、おかしなにおいがしていたことなんかが、何とも言えず美しい記憶として焼きつくこともある。

そしてそのときの記憶を絵に描いたとき、上手にその当たりを表現できていれば、その絵は少なくとも自然の姿よりは美しいということになります。

感情による「好ましさ」というファクターが加味されているからです。

ここのところ何度も書いているけれど、美しさや好ましさというものはいわゆる人類が便宜的に作り出した価値とは大きな隔たりがあり、損得勘定とか有利さと言った限定的で打算的な価値観で比べられるものではありません。

感性さえ研ぎ澄まされていれば、田舎にいようが都会にいようが美しいものを見ることはできるし、感性による編集能力が乏しければ、どこにいようとすぐに見るものがなくなってしまって、「都会じゃこうはいかない」というような下位の価値観、妥協的で無難な評価でその価値を確かめるしかなくなってしまうのではないでしょうか。

田舎の価値を訴えるのはやめて、感性で語ろう

田舎の魅力を伝えたいのであれば、世間一般に価値を訴えるのは止めた方が良い。

仮にそれで人が集まったところで、その人たちは与えられた価値を受け取って帰っていくだけだから。

つまり消費者的な人々であり、不便であれば問題視し、かけたお金に見合わなければ文句を言う、田舎には向かない人たちで、それでもなおその人たちへのホスピタリティを保障しようと思えば、どうしても都会的にならざるをえません。

人気になりそこに来る人が増えるということは、田舎が田舎であるが故に持つ贅沢さを損ねることになるのです。

だからこそ限定的な価値を訴えることに意味はなく、徒労が多くなるだけだと僕は思います。

代わりにどうすれば良いか。

費用対効果とか人数とか売上とかという限定的な価値に訴えることを避け、自分達が見たものをちゃんと伝えようとして語るのが良いと思う。

それは他者の創造性を刺激する伝え方です。

景色を文章で伝えるのであれば小説の一文の様に妥協なく、過不足なく、自分がそこから得た経験を100%伝えるつもりで語るのが最良で、写真であれば自分の目が捉えた編集済みの美しさを人に伝える工夫が必要。

「そんな景色を毎日拝めるなんて贅沢ですねえ」なんてインスタントな感想ではなく、

自分も同じところに行きたい、同じことを感じたい

と思わせるような説得力が、田舎に限らず、これからの多様な価値観に訴えるべきあらゆる分野で求められると思う。

創造性を刺激する伝え方というのはつまり、ただ内面を発露するのではなく、意識的に「共感」を作る伝え方であって、創造行為そのものなのです。

星空とイルミネーション/田舎の魅力は価値ではなく、感性で語るべき(完)

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