フィクション(作り話)と嘘の違いってなんだろう?

自分で考える創作論

小説は所詮つくりもので、嘘の話なのだからくだらないものだと感じている人がいるかもしれません。

小説はあまり読まず、関心も持てず、読む必要性も感じないと感じる人がいてもおかしくないです。

昔学校で本を読んでたら好奇の目で見られた人も多かったです。

自分は小説よりも人生で役に立つビジネス書とかノンフィクションを読むと言っていた人もいました。

良い本なら何を読んでも良いと思いますが、小説が人生に役立たないと決めるのはちょっと早いんじゃないかな?と思った記憶があります。どう役立つと言われると言葉に詰まるし、分かってても言いたくないなと思うので黙ってしまいます。

ところでこの、「言いたいことがあっても黙る」というのは嘘でしょうか。

とにかく、嘘はいけないことです。

嘘を吐くプロが小説家でしょうか。

ということは小説家はいけない仕事なのでしょうか。

そう言われると、そんなこと言ってないじゃんと言われるかもしれません。

小説家は嘘をついているのではなくて、フィクションを作っています。嘘ではなく、虚構の物語。本当ではない物語。

嘘のフィクションの違いはなんなんでしょうか。

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嘘とフィクション(作り話)の違い①

嘘は利害がある。

フィクションには利害がない。

僕たちが嘘をつかなければならない理由は、ほとんどが自分を守るため。次に身近な誰かを守るためだと思います。

つまり、嘘をつくことで自分か自分に近しい人に利益が生まれます。だから嘘には利害があります。

冒頭で話した、「言いたいことがあるけど黙る」のも、嘘の一つと言って良いかもしれません。黙る方が自分の身のためだと思っての選択ですから。

一方フィクションで語られる内容は本当ではありませんが、フィクションを構築しようとするとき、そこに個人的な利害はないです。

もちろん、作家が報酬のために小説を書くとき、利害が発生しているだろうという揚げ足取りの声もあるかもしれません。

その揚げ足取りは甘んじて受け入れます。言いたいことはあるけど。

 

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嘘とフィクション(作り話)の違い②

嘘は利害があるあがゆえに嫌われる。

フィクションは利害が存在しないから許される。

嘘の何がいけないって、嘘がまかり通ることで嘘をついた本人が得をする可能性があるからです。

また、嘘の被害者は損をする可能性がある。

嘘が利害から発生するというのは、こういうことではないでしょうか。

一方、フィクションがまかり通って得をする人はいません。

ホグワーツ魔法学校という場所についてまことしやかに書かれた文章があったからと言って、誰が損をするでしょうか。

楽しい気持ちになるばかりで、誰も損をしません。

あ、次の違いを発見しました。

嘘とフィクション(作り話)の違い③

嘘は嘘だと語られない。

フィクションは作り話だと語られる。

嘘はそれが本当であると信じ込ませるためにつくためのもので、嘘は嘘だとバレた途端に機能しなくなります。

一方フィクションは、作り話で、本当の話じゃないよという前提の上でまことしやかに語られるものなので、本当じゃないという前提を共有した時点で本領を発揮します。

嘘とフィクション(作り話)の違い④

嘘は現実を歪めるために使われる

フィクションは嘘を現実に近づけるために作られる

嘘は現実を歪めるために使われます。

説明が難しいですが、現実を歪めるということは嘘を目指して嘘は使われるものだということです。

目指すゴールが、現実とは違う、嘘を吐いた誰かが得をする世界を作り上げることです。

一方フィクションは、嘘を現実に近づけるために手を尽くします。

つまり目指すゴールは真実である、という点がフィクションの憎めない点だと思います。

真実を目指している。ときには現実よりももっと力強い真実を人に与えるためにフィクションんは作られる。

番外①意味のある嘘をつくタイプと、意味のない嘘をつくタイプがいる

ハンター×ハンターという漫画にヒソカというキャラクターがいます。

彼が「うそつきには二種類いる」と講釈する場面があります。

正確な引用ではありませんが、「意味のある嘘をつくタイプと、意味のない嘘をつくタイプ」と言います。

これは面白いなと思ったので、ずっと昔に読んだ部分だけどよく覚えています。

言われてみれば確かにそうで、僕は意味のない嘘をつくタイプの人です。妻によく、「なんでつく必要がない嘘をつくのか」と聞かれますが、特に意味はありません。

口から出るフレーズが本当ではないだけです。

意味のある嘘をつくタイプの人が身近にいると心強いです。

一方、意味のない嘘をつくタイプがいるとイライラします。そういう人は小説でも書いてればよいのだと思ったので小説を書くことを始めたという側面があります。

番外②作り話は虚しくない

意味のある嘘を求めて一日の集中力のほとんどを使い、カロリーのほとんどを使う人々がいます。

それが小説家です。僕はそういう生活がしたいと思って日々生きていて、これは嘘ではありません。どちらかというとフィクションを作っています。

真実のためにもっともらしい本当じゃないことを積み重ね、本当よりも本当らしいことを考えます。そういう人生が良いなと思います。

漢字の話をすると、「嘘」という言葉には「虚しい」という字が使われています。

フィクションが実を結べば、きっと虚しいという気持ちにはならないのだと思います。人々の頭の中でまことしやかに囁かれ、本当はまったく実体がないのに、まるで本当にあるかのような存在になるかもしれない。

嘘を吐きとおしてもそれは真実ではないので虚しいけれど、フィクションを書ききるとそれは真実に近づくので虚しくなくなる。

 

 

 

コメント

  1. うみのしんぺい より:

    考察、大変面白く読ませていただきました。さすが小説家さん!

    おっしゃっていた
    揚げ足取りへの対処

    フィクションの作者に報酬が発生する時はどんな風に考察されますか??

    面白い時間を過ごさせてもらったという点で読者に利が発生しているから、報酬が発生する

    という事かと推察しましたが
    ぜひまた面白いご考察聞かせていただけたら、幸いに存じます^^✳︎

    • K より:

      うみのしんぺいさん
      コメントありがとうございます。
      おっしゃる通り、報酬や利害というのは有形、無形どちらもありますね。少し話はズレますが、ここで考えたかったのは、小説家が書くのは別に「真実」でも構わない、ということでした。小説家が書くものは「フィクション」という基本というか前提があることで、本当のことを本当じゃないように書くこともできます。嘘であること、フィクションであることに意味はない。というようなことを頭に置いて書いていました。すみません長くなりました。

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