内田樹が娘に送った言葉が僕のこころにも響いた

内田樹『「おじさん」的思考』を読んでます。

18歳になり独り立ちする娘さんに向けた、「るんちゃんの旅立ち」というエッセイの中で、以下のような箇所があります。

ひとことだけ言葉があるとすれば、それはこんなフランス語だ。

sauve qui peut(ソーヴ・キ・プと読むのだよ)

これは船が沈没したり、最前線が崩壊したりしたときに、最後に指揮官が兵士たちに告げる言葉である。

「生き延びることができるものは、生き延びよ」

集団として生き延びることが困難な局面では、ひとりひとりが自分の才覚で、難局を生き延びる他ない。

これからはそういう時代だと私は思う。

最近僕は娘の教育についてわりと深く考えているのです。

まだ生まれたばかりだし、教育パパになる予定もないけれど、この先の人生、日本はどうなるのか分からないし、とりあえずこの通りにやっとけば大丈夫と言ったロールモデルもテンプレートはない中を生きていかなきゃならない娘の教育にプレッシャーを感じている。

例えばちょっと前までフリーランスという働き方がガンガン勧められて、あたかも夢がある生き方のように喧伝され、そのキラキラ感に当てられて大学を中退する人が多かったのに、最近ではフリーランスの真実だのフリーランスの闇だの、掌を返したようにフリーランスという生き方の負の面をコンテンツにする人が増えた印象。

かと言ってじゃあサラリーマンがなんだかんだベストなのかっていうと、働き方改革と副業禁止のコンボにより貧困を強いられている人がいると東京にいる先輩に聞いてゾッとしたし、公務員の給料じゃ生活が立ち行かない、みたいな話も聞いたことがある。

なんだ結局みんな揃って貧乏なだけじゃねえかって話かもしれないし、どんなときも発言が目立つのは「極」の立場の声であって、「サイレントマジョリティー」と言うように、物言わぬ大衆の声を聞かなきゃ真実は分からない。

でも仮にそのサイレントマジョリティーが別に裕福でもない代わりに貧困でもない、多分多くの人が適当な水準と判断する程度の生活を送れているとしたら、やっぱり良い学校言って、それなりの会社に就職を目指す、すでに崩壊したと言われる人生モデルを目指した生き方が正しいようにも思える。

でもそれは無難というだけであまり面白くないものかもしれなくて、そういうのを気にしない子ならば良いけれど、なまじやりたいことがあるタイプの人であれば押し付けることもできない。

いずれにせよ正しい生き方なんてものはなく、あるとしたらそれは自分で作りながら、つまり納得しながら生きるしかない。

「集団として生き延びることが困難な局面では、ひとりひとりが自分の才覚で、難局を生き延びる他ない。」

本当にそういう時代だと思う。

誰の言うことも信用しきらず、誰の言うことも疑わず、いろいろなことを自分の手と目で確かめながら、自分で自分のオリジナルの人生を作っていってほしい。

親である僕にそれができているか。そんなことをエラそうに伝えるような父になれるか。

言うからには僕がやってみせなければ。

 

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