20代と80代でまちづくり談義/価値観は少しずつ形を変えながら巡るって話。

この間コミュニティスペース「旧佐藤医院」でちょっとした晩餐会があったらしいんだけど、参加してたうちのばあちゃんによるとそこで何とはなしにまちの話になったそうで。

「ああいう風にみんなで集まって話したら新しいアイデアも出てくるし、みんなでまちをどうにかしようと思えば何かできるんだよね」とばあちゃんが言うから、僕はそうだねと答える。

「ただ、それも考えようというかなんというか、若干危険な香りも感じてて…確かに話し合いとかみんなで町の未来を考えるというのは有意義なようだけど、大勢で共通解を求めることにそれほど大きな意味があるのかとも思うよ、むしろ避けるべきことだと思うくらい」と僕は言わざるを得ない。

ある程度の人間が一堂に会して正解を求めようとすると、既存の、目標を立てやすい、例えば経済の発展だとか、移住人口の増加だとか、そういうものをゴールに据えるという流れになりやすい。

分かりやすいゴールを打ち立てる人の発言権が強くなりがちだし、何となく暖かい雰囲気とか活気とかそういうもっとファジーだったりエモーショナルだったりする部分について、たとえその場が聞く耳があったとしても、じゃあそのためにどうする?という段になればある程度の共通言語が必要で、感覚を削いだ形を求める必要があり、筋道を立てなければ始まらない。

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巡り巡る価値観

ばあちゃんと話すのは楽しい。歳は83?4?くらいのはずだけどまだ頭はクリアで身体も健康で頼もしい。

「今はとくに若い世代で『多様性』を求める人が多いように感じるよ。まちで言えば、みんなで一丸となって一つの地域というより、いろんな個が集まってゆるっと地域を形成するみたいなものに憧れる」

こんな話が恐ろしいほど80代のばあちゃんに通じる。

これが驚きだった。

でもそれは何てことない、実際にぼくのばあちゃんが若い時期を過ごしたこのまちが多様性に溢れていたからであって、僕はばあちゃんに何も新しい概念を言っているのではなく、結局歴史は繰り返すというか時を経て価値観が一巡したというだけなのだと思った。

僕とばあちゃんの間には50年以上の隔たりがあるわけだけど、この話をして「おお、僕は今ワンサイクルを見ている」と思ってちょっと感動した。

そう思ったので

「言ってしまえば昔の田舎に憧れるみたいなとこあるわ。前にばあちゃん言ってたでしょ、昔は魚屋さんとかお肉やさんは当然だけど、蹄鉄屋さんがいて、麹屋さんがいて…って。そういうのに憧れる。良い意味でごちゃごちゃしてて、人の個性や選択がそのまま地域を形作ってた。そっちの方が良いってわけじゃないけど楽しいと思う。普通に生きるだけで人を巡らなければならなくて、商品に用があったというよりは麹専門のあの人に用がある、みたいな」

「若い人はそういうのが面倒なんだと思ってたよ。人と関わったりなんだり」

「うー面倒だね。ただ面倒じゃない。これを説明するのは難しいけど、とにかく、別に若い人は他人と関わりたくないってワケじゃないし、むしろ寂しく思ってる。ただもちろん50年前と同じものを求めてるわけじゃないんだよねきっと」

関わりは求めてるけどしがらみは求めてない、みたいなことなんだろう。

あと、「自然に多様だった時代」から、「多様を意識する時代」になったのだと思う。そこにはちょっとデザインの気配がする。

幻のボタン屋さん

ところで、「時代」とかって言葉を使って、無暗に大きな枠組みで誤魔化すのはいい加減止めなきゃいけないかもしれないですね。なんか自分でうんざりする。

ばあちゃんに対して「時代」とか「多様性」という言葉を使うと空転する感じがしたので僕はこんな話をしました。

「ばあちゃん、例えばね、ここでボタン屋さんってやるの無理じゃない。それで生活していくのはとても難しいじゃない。でもあったら良いよねボタン屋さん。ボタンだけ売ってるボタン専門の変わった店。無くても良いけどあったらちょっと良い店。というかそういう店をやりたいって人が生活できる地域だったらと思うんだよ」

ボタン屋さんのことは昔見たことがあるから言ってみたのです。ボタン屋さんを見たことがって、取っ手が大きなボタンで、中には無数のボタンが色で分けられ、店内にグラデーションの虹色を作ってた。

僕に裁縫の趣味は無い、というか手先が不器用なのでボタン付けもできないんだけど、純粋に綺麗なお店で、この店が営業できる地域ってすごいなって思ったのは覚えてて、つまり多様が損なわれない何かがあることに憧れた。

「さっきみんなで正解を求めるのが危険な感じがするって言ったけど、つまり、そういう風にみんなでこういうのあったら良いよね、便利だよねって話し合った結果、大型のショッピングセンターができて、そこだけ行けば買い物が済むようになったんだと思うんだよ」

「便利だもんねえ。田舎は車無きゃどうしようもなくなったからこの歳になったら良いばっかりじゃないのも分かるけど」

「そうなんだよね、一時は大正解だったし、今も便利には違いないんだけど、一面的な正解でしかなかった。田舎の場合それでめちゃくちゃに犠牲になったのが個人のお店だよね」

都会には、というか人口が多いところはまだごちゃごちゃとした多様性めいたものが残っている。まえ東京でぷらっと町歩きをしてみたのだけどすごく楽しかった。

田舎よりよっぽど他人との会話や交流があったし、景色が色とりどり。田舎にあって都会に無いものなんてねえなって思った。

残念ながら、お年寄りが多く人口が少ないところでは大型ショッピングセンターの威力はすさまじく、便利になるのと比例するように地元のお店がなくなって、あっても地元で買うよりちょっと行ったところにあるスーパーの方が安いってなる。

「みんなで正解を求めるって、そういう危険があると思うんだよ。」

ボタンとコーヒーとホラーゲーム

「ボタン屋さんね。それこそ佐藤さん(コミュニティスペースのこと)に昔のボタンいっぱいあるんだわ」

「あそうなんだ」

「あの場所が、もしボタン取れたりしたときの思いだしてもらえるような、あそこだったらもしかしたら良いボタンあるかもしれないとか、ちょうどよい布切れあるかもしれないって思ってもらえる場所になったら良いと思うんだけどねえ」

「あー、そうね。まちにボタン屋さんとかは急に無理かもだけど、ああいう小さいスペースにそういう場所があって、ボタン選べるだけじゃなくてちょっとそこで作業できるみたいな、常にゆるっとワークショップやってるみたいなのがあると良いよね。ボタンってどれくらいあるの?本当にいっぱい?」

「いっぱいだよー。昔のボタンもあるからなかなか今探しても無いのがあるかもね。ああそれこそボタンとか糸とか、この辺りで欲しいと思ってもどこに行けばいいんだか分からなくて。大きいところ行けばあるんだろうけどねえ、どこに行けばいいかよく分からないよねえ」

ちなみにばあちゃんのいっぱいはどの程度を指すのか分からないのでまだ眉唾である。でも古いボタンってのは確かにありそうだから、もしかしたら自分で服作ったりする人には楽しいかもしれない。

「あ、そだ、ばあちゃん、今度友達が朝日(僕のまち)に来るんだよね。そんでそいつと、佐藤さんの二階の娯楽室あるじゃない、あそこあたりでホラーゲーム祭りやろうって言ってて」

娯楽室ここです。脱出ゲームの部屋みたいに意味深なアイテムいっぱいあって好きな部屋。

「ほらーゲーム」

「そう、面白いだろ、下ではばあちゃんたちがボタンいじってたりなんか裁縫してたりしてて、その上では30男が部屋閉め切ってホラーゲームやってんの。で、和室ではまた別の人がなんか、思いつかないけどなんかやってて、そういうごちゃごちゃというか全然違う人が一緒に同じ空間で過ごせるって良い環境だと思うんだよ。最終的には、まちもそうあるべきだと思うから、みんなが好き勝手やりながら一つの場が保たれてるってのが、現代が目指すまちづくり像のひとつだと思うの」

「はあー、違う世代が一緒に話す機会もあるかもだしねえ」

「そう、そこに例えば、コーヒー屋さんがコーヒー淹れて持ってきてくれる。コーヒー入ったよって言われれば下で一緒にコーヒー飲んで話したり話さなかったりする。全然違う人同士が、共通のアイテムで繋がったりする。だから色んな人が入り乱れる環境ってのは良いんだよ」

ばあちゃんとだいたいこんな話をして変に有意義で楽しかったよという話でした。

思い返してみると僕ばっかり喋ってる感じになってしまったけど、最終的には「うん、ボタンね、なんかボタンいいね、ボタンだね」って話して夜が更けたよ。

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20代と80代でまちづくり談義/価値観は少しずつ形を変えながら巡るって話。(完)

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