今らしい表現がしたい!日本に横たわる「淡さ」と、日本で映える「鮮やかさ」について

感覚100%で、「日本に横たわる淡さ」と、「表現の鮮やかさ」について考えます。

これは「時代感覚を身に付けたい」という切ない欲求から生み出された命題です。

僕は小説を書いていて、ブログを書いていて、まちづくりをしています。

どれをとっても「時代感覚」というものは必要だと思う。

必要だと思う理由はまだ分かりません。目立ちたいとか注目されたいという感覚よりは時代の仲間に入りたいという気持ちが強い気がします。この時代にあって、この時代らしいことをしたい。

この時代に映える表現とは何だろう、どんなものを見て、人はこころを動かすのだろう。

しかし、時代感覚に訴える鮮やかさの前には、まず背景として横たわるトーンがあるはずだと考えました。

多分なんにでも下地や基本と言うべきものがあって、その上にペタリペタリと貼ったり剥がしたりできる臨機応変なものが時代性なんだろう。

そう考えたとき、日本という国の下地として横たわっているのは「淡さ」だと思いました。

ではその「淡さ」の上で映えるものは何だろう。人の目が不意にとどまる鮮やかさとは一体なんだろう。

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日本には「淡さ」が基本のトーンとして横たわってる

日本には、「淡さ」が基本のトーンとして備わっているのではないかと思います。

もうここからしてかなり感覚的な話ですが、日本の景色はとても淡く、いつもモヤモヤとしたフィルターが一枚かかっているような気がします。

よかったら、日本らしく美しいと思う景色を思い浮かべてみてください。

桜とか、花火大会の夜とか、田園風景とか、海と砂浜とか、色々あると思いますが、僕は日本らしい景色と言われたら「夕暮れ時」をとっさに思い浮かべます。

その思い浮かべた景色は目にも鮮やかなくっきりした景色というよりは、淡く、柔らかく、何かに包まれているような印象はないでしょうか。

「いや、ない」と言われればもう何とも言えないのですが、僕はどんな景色を思い浮かべても、どこか淡くキリッとしない印象を持ちます。

夕暮れ時、ビビッドな焼けつくようなオレンジ色というよりは、淡く溶けていくような橙色を思い浮かべる。

例えるなら「フェード」がデフォルト設定にされてるカメラみたいな

日本の景色には湿り気が足されている。もしくは湿気が取り除かれていない。

でも湿り気と言えば印象が悪いな、何だろうなこの感覚は…と考えたとき、「淡い」というぴったりの言葉があることに思い至りました。

あくまで印象と感覚の話です。

印象と感覚の話というほど分かりにくいことでもないと思いますし、どちらかというと今更そんな分かり切ってること…という感じかもしれません。

でも僕にとってはこれを言葉にするのはそれなりの発見でした。

例えるなら、ずっとスマホの写真設定はこれが「デフォルト」だと思ってたのに、実は「フェード」の設定になってたよ、みたいな発見。あ、これ標準じゃなかったんだ、どうりで微妙に色薄いワケだ、みたいな。

風土的に湿度が高いというのは普通に事実なんだろうけど、その湿度が、あらゆる景色を淡く見せて、この土地を美しく覆っているのではないかというのは、僕にとって大きな発見でした。

淡さの中で立ち上がって、やけに目を引く、何か

では、そんな日本における「鮮やかさ」ってなんだろう。

どんな景色も鮮やかではあるのです。でもその鮮やかさってきっと「ビビット」というのとはちょっと違う。

さっき、僕は日本らしい美しい景色と言えば「夕暮れ時」を思い浮かべると書きましたが、その夕暮れ時を例に出して説明してみます。

きっとそれは、「夕日に照らされた帰り道、ふと振り返ると足元から黒い影法師が伸びていた」みたいな状況での鮮やかさだと思うのです。

つまり夕日が鮮やかというよりは、こう、夕暮れのようなそういう淡くて大きな状況の中で、やけに目に入る影の黒さ、のようなもの。

淡さの中から立ち上がってくる、一部分が浮き出たような場面。対比によってふいに焦点が合う何か。

こう言ってしまうと、「侘び寂び」って言いたいの?と思われるかもしれないです。

まあそうかもなんだけど、僕は「侘び寂び」の一言で納得できるほど風流ではないようで、言うなれば侘びも寂びも僕にとっては「淡さ」としか感じられず、今はそういう日本らしさを踏まえた上での「鮮やかさ」が無ければ、人の目を引くことはできないのではないかと思うのです。

この時代に映える鮮やかさを探して

この記事にとりあえずの結論を与えるとすれば、「鮮やかさ」を得るためにはまず「淡さ」を味方につける必要があるのではないかということ。

「(侘び寂びを含めた)淡さ」によく浸った上で、浮き上がってくるものは何か。

ところが、これはまだ僕の感覚というか直感の話であって、時代感覚に手を伸ばすためにはもう少し深く考える必要がありそうです。

その、「淡さの中で浮き上がってくる何か」こそが時代を表していて、それを救い上げるセンスこそが時代感覚なのだと思う。少なくとも影法師ではないんじゃないか。あまりにも昭和的なチョイスだなと思います。

鮮やかさがあることは認めるにしても、既に懐かしさがある。

この古臭い感覚こそが、「もう淡さに侘び寂びは含まれてるよね」と言いたくなる所以です。

影法師が素敵みたいな感覚はあると思うけど、この時代では特別目を引くような表現ではない、みたいな。

それなりに心に残る景色かもしれないけれど、もうそれは全然「淡い」の部類で、淡さが背景もしくは下地にどーんとある日本では、どんどんどんどんそういう風に淡さに浸食されていく気がする。

つまり相当の「鮮やかさ」が必要なんじゃないか、というのが今のところ考えていることです。

この話題はしばらく続きます。

今らしい表現がしたい!日本に横たわる「淡さ」と、日本で映える「鮮やかさ」について(完)

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