まちおこしは一過性のブーム、もしくは趣味のサークル活動

浦幌で考えたことは

町づくりのお手本「うらほろスタイル」に注目!でも参考にしちゃダメ。

だけではありません。

上の記事は基本情報的なものであり、そこから色々考えたことがあるので細かく認めておきます。

今回の記事は別に考えたという程のことではないんだけど、「まちおこしって所詮は一過性のブーム」だよなあと感じたのでそのことを書こうと思います。

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現在限りのまちおこしムーブメント

当たり前と言えば当たり前なんだけど人口が減って地方が衰退しはじめたからなんとかしなきゃなって始まったのがまちおこしムーブメントですよね。

実は僕が思ってるよりずっと前から「まちおこし」ってものは意識的に行われていたのかもしれないけど、多分それでも今ほど体系的にというか戦略的にというか、真面目に?笑 行われていたことではないと思います。

浦幌町はそんな一連のムーブメントの中でもまちおこし先進地域だと思うんだけど、まさにその件の地域にいるとき、皮肉なことに「まちおこしって一過性のものだ」「まちおこしに関わる人っていうのはこの時代特有の人種なんだ」と感じました。

だって、これから町が盛り上がっていくことが何となく肌感覚で分かるのですよ。もちろん確証はないけど、他のどの地域より王道な形で、まちおこし界を一歩リードしてるなって感じがあの町にはあった。

そうなる未来を想像すると、今まちのために何ができるだろう?とか、もっとこうしたら良いんじゃないかって考えている人たちの情熱って今限りなんじゃないかと。

ある程度軌道に乗って、何らかの形で発展すれば、そりゃそのときはそのときなりにやることとか考えることはあると思うんだけど、創業期というか、まだ全国的に言えばまちおこしについて模索中の今だからこそのこの感じって今しかないんじゃないかなと、うまくは言えないけどそういう意識が頭の中にスッと芽生えたのです。

つながりのある町

浦幌町は繋がりがとても整っている町でした。

実際、僕が浦幌町にお邪魔するということになったというだけで、教師である先輩が浦幌町の地域おこし協力隊の方に声をかけてくれて、協力隊の方は釧路の教育大に通う学生さんでまちおこしに積極的に関わっている方を二人ほど連れてきてくれました。

なかなか豪華なメンツでしょう。

また、温泉やスナックみたいな地域っぽいところにも連れていってもらったんだけど、そこでは立場とか職業とかを越えた町人同士のコミュニケーションの方法がありました。

ワークショップみたいな公的な場というもの以前に、私人としてやりとりができる場所でのやり取りが、実際にまちおこしを形にしようという段階での潤滑剤になる。

なるほどと思う。

だけどそういうことも踏まえて、「この段階は今だけだ」という意識がどうしてもありました。

魚群式コミュニティからマッコウクジラ式コミュニティへ

まちおこしの成功って単純に一括りにはできないと思うけど、単純に考えて、成長していく地域には様々な人が集まってくると思います。

旅行とか観光とか短期間の滞在をする人もいるだろうし、本格的に移住を決める人も出てくるでしょう。多くの人がそれぞれ独特な思惑を持って、何かを期待してその地域に足を運ぶのです。

様々な人が行き交い、多様な個性を内包する理想的な発展地域になったとき、当然、どこのだれが何をやっていて、何を考えていて、どんな人なのかなんて全然分からなくなる。

もしかしたら、今は「まちおこし」を積極的に行っているメンバーが人と人を繋ぎ、志を一つに町を引っ張っているかもしれません。

まるで魚群のように、そういった方たちが先頭となりみんなが一体となり、力を合わせ、中心的な頭脳が決めた方向に進むことが、言わば今の地方ができる最大の生存戦力なのかもしれない。

だけど、成長した地域というのはどうでしょうか。

それは単に構成員が増えるということではなく、個人個人が大きく、それぞれコミュニティは形成するものの決して大所帯ではなく、それぞれ独特な文化でもって独特な形を作りながら生きていくに違いありません。

同じところにはいても必要以上に干渉することなく、場合によっては正反対の位置にいたりして、とても地域が一致団結してという状態ではなくなる。

今の多くの地域が魚群式の生存戦略を取っているとすれば、一足先に発展を遂げた地域、もしくは都市は、クジラの群れ式の生存戦略を強いられることになるでしょう。

その頃になると、地域の方針を決めるのは「まちおこしに関心のある人」ではなく、それぞれのコミュニティが自分に適した環境を地域に作っていくという形になるのではないか。

そう考えていくと、まちおこしに関心がある人にとっての「地域」ってなんだろう?と思う。
実はそれも一つの、地域一体と言いつつも、局所的なコミュニティなんじゃないかと思う。「まちおこし」を趣味とする人たちのサークルとか部活、みたいな。

ちなみにこんな記事がありました。

マッコウクジラ、群れごとに文化を形成か

精神と文化が町を作るからこそ、地域の存続は難しい

町は土地の境界線にではなく、人の集まりにあります。

地域というものはただの入れ物ではなく、たくさんの人の価値観や、文化や、アイデンティティと言った精神的なものを抱え込んで何となくの形を成している。

まちおこしを必要とするような小さな地域であれば、構成員が志を一つにして、まとまって一つの地域の在り方を考えることは比較的容易でしょう。自分の地域ってこういうところだよねと確認し合うことはやろうとすればできる。

だからこそ「ここは自分たちの町だ」という認識もあれば、その地域を存続させようという意思も芽生える。

しかし、クジラ式のコミュニティーになれば、それぞれのコミュニティーは同じ地域にいながら、精神的には全く違う世界に存在するという部分が浮き彫りになる。

人には人の生活があり、猫には猫の生活がありながら共に暮らせるのと同じように、こちらの生活とあちらの生活は場所を共有していてもまったく趣はことなるのです。

もちろん、それぞれの頭の中にある「地域の形の認識」というものは若干ずつ異なるでしょう。僕にとってデスクは勉強や仕事をするところだけど、猫にとってはお昼寝の場所であるように、それぞれモノの見方は文化や価値観によって違う。

それでもなお、そんなものが浮き彫りになる未来でも、地域というものは皆で力を合わせて作るものなのか。

それでもなお、誰かが中心となって、地域一丸となって、一つの方向に頭を向けようとする必要があるのか。

それでもなお、「地域」というものは守り通さなければならないのか。

それは「まちおこし」に関心があるこの時代特有の、特殊な人だけが守りたい幻想なんじゃないか。

「地域」を守りたいと考える人が増えてきた今だからこそ、こういうことを考えるのも一興かなと思う。

まちおこしは一過性のブーム、もしくは趣味のサークル活動(完)

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