地域の輪って必要?

ここの良いところってなんですか~?

田舎訪問系の番組を見ていると、レポーターさんがよくこういう質問をしているのを目にする。

質問を受けたおじいさんとかおばあさんは、んーやっぱ人だね!人がいい!とか、自然が~、という返事をする。

レポーターさんは、やっぱりねーみたいな感じで満足そう。その地域の構えない人柄、暖かい空気みたいなものが画面から感じることができる。

まあでも。
だいたい、人がいいって別に田舎だけの特徴じゃないだろ。親しい人たちはたいてい良い人に見えるし、実際僕は悪い人ってそんなに見たことがありません。純粋に「みんな良い人だよなー」とか口に出して言ったことまである。

悪い人がいるのは知ってるけど。でもマイノリティだろうし、そういう人対策でみんな構えてるところはあるけどざっとランダムに見ても根は良い人ばっかりって実感があります。

悪いって言っても精神が腐ってるような人はほんと珍しくて、人より心が弱かったり、本気で悪いと思ってない人が多い(これはタチ悪いけど)。

一般から見れば怖い職業の人たちだって、仲間内では良い人で通ってたりするかもしれないしね。

不思議です。みんな良い人で、自分のことなんか後回しにして優しくしてくれたり、僕によって迷惑を蒙っても何でもない顔でいる人をたくさん知ってる。

優しいし優秀だし我慢強く気が弱いのに気前良い人間ばっかりに見えるこの日本が、不況って言うのがほんと不思議。こんな善良な人たちが不満を抱くことがあるのなら、システムの方に根本的な間違いがあるのではないかとなるのが自然だと思います。

こんな風に、その場その場で自分がいる場所の周りにはそれなりの人間関係があって、どこでも必ずと言って良いほど親しい人は出来るわけで、当然良い人だなーとか思う訳です。

知ってる人は良い人に見えるってだけ。田舎は人間関係が狭いし(知らない人があんまいないってことね)、お年寄りになるとその範囲は更に狭まってる可能性が高いことを考えると人が良いっていうのは田舎特有の持ち味ではない。

地域おこしって、その地域の人たちの連携だったり協力がなければ成り立たないように見えます。

地域の住人が手を取り合って、盛り上げて行こうという気風がなければ、なかなか盛り上がることはないし、そういうムードそのものがその地域の活気となっていくのです。地産地消を意識するみたいなこともその一環かも。

だけど本当に、「地域の輪」って必要だろうか。

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固い団結にげッ…って思った学生時代

目的によると思うけど、「地域の輪」って必ずしも必要という訳ではないと思います。

なんせ僕のこのブログも地域おこしの一環だけど、目的はよその人、若い人にこの町を注目してもらうことだからね。

想像してみてほしい。

地域の住人が手を取り合って、一つの目標に向かって輪になっている状況を。

それぞれが外を向いているなら良い。でもみんなが内向きに、キャンプファイヤーを囲んでフォークダンスをするみたいに手を取り合っていれば、一体だれがそこに加わろうと思うでしょうか。

その地域で行っている地域おこし活動や事業は、強固な団結力で支えられていることかもしれません。

だけどそれはどうしようもなくその地域のカラーとなります。それはもちろん良いのですが、意図しないカラーに染まってしまってはもったいない。

ことによると、完成してしまった組織やグループというのは人を寄せ付けない壁になることもあります。

学生時代、最初はばらばらだったたくさんの人がいつの間にかグループを結成して、僕はどこにも属せないままだったことを思い出します。卒業までずっと、僕は一人で大学の授業を受けてました。

勉強するにはそっちの方がもちろん良いんだけど、テスト前とかにはやっぱり孤独を感じたものです。テスト範囲聞くにしても、プリントのコピー取らせてもらうにしても、僕が入り込める場所はありませんでした。

かたまるということはそれなりのカラーをまとうと言うことで、別になにも言っていないにしてもそれはそこに入る資格というか資質が必要だという表れで、場に適応するのが苦手な僕にはハードルが高かった。

だからと言って僕は学生時代の数年間ずっとぼっちだったって訳でもなく、学校とは別でそれなりに居心地の良い場所はあったから、文脈から察する程孤独な人生でもありません。大丈夫です。

類は友を呼ぶって言うけど、それは本当の話しで、誰かを呼びたいならはっきりした類、カテゴリーを持っている必要があります。このブログは僕個人の「類」「カラー」を見てもらって、同じようなことを考える人を求めている訳です。だから余計なこととか個人的なことも書くし、文章は長めです。

人と人の輪みたいなものは大事だけど、外から見て、一体どんな風に見える輪なのかということは、慎重に考える必要がある。意図しないカラーに染まって、そこから抜け出せなくなるのは嫌。

僕の理想は、手を繋いでいる状態でもって形作るものではありません。

だけどあの人はどんな人で、どんなときに怒って、どんな風に優しい人なのかは知ってる状態。それは田舎の人間関係の狭さが生み出すアドバンテージでしょう。

キャンプファイヤー中、外に背を向けることには反対です。だって、自分たちがどんなに強固に手を取り合い、仲良く燃え盛る火を見つめて楽しかったとしても、口ではみんなであったまろうよ、自由に楽しもうよと言っていても、そこに踏み込むには異常な勇気がいることを僕は知っているから。

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