「文章を書くのが好き」って人けっこういると思うけど、どういうところが好き?

ぼくは文章を書くのが好きです。

だけど人類の中で言えば、その「好き度」は上位70%の中には入りますという程度だと思う。

「文章を書くのが好き」と答えた人に対して、「好き度」を測るチェック項目(例えば「寝食を忘れて書ける」、「一日5時間以上は文章に費やしてる」など)があって、チェックの組み合わせとか数によって「好き度」が客観的に評価できるとしたら、まあ70%くらいの人が備えてる程度の資質しか持ってないだろうなという自覚があります。

つまり「文章を書くのが好きだ」と言う人の中ではもっとも平凡な部類。

こういうこと言って恥ずかしくないのは、「でも好きって感覚も人によって違うし、客観的に評価できるもんじゃないよなー」って思うからです。

「僕が言う好きっていうのはもっとこう…」という風に、もっと詳しく、フェチズムを語るみたいに気持ち悪く伝えたいという気持ちがあって、人によっては「それって本当に好きなの?」って疑われる部類のことなんじゃないかなと思う。

この記事はまさにそういうことを書こうと思うんだけど、世にいる「文章を書くのが好き」っていう人はどういう感じなのかなということも知りたい。

僕にとって文章を書くってこういうことなんだけど、あなたの場合はどうなの?みたいな。

それって人によって多分けっこう違うし、僕には理解できないことかもしれないけど、伝わらない自覚があるから仕方なく「好き」っていう共通語に収めようとしてないかなって。

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文体診断ロゴーンで遊び過ぎたよ

しょっぱなから余談になりますが、文章の好き度を測るテストはなかったけど、文章を評価してくれるツールがあったから試してみました。

文体診断ロゴーン

というヤツ。

面白かったので良かったらやってみてください。

ちなみに自分のブログ記事の中では比較的アクセスが多い「夏目漱石『草枕』の冒頭は続きがかっこいい。芸術は尊い」の文章でチェックしてみました。

するとこう。

井上ひさしっぽい文体らしいです。嬉しい。

文章の評価もあって、本当はその下にもっと詳しく「平均文長」とか「平均句読点間隔」とかの評価があるのですが見てもよー分からないので割愛。

また、ブログの文章と小説の文章は違うので、自分で書いてる小説でも文体チェックしてみました。『漏斗』という作品で、書きかけなので冒頭を(チェックは5000字までなのでどっちにしろ全部は無理ですね)。

するとこう。

ブログの文章、小説の文章共に一致指数2位に有島武郎がいます。実はちょっと似てる自覚ある。ちなみにこれほんとかよ?って思って有島武郎の文章を診断したらちゃんと有島武郎一位になってたし、二位が井上ひさしだったからこの二人の文体がそもそも似てるんですね。

面白いなこれ。

評価が比較的高めで嬉しくなっちゃったので、『シープ・シーク・ダイアモン』という小説の冒頭でも試してみました。

阿刀田高かあー。読んだことないかな?ちょっとピンと来ませんでした。

でもちゃんと変わるのすごい。これは女子高生の一人称で書いたから、変わってないとダメだと思う。

面白くて時間食っちゃいました。評価の良しあしはあまり参考にならないような気がするけど、書いてて倦んできたなというときに診断してみるとちょっとモチベーションが上がって良いかも。

お料理も好きだからお料理で例えるけど、僕にとっての良い文章は「とろみ」なんだ

本題です。

僕が「書くのが好き」というときの感覚ってこうなんだって話がしたい。

つっても興味ある人いないよね冷静に判断すると。一時間前の僕なんでこんなこと書こうと思ったのか分かんない。よかったら「文体診断ロゴーン」で遊んだのちご自分の文章の研鑽に勤しんでください。

さて、僕にとって文章を書くときのイメージは、お料理のときに「とろみ」をつけるのに似ています。

文章って「ある概念」とか「ある気持ち」とかに輪郭を与えて人に渡せる形にするものだと思うんだけど、これが僕の中で「とろみ」をつけるのに似てる。

だから実は輪郭をつけるというほどかっちりしたものではなく、「麺に絡まりやすくする」とか、「お腹いっぱいになる気がする」程度のための作業が文章を書くことだと思う。

つまり、「人に渡せる形にする」というのも言い過ぎで、そういうイメージで言えばクッキーとかになるのかなと思うけど、僕が書くときにイメージするのは、お菓子で言えばフルーチェで、おかずで言えばマーボー豆腐とかそういうの。

僕料理も好きなんですが、とろみをつけるのってコツ覚えるまで難しかった記憶があります。

ダマになっちゃったり、全然固まらなかったり、とろみというよりはジェルかなって感じになっちゃったりして、「理想的なとろみ」をつけるのは難しい。

水溶き片栗粉をフライパンの中に流し込んで、それまでさらさらだった液状のものに適度なとろみがつくとすごい「やった感」がある。

書きたかった文章を書き終わったときの「やった感」ととても似てる。

書き終わるまで楽しいかどうか分からない

とろみつけるのって最後ですよね。

最後の仕上げですよね。

僕の感覚では、料理にとろみをつけるより文章にとろみをつける方が難しいので、未だにダマになっちゃったり、サラサラすぎたり、ジェル状になってしまったりします。

料理の最後にとろみをうまくつけられなかったら「あーあやっちまった」と思うけど、文章でも同じ。「あーあやっちまった」ということが非常に多い。

そして料理のときと同じように、うまくつけられなかったとろみを挽回するのは難しい。

文章を書いて「楽しい!」「やった!」って思うのは最後の最後でとろみをうまくつけられるかにかかっています。そしてそれがうまくいかないことの方が多いんだから、「楽しい!」も「やった!」も感じることが少ない。

とろみをつける前段階の、切ったり炒めたりの時点はまさに作業。楽しくない訳ではないけど、とろみをつけるというゴールに向かうための儀式っぽい。

そんでたいてい書き終わってから失敗したことに気付いて、「あーあ、やっちまった」と思うし、まあ食えないことはないわって思ってる。

それってホントに好きなの?

分かんないんですよね。

でも理想的なとろみがつけられたときは、「コツ掴んだかも」とか思っちゃうんですよね。

「文章を書くのが好き」って人けっこういると思うけど、どういうところが好き?(完)

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