「まちおこし」と「まちづくり」の違い

「まちおこし」と「まちづくり」の違いってなんだろう。

ある程度一緒くたにされてるのだろうし、興味ない人は考えてみたこともないことだろう。

僕だって定義を知っている訳ではないけど、このブログ内では一応使い分けているので、ちょっと自分なりに整理してみます。

もしこれらに関わっている方がこれを見てくれたなら聞いてみたい。

自分のやっていることは「まちおこし」活動だと思いますか?

それとも「まちづくり」だと思いますか?

いや考えたことねえなあ、どっちでも良いんじゃない?という方が大半だと思いますが、

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動機の違い-まちおこしは「外」、まちづくりは「内」

「まちおこし」の動機は外側にあると思います。

つまり世間に認められること、お客さんを呼ぶためのあれこれ、国の問題を解決するための具体的方法(移住促進や育児支援みたいな?)。

一方、「まちづくり」の動機は内側にあるのではないでしょうか。

自分の部屋を快適にするためにあれこれやるのと同じ感覚。

掃除をしたり、模様替えをしたり、センスの良い雑貨を置いたり。

他人の欲求を満たそうとすることなのか、自分の欲求を満たそうとすることなのかに、まず違いがあると思います。

「んーでも、はっきりどっちとは言えないなあ。誰かお客さんとか来てくれる人に喜んでもらえたら嬉しいって思うし、やっぱり分ける意味ってないんじゃないの?」

そうですよね。よく分かります。

これってもしかしたら、「女性のお化粧は誰のためのもの?」みたいな話に近いかもしれませんよね。

 まちおこしとまちづくりの違いはない?混同する気持ち

このタイミングで言うのもなんだけど、この記事内の話はあくまで僕なりの理解なのであんまり鵜呑みにしないでくださいね笑。

まちおこしはこうで、まちづくりはこうだー!って言いたいわけじゃなくて、僕はこれくらい違いがあると思うなというお話です。

さて、「まちづくり」と「まちおこし」は混同されているような気配があります。

別に区別なんてないんじゃないの?って感じの人も多いでしょう。

どうしてか。

その理由は以下のようなものになるのではないでしょうか。

上述したように、相手の喜ぶことをするのが自分たちの喜びで、動機に内も外もないよってパターンがあるから。

外から見た分には、やってることが一緒だったりする。

つまり、この町に素敵なカフェがあったらいいなとか、こういう子育て支援の仕組みがあれば楽だなーと個人的に考えたことも、観光客を集めたいからいい感じのカフェ作ろうとか、子育て世代の移住のために子育て支援の仕組み整備しようとすることも、見た目は一緒ということ。

いざ作り手、アイディアの発信者になってみれば、動機に内も外もなく、それらは噛み合ってないとうまくいかないという実感がある。

だからまちおこしはまちづくりだし、まちづくりはまちおこしになるんじゃなかろうか。

まちおこしに飲まれるまちづくり

動機が外側にある場合と、内側にある場合では、どうしても外側に動機があることの方が尊重される傾向にあると思います。

だって町って公共のものだし、その町のことを考えるとき、自分本位に考えるか、人様のことを考えるかで言ったら後者の方がなんか正しいような気がするし。

それに各自治体の財政難とか、都市に集中する人口とか、そういう社会的な問題解決の一旦を担えるポテンシャルが地方にあるのだと言われれば、それに応えたくなる気持ちもある。

加えて単純に自己満足よりも世間的に認められることの方が価値があるようにも思える。

自分のために料理作るより、やっぱり人に美味しいって言われた方が満たされるところがあります。

だから「町をどうにかしたい」と僕らが叫べば、自動的に社会的に有意義なことをするものだろうという共通認識があるのではないかと思います。

つまり何が言いたいかと言うと、たとえ言葉が区別されていたとしても「まちづくり」っていう活動に覆いかぶさるようにして、「まちおこし」という概念があるという感じ。

では次に、「まちおこし」が招くのはお客様、「まちづくり」が招くのはお友達という違いの考え方はどうでしょうか。

「まちおこし」が招くのはお客さん

外側に動機がある状態と内側にある状態。

これらは混同すると言ったけど、「まちおこし」と言うと、極端に動機が外側に向かっているような気が僕はします。

なぜかと言うと、あんまり外からの評価、数値的な評価を目的にしてしまうと、遊びに来る方はみんな「お客様」になってしまう気がするからです。

ようこそおいでくださいました、どうぞごゆっくりお寛ぎくださいませというサービスになってしまうのではないか。

この町を気に入ってくれるのなら誰でもウェルカムだし、来てくれた人をどうもてなすかとか、それは動機がどこにあろうとやることはほぼ同じなんだけど、お客様を相手にしたとき、既に自分の町は自分の町じゃなくなるんじゃないでしょうか。

それはもう、お客様のものでしょう。

僕はまちの人口増加とか観光客数にまったく興味がありません。観光協会や役所にいたら違うかもだけど、そういった数値の増加が普段の暮らしで自分に関わらないからです。

「自分のまち」「自分が好きだと思う町」「暮らしていて気持ち良いまち」をつくりたいので、僕は意識的に「まちづくり」という言葉をこのブログでは使っています。

「まちづくり」が招くのはお友達

インドア派のまちづくり

でもちょっと書いたのだけど、僕は自分のまちに人を招き入れるとき、友達を自宅に招き入れるような気持で「ようこそ」って言いたい。

だって「自分の」町なんですもん。

もちろん町は公共?のものであることは分かってるけど、みんな自分の町は自分の町だと思ってるはずです。

だから、もちろん遊びに来てくれる人には心地よい空間を作ってあげたいし、面白いこととかくつろぎとか、ちょっとした飲み物とかそういうのをあげたいと思う。

これは内側に動機がある状態だと思います。

自分の満足のためのあれこれです。それが結果的に相手の満足に繋がるとしても、やっぱり自分ありきだと思う。自分勝手な性格ですね。

だけどそのあたりを取り繕ってもしょうがないなと思います。

ぼくは自分のまちが好きで、自分のまちを自分が住みやすく、楽しくするためにいろいろ考えたりしています。

お友達を招くようにまちを作っていきたいので、「気の合う人」を求める気持ちもあって、こんなブログを書いています。

対価とサービスの交換ではなく、場所としてうちの人とそとの人がお互いに気持ちよくなれるような環境を作れたらよいなと考えています。

「町おこし」と「まちづくり」の違い(完)


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コメント

  1. 樋口 より:

    町おこし。この言葉は
    「町を他の人たちにも知ってもらう。」
    という意味で使われる事が多いと思う。

    もし誰かを呼びたいなら、まずは町をつくる必要がある。最低限の「町づくり」。
    本来はこれこそが、町「興し」ではないか。

    その上で町の中に、よそ者にとっても「居場所」になる場所や行事があれば、外から人が来ることもできる。

    • kzy より:

      コメントありがとうございます。

      「町興し」から「町お越し」へ。

      順番が逆になって、どうにか町に人を!というところだけ考えてしまうと、肝心の「町興し」が疎かになるかもしれませんよね。