メンターって言葉を知ったのは、実はすごい最近です。

先日、大学時代の先輩に会いに帯広の方まで行きました。

この方は教師です。

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メンターという言葉が頭に引っかかって

考えてみれば、僕には教育者の知り合いがすごく多い気がします。大学時代に教員免許を取ろうとしたとかじゃないけど、気付いたら教育に携わっている人が周りにけっこう多い。

人気職だからだろって思うかもしれないけど、僕がたまたまそういう方たちを親しみやすく思う傾向にあるって気がします。

昔からわりと先生には恵まれてるって思うので、そのせいかもしれません。

で、この帯広の先輩が話しの流れで言った「メンター」って言葉が頭から離れない。

実はメンターって言葉を僕が知ったのはつい最近で、去年の10月くらいのことでした。

ある占いの本を借りて読んで、僕の星座の運勢を見ると、「12月にはメンターが現れる」と書いてあるではありませんか。

その占いの本、下半期の運勢が月毎に書いてある。

10月に読んだからほとんど過ぎ去りし日々の占いなんだけど、だからこそ当たってるのが分かる。ちょっと気味悪いわってくらい当たってる。

じゃあ当然、12月にはメンターが現れる。

メンターの意味は分かんないけど、12月に僕の前に現れる何かがメンターに違いない。見たら分かるに違いないって思ったもんです。

教えるとは違うメンターという役割

さて12月、メンターが現れたのかと言うと、よく分からないです。

というのも、僕の周りにはメンターと呼ぶに相応しい方たちがもともと多いような気がするのです。

「指導者」、「助言者」、「導いてくれる人」

もちろん単純に「教師」のことではなく、僕に的確なヒントを与えてくれる方たちです。

僕はそういう人たちに恵まれている気がする。

感謝、と言えばそれまでなんですけど、田舎まちに必要な教育について愚考し始めた僕の前で「メンター」と言う言葉を太字で使った先輩は、僕にヒントを出そうとしたに違いありません。

そう、メンターを見つけるコツは、都合よく解釈することです。

本人が書いて良いと言ったので割とピンポイントに先輩の話しを書くけれど、僕が思うに、彼はメンターなのです。

僕のという訳ではなく、社会的にメンターという役割を負っている人間です。

導く、ヒントを与える、出会わせる。
かき回し、揺さぶり、放置する。

例えば子供に仕事というものを考えさせるとき、まず世の中にはあらゆる仕事があるということは気付かせないとならない。

実際に世の中にはこういう仕事をしている人がいて、こんな風に仕事をしているっていうことを肌感覚で学ぶ機会を作る。

教師はその仕事を知っている必要はなく、できる必要もないけど、そんな仕事を見せる手段、仕事人を見る機会、話す機会、体験する機会を与える。

仮にその仕事に興味を持てば、その仕事をするためにはどうすれば良いか、どんな能力が必要か考えさせ、考えるための道筋を示してあげる。

答えを与えるのではなく、子供一人ひとりの志向に沿った道筋をそっと示してあげる。

先輩が言った言葉を一言一句違えずに書こうと思いましたが、おそらく失敗してるでしょう。

しかし、こんな文脈のことを言っていたはずです。

先輩が働いている地域では、総合学習に力を入れているらしく、子供が職業について学び考え、道を選ぶという過程を実践できる生きた学習がされているようです。

もちろん、仮に生まれ育った土地で生きたい、何か仕事をしたいと言う子がいるなら、その道筋や方法や手段を考えられる子になる。

そんな学習を学校で行っているという活発な地域に先輩はいます。

 道なき道に明りを灯すような

人生やることなすこと、正しい道や間違った道、正解や不正解なんてものはないのでしょう。

先生は確かに○とか×をつけるかもしれないけれど、それはぺらぺらの紙の上の話しです。

誰の周りにも360度、前後左右上下、そして過去未来と道は広がっていて、誰もがその中からたった一本の道を選ばなくてはならないというハードなルールのある現実で、誰が正解・不正解を判断できるでしょうか。

正解のない道ほど怖いものはありません。
誰もが道なき道を進まなくてはならないですし、道なき道を進むことほど体力を消耗することはないのですから。

だからこそ、優れたメンターが必要なのでしょう。

この道を行けとか行くなとか言うのではなく、後について来いと言うのでもなく、迷ったときはこうすれば良いんだよ、引き返しても良いんだよ、途中までならあの人が乗っけてってくれるよ、そのまま行ったらケガするよ、ということを教えてくれる人です。

先輩はそういう仕事をしているのだと感じた帯広行だったのです。

当然、そういうヒントをくれる人は多い方が心強いです。

教え導く人というのは教師でなくても構わなくて、誰もが誰かのメンターになれるのだと言うことを僕は肌で感じています。

教育者の知り合いが多いけれど、僕にヒントをくれる方はその分野の人ばかりではありません。

去年の10月、僕がメンターという言葉を知ってから、僕の周りにはヒントを与えてくれる人が現れだしました。

占いが当たったとも言えますし、占いに操られたと言っても良いでしょう。

メンターが現れると書かれてはいたけれど、12月になったらメンターに目を凝らせと言われたのかもしれません。

探偵小説で見かけるメンター

今回の帯広行で与えられたヒントはなんだったのでしょう。

メンター…田舎…仕事…コミュニティ…教育…Iターン…Uターン。

こう見ると、メンターという概念は朝日町にも必要なものに思えて仕方ありません。

何と言うか、田舎まちで人を伝って何かするって部分に既視感があったんです。メンターって言葉を聞いて、それと田舎まちを組み合わせたときに思い浮かんだものがある。その感覚知ってるぞっていう感じです。

自分で経験したことなのかもしれないけど、何か違う…。もっと整ったものです。

そう考えて思いついたのが、探偵モノの物語でした。

探偵モノってよく警察以外の探偵さんが勝手に捜査しちゃいがちなんですが、どれもけっこううまく行きますよね。

表面的には捜査の権限を与えられていないのに、まんまとヒントをかっさらって、手がかりを得て、事件を解決してしまう。

まったく手がかりのない状態からスタートして、少しのきっかけで次にやるべきことや話しを聞くべき人が見つかって、そしたら新たな謎や新事実が見えてきて、なんとなく事件の輪郭が見えてきたとき、はじめに聞いた話が大ヒントになってたりする。

都合の良い展開に見えるかもしれませんが、リアリティがあるからこそ面白く、行くべき道筋が生まれる過程を探偵さんと共有できるのが面白い。冒険してる感覚があります。

探偵モノに限らず、どんな物語でも主人公は新たな人との出会いがあり、思いがけない印象的な経験があります。

真実を探す過程で巡り合う人々は、言わば全て探偵にとってのメンターなのではないのかと思いました。

物語に介入する人はメンターになり得る

人との出会いや思いがけない経験に導かれ、小説の主人公は魅力的な自分の物語を全うすることになる。

そう考えると、メンターというのは作家であって、観察者であって、ときには登場人物そのものとなって、他人の物語に介入することができる存在のことを言うのかもしれません。

道を示しヒントを与えることで、主人公の物語を加速させ面白くする力を持ちます。物語そのものに対する影響力を持ち、ある種の責任を持ちます。

ならば、田舎まちという比較的狭いコミュニティの方が濃く面白い物語を作ることができるのではないか、という漠然とした予感が生まれた、ということです。帯広でメンターという言葉を聞いたときに。

人と人との距離の短さが田舎のイメージとしてあると思うけど、それって、物語を面白くするには不可欠な要素なのではないかと思うのです。もちろん適切な距離ってのが大事だと思うけど。

前回の記事の内容にも重なるけど、「個別よりも全体の調和」とか、「議論より物語」って部分を大事にするのは、やっぱりこれからの時代の田舎まちには特に必要なのではないでしょうか。

 ♦

それにしても、先輩はじめ、僕の知っている教育の道を歩んでいる方たちの仕事っていうのは大変なものだなと思いました。

だってたくさんの子供の人生を物語を、面白く魅力的にする権限と責任があるのだから。
僕の言い分ではだけど。

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