何もない田舎にはなにがないのか

自分の田舎に対しては、「何もない」というのは一種の礼儀だ。
謙遜だ。つまらないものですがっていうあれと一緒だ。

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自分のモノ(コト)けなされるとムカつく

だからあなたが田舎を訪れたとして、ここね、なんもないんだ~なんて言われても、絶対に「ほんと何もないですね~」なんて言ってはいけない。

たとえそれが良い意味でも。

自分のものはけなしていいけど、他人のものはけなしちゃいけない法則ってありますよね。

そんなことを過去に実感したことがあって、そのときは道外の方と話してたんだけど、その人が、「私こないだ札幌はじめて行ったわー」みたいな話をはじめたんです。

僕は札幌出身ではないけど、学生時代から数年住んでるから、やっぱりそれなりに愛着はあります。

道外の方から見れば、僕だって十分地元と言って良いんじゃないかってことで、はいはい札幌ね、みたいな感じで話聞いてたわけです。

ああそうなんですか、どうでした?みたいなことを言うと、

「3月くらいやったんだけどな、いやー札幌道路の雪とか真っ黒やんな?ぜんぜん綺麗じゃなかったわ。建物の中も暖房で熱いし・・・」なんて言われて、なんかもう苦笑い。え、言う?そういうこと。

なんか知らないけど僕すごい言い訳めいたことばっか言ってました。確かにね、冬も終わりかけの2月とか3月になると、札幌の道路黒いです。

滑り止めの砂いっぱい撒くし、だんだん雪も降らなくなって、むしろ溶けていって、その砂ばっかりが目立っちゃう。街中はね。

建物も、そりゃ暖房はたくんだけど、お店の人たちは季節先取りして3月ともなればけっこう薄着だし、熱気って昇って行くから階を上がるにつれてすごい暑くなる。

だから札幌で買い物とかするときそんな厚着しない。少なくとも上は脱ぐ気で行くよね。

そんなことをぺらぺらと。

いや確かにね、僕もユニクロあっつ、とか言ったことありますよ。なんか気持ち悪くなってきたとか。

春前には道路きたねえなーって思ったこともある。

だけどそれよその人に言われたらなんかいい気しない、僕だって札幌の人から見たらよそもん田舎もんなんだけど。

普通そういう欠点みたいなことは親しい人が言って、訪れた人はフォローするもんじゃないの?

僕がぺらぺらとまくし立てた言い訳みたいなことを言ってくれるもんじゃないの?

僕の根性が甘ったれてるの?

って心の中ですごい腹立ってました。

すいませんこれはあまり本文に関係ない余談です。

田舎にあって、都会にないもの?

冷静に考えて、田舎にあって都会にないものってあるでしょうか。

例えば、田舎は自然が豊かだっていうけど都会にだって自然はある。

どこだって実際に栄えて人いっぱいで眠らない街みたいになってるのはごく一部で、少し郊外に出れば木々が鬱蒼としてるものです。

全地域を見た訳じゃないから分からないけど。でもパッと見緑色でしょう、日本列島って。

それどころか、都会は自然を美しい形で保存している気がする。なんちゃら公園とか、なんちゃら緑地とか植物園とかだってある。おいしい水?売ってんじゃん。しかも世界各国の美味しい水が買えるよ。

正直、田舎にあって都会にないものってないんじゃないかなって思う。

じゃあやっぱり都会の方が優れているのか?

答えはもちろんノーです。

人によって、都会の方があってたり、田舎の方がいいなって思うことがあるから、「もちろんノー」とか言うのもおかしいんだけど、それでも田舎と都会と比べると、やはり違うところはある。

「自然」を例にして、違いを言葉にすれば、田舎は「自然のままの自然」、都会は「人のための自然」がある。

どちらが便利かって言うと都会。なんせ人のための自然だから。

本来、自然ってみんなのもののはずです。
それはもう、誰に何を言われるまでもなくそう。

「使用する」という前提に立って言い換えれば「公共」のもの。
保有者とか管理者はいるんだろうけど、それは置いておくとして。

人のためにあるから付随して色々と必要に…

公共のものには秩序が必要です。

都会では人が多いから、例えば自然と触れ合えるような公園でも、本来言わなくても良いようなルールを説明しなければいけなくなる。

公園は公共の場所です、きれいに使いましょう、みたいに。

見えないルールもたくさんある。犬の散歩ひとつするだけでも、他の犬と擦れ違う確立も高くなれば飼い主同士のコミュニケーションも必要になるだろうし、そういうのが煩わしければ混む時間帯を避けたりもする。

お散歩用のそれらしいウェアも必要だろう。都会では散歩してる人は散歩してるっぽい恰好をしなくては示しがつかない(僕はけっこうこういうところ気にする)。人に見られる準備みたいなものが必要です。

人が多ければそれだけ、環境を維持する難易度は高くなる。

ゴミを捨てて行く人は絶対にいるから、ごみ箱は設置しなくちゃならない。

ゴミ箱がおいてないところは、ごみ箱もないのかよみたいな悪態をつかれたり、ごみ箱ない方が悪いって適当なところに放置されたりする。

人が多く利用するところには、それなりの「管理・サービス」だったり「人同士の気遣い」が必要になる。

そもそも、たくさんの人が使用する場所だから、綺麗に舗装したりこまめに掃除したりする訳だから。

田舎にあって都会にないものってほとんどなくて、自然のままか人のためかって「違いがある」程度なんだけど、人のためにした途端付随して色々なものが必要になるんですよね。

何もないのがいいところ?

公共の場所での振る舞いは田舎だろうが都会だろうが同じはずです。それも「自然」を相手にするならば、ごみを捨てないっていうのは当たり前のこと。

だけど自然を「使用する人」が多いと、そんな当たり前のことまで明文化しなければ伝わらないし、明文化したところで守らない人が存在する確率が高くなる。

だからこそゴミ箱が必要だし、わざわざ立て看板まで用意しなければならなくなる。環境を維持するために必要な「モノ」が増える。

田舎はどうだろう。

環境を維持すると言っても、自然は自然。人が使用するという概念が乏しいために、使用を前提とした環境整備はしない。

自然に用があれば、勝手に触れ合って来いというのが田舎です。

当然、痕跡は残さないという最低限のモラルを持って。だから、田舎には明文化されたルールがない、ところが多い。(だから不法投棄も多いんだろうけど)

人のための自然ではないから、整える環境なんてない。自然は自然のままで整ってることになる。

だから虫は多いわ無理やり入ったら雑草とか薮が足にまとわりついて痒いわ最近話題にあがりがちなマダニだっていっぱいいるのでしょう。

だから田舎は(ルールとか人同士のマナーとか)何もないし、(使おうとすれば)不便だけど、いいところだ(自然がそのままだから)、という文脈になるんだと思う。

田舎と都会、あるかないかで言えば、都会の方が確実にあるものは多い。

だけど、ないものは少ないかもしれない。本来不要に見えるものがある都会を、煩わしい不文律が多い都会を、田舎の人は冷めた目で見るのだと思います。

でも田舎だって、単純に人が増えれば必要になってくるものがあるはず。

「何もないのがいいところだ」なんて、悠長なことを言ってはいられないかもしれませんね。

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コメント

  1. 樋口 より:

    [何もない町にないもの]
    1.「人の多様性」
    色んな人がいると、幅広く色んなものが必要になる。その人たちをまとめる組織や規律も必要になる。
    多様性がないなら限られたものだけあればいい。最低限があればいい。

    2.「選ぶ機会」
    生活必需品でも教育でも、医療でも娯楽でも、より良いものを選びたい。そこに幅がなければ、術さえあれば外に出る。
    外に出る術のない人が多い所では、競争も比較もない。

    • kzy より:

      ≫樋口さん

      コメントありがとうございます。
      読みにくい文章を補填していただきました。

      「人の多様性」「選ぶ機会」

      選ぶ機会が用意されているから、多様な人を受け入れられる地域になる。
      多様な人がいるから広い選択の幅が整えられる。

      この相互関係があるのが良いのかと。

      ただ都会化するのではなく、いわゆる田舎の良さを活かしつつこの二つの要素を持つためにはどうすれば良いか、というのがテーマだと思います。