自分が何者になりたいのかが分からず、何事にも覚悟ができない。

僕は自分が何者になりたいのかが分かりません。

こうしてブログ書いてると本当に色々と迷ったり悩んだりするんだけど、このブログ書いてどうしたいの?という気持ちはすごく強い。

人気ブロガーになりたいの?

ライターとして一目置かれたいの?

それとも創造とかよく言ってるし、作家になりたいとか?

こうして並べてみると、とにかく書くことは好きで苦にならず、文章に携わることしか考えていないことはよく分かります。

だけど、さあどれ?選んで選んで!と言われると、うーん、ってなってしまう。

どれも魅力的なんだけど、何者かになる勇気がなくて尻込みしてしまう。覚悟ができず子供らしい。全部、かなあ。いや、てかそれ今決めなくちゃダメ?って思ってしまう。

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何者かにならなければならない。名刺を作らなければならない。

例えば人気ブロガーを目指すのだとしたら、もっと記事の拡散とか、タイトルのキーワード選定とか、それ以前にウケそうなネタ探しをしなければならないと思いますが、あまり意識してません。

と言っても全く意識せずにいられるかというとそうでもなく、前回の嵐の記事だってもっとターゲットを意識したタイトルつけなおしてみようって気まぐれに思って久しぶりにターゲットプランナーとか開いて付けなおしてみました。

やっぱり書いたものが誰かの役に立つと嬉しいし、多くの人に読まれたい願望はあります。でも月何万PV達成!とかって記事を見ると「ブロガーっぽい」って思ってそうならないようにって考えてしまう。

ライターとして有名になりたいなら、もっとライターらしく活動すべきだと思う。自分を売る作業というか、自己アピール的なこと。仕事ください、こんなの書けますって。だけどこのブログにはプロフィールすら書いてない。やっと投稿者名を本名にしたくらい。

作家になりたいという気持ちはずっとある。作家という職業に憧れがある。それならブログなんて書いてないでこの文字分まるごと作品作りに注ぐべきだと思う。

結局のところ本気で何者かになろうとしてないんじゃなくて、何者にもなる自信がないのです。名刺が作れないのです。

どこを目指す勇気もないから、とにかく自信をつけたくて、苦にせずに済む「書く」という行為を続けているに過ぎず、いつか誰かが僕の価値を見出してくれるだろうとか甘えたことを考えている。

何者にもならなくて良いじゃんって思える僕かっけー

鬱で卑屈な僕はこのように考えるんだけど、一方で僕には別に何にならなくてもいいじゃんという開き直った人格もあります。個人的にはこっちの自分の方が好きです。

だって、僕は○○ですって言うのは他人の理解を助けるための方便であって、あらゆる所属に興味がないどころか一種の脅迫観念的な恐れさえ持ってる僕は自分から積極的にそういうのを拒否し続けているのです。そこにプライドがあるとすら言える。

前回とか前々回の記事では嵐のことを書いたけど、「嵐のファン」とか、いつかの記事に書いた「ラーメンズが好き」とかって言うのにも実は僕には少し勇気がいります。「ジャニオタ」とか「信者」とか言われるのが嫌なのかもしれません。

子供の頃、部活に入るのにもすごい抵抗がありました。

就活の時期も、会社に所属することなんて一切考えられず逃げ回った。

とにかく「こういう人なんだ」って思われるのが嫌で、固定されるのが嫌で、名乗って呪われるのが怖い。

要するに何なんだお前はって言われたら、ムカつく顔で「知らないょー」って言ってやります。

人のことを大ざっぱにではなく、ちゃんと理解したいと考えるのは多分僕の長所だ

やっぱり大人になりきれない発想なのかもしれないけど、こういう聞き分けがなく大人げないところってもう晒してしまえばいっそ長所なんじゃないかくらいに思っているのです。

だって「私はこういう者です」って言えない人って意外にいっぱいいると思うもん。

ニートとかじゃなくて。

っていうかニートでも良いんだけど、それだって便宜のための肩書でしょう。

ただのニートなんている訳ないし、仕事してないくらいで大ざっぱに「そういう人」ってカテゴリー分けしてしまってとりあえず満足ならその人はめちゃくちゃ思考が浅いとすら思う。

あなたはどういう人ですか?と聞いて、「看護士やってます」とか、「普通に営業」とか言って終わりなのは、それで自分の説明ができてしまう人でしょう。

その職業にアイデンティティの大半があるなら良いんだけど、中には自分を構成するものの内、仕事に割り振られる割合が極端に少ない人だっていて、だからこそ仕事は別にしてないって人もいておかしくない。

でも「社会」では、あなたはどんな人なのか?と問われれば当然「職業」を答えるものです。その次は「能力」だろうか。

僕があなたのこと気になるとしたら、自分の仕事のことを話してくれてももちろん良いんだけど、何がどれくらい好きかを聞きたいし、あなたが考えるまったく妥協しない幸福な一日のプランとか聞いてみたいし、偏見と差別にまみれた悪口を聞きたいし、嫌いな人のことを聞きたいし、何恐怖症かを聞いてみたい。全部嘘でも良いし、本当でも良い。

ちゃんと理解して欲しいと思う人のことはちゃんと理解したいのです。

そう思うのは多分何者かになる覚悟の無い僕ゆえであって、僕の長所だ。

僕は何者であるかを説明するとき、相手の理解に合わせようとするのは止める

自分が何者になりたいのか分からない人は、だから別に何者にもならなくて良いです。

うまく説明できなくたって自分は自分なんだから、できる限りの説明をして他人が理解してくれないのであれば、それはその人の理解力の問題であり、理解しようとする意思の問題であって、あなたは悪くない。聞く態度が悪いと言っても良い。

「社会」にいる大人は忙しすぎて、目的意識が高すぎて、聞く態度がなってないんだ。

そういう風に開き直った方が楽です。

うんそれで行こう。僕はそうする。

ここに書くのは僕の正直な思考と好みで、それをちゃんと書くことに集中しよう。

そのうち僕も何者かになってしまうんだろうし、どうせなら相手に合わせて適当な箱に収まるのではなく、あとで畳めばいいんだし、拡げられるだけ広げた風呂敷を、その上に散らばる雑多な色々を、大っぴらに晒しておこう。

自分が何者になりたいのかが分からず、何事にも覚悟ができない。(完)

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