ぼくは小説をこういう風に書いた①/誰が語られるか、誰が語るか

「小説の書き方」なんて偉そうなものを書く予定はなかったけれど、今取り組んでいる小説が出来上がるまでを共有できたら、ブログとして面白そうだなと思っています。

俺の書き方はこうだ!ではなく、あくまで創作過程で出た悩みや作業について書いていこうと思ったけれど、プロでも何でもない僕が人に教えるという傲慢を避けたいがばっかりにまとまりのないものを書いて読んでもらおうと思う方が傲慢かもしれないとふと思いました。

いっそ、人が真似できるまでに創作をプロセス化してお届けした方が親切なのではないかと思った。

極端なことを言えば、作業を真似すれば書きあがるというものがブログに残せれば、書きたいけど書けない状況の方のヒントになるかもしれない。

事実上の一回目になります。

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ステップ① 「誰が語られるのか」を決める

今回、一番最初に考えたのは「誰が語られるか」です。

言い換えれば、「誰を主人公とするか」と言えます。

なぜわざわざ「誰が語られるか」なんてもったいぶった言い方をするのか。「主人公」と考えるとつい「その人がストーリーを背負い、引っ張らなければならない」という制約を作ってしまいそうだと思ったからです。

ストーリーを引っ張る人物と考えると、キャラクターが制限されてしまうという恐れがあります。

今回僕が書かんとしているのは、自分の町を舞台にした昔話です。

こう決めた瞬間に、おぼろげながら決まることはいくつもあります。時代、どんな人が出て来るのか、主な舞台、などです。

僕の場合、自分の家の話、過去の自分の町の話は何となく聞いていたので、ある程度どんな風景になるのかはすぐに決まりました。

頭を駆け巡るのは、過去は活発だったというこの町、鉄工所が忙しかった時代、仕事、生活、会話。今まで聞いてきた話の断片がごちゃごちゃに頭の中にある状態です。

おそらくこれからお話しを書かんとしている方も、ごちゃごちゃとは言えなんとなく書きたい景色、会話、色味のようなものがあるのではないでしょうか。多分まったくゼロというわけではないと思います。何か種みたいなものがあるし、もしかしたらある程度ストーリーの核が決まっているのかも。

そんな状況で僕が最初に考えたのが、「誰が語られるか」です。

頭の中にある断片の中から、誰に注目したいか。

つまり、誰の話なのか。誰の話をしたいと思っているのか。

そこで、今まで聞いた話の中でもっとも印象に残っている、「近隣の家から盗みを働いていなくなった弟子」の話はどうだろうと思いました。

つまり語られるのがこの「盗人の弟子」なわけです。

実は、最初は工場の親方を主人公に据えようと思っていました。しかし、誰を語りたいか?を考えることで「盗人の弟子」という反社会的な、ヒーローとは程遠い人物を軸にしようと考えることができました。

それでは次に「誰が語るのか?」という問題になります。

ステップ② 「誰が語るか」を決める

語られるのが盗人。じゃあ語るのは誰?

これを考えるとき、「どんな話にしたいか」を考える必要があると思います。

どんな話というのは、暗い話にしたいのか、それとも明るい話にしたいのかと言ったこと。しかしこれは改めて考えるまでもなく、自分のイメージの中にあるのではないでしょうか。

今の段階でなかったとしても、この人を主人公にするならこういう話になりそうだなという気配はあると思います。

今回は明るい話にしようと思ったので、「内部から盗人が出た」という一大事を、楽しく話せる人は誰かと考えます。

ここで考えたのは、最初に「主人公」に据えようと思っていた「親方(曾祖父)」です。しかし、「親方」のイメージとして、語り手になりえるか?を考えるとちょっとしっくり来ない印象。

それならば、弟子が盗みを働いたという事実に困っている親方すらも観察できる人物の方が相応しいと思いました。

そう考えると、家にいる女の人が語り手になるのが良いのではないかと思いました。家にいる女の人と言えば僕にとっての祖母になりますが、そのままのキャラクターで登場させるかは未定です。

ステップ③ その人を語り手にするとき、どんな聞き手が必要か?を決める

女性を語り手にしようと決めました。

じゃあそれはどんな女性でしょうか?

楽しく話せる人か? いや、行為を糾弾するでなく責めるでなく、「好奇心を持って聞いてくれる人が傍にいる女性」が語り手である、と考えました。

聞き手が期待する話をする人が語り手ですから、語り手を決めると同時に聞き手を想定するというのは創作を行いやすくするために大事なことであると僕は思います。

もちろん、作品内に聞き手はいないというケースもあると思います。

また語り手が作品内に登場しないというケースもあるはず。三人称で語ったり、一人称を用いるというケースもあります。

だからこの創作のステップは何にでも応用できるわけではありません。あくまで今回の場合はこういう経路で話を作っていったということ。

今回は脚本化を想定し、お芝居になることまでを夢見ていますので、「分かりやすさ」に偏った考え方をしている気はします。

取材は物語の構成を作り、エピソードを作る

ステップで説明しましたが。このステップを踏むにも取材が必要でした。

というのも、身内から盗人が出たという厄介な話をできるだけコミカルに楽しく話そうと考えたのは、まさに昔の話を聞いているときに内容がどうであれ、楽しく感じたからです。

悪さをした話、ちょっとズルい話、痛い話。どれもあまり深刻には聞こえません。昔話はどこか緩い空気があって、コミカルな香りがある。

また、女性同士で話す機会はあったのかと祖母に聞いたとき、「婦人たちで同人誌のようなものを作っていた」という話を聞きました。ある方のお宅に集まって、ガリ版で原稿を印刷し、冊子にしていたのだと言います。

この空間がとても良いなと思ったので、「ここで語られる話」というのはどうだろうという風に考えました。

つまり、何を決めるにしても取材は必要でした。ただし今回の場合は、です。

町を舞台にする。我が家を舞台にすると決めたので、ある程度事実に基づかなければならず、そのために取材が必要だった。

一から空想の世界を創造する上では必ずしも人から話を聞いたり昔の資料を当たる必要はないかもしれません。

ただ、どんな方法にせよ取材を行うことで「語られるのは誰か」「語るのは誰か」「聞き手は誰か」と言った選択肢と組み合わせは増えていくような気がします。

何にせよ知っていて損はない。知っている要素が増えれば語り方のバリエーションも増えるような気がする。

その上で今回初めに考えたのが「語られるのは誰か」で、そのあと、「語るのは誰か」で、「聞き手は誰か」でした。

ぼくは小説をこういう風に書いた①/誰が語られるか、誰が語るか(完)


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