自己理解
クレメアさんの「#世界観の作り方」ってnote読んで、自己理解が大事と書いてあって、僕ってどんなヤツだろう?って考えてたら今まで身近な人がかけてくれた言葉がたくさん頭の中にあることに気付いた。
今までたくさんの会話があって、その中で今もはっきり覚えている言葉がいくつかあって、それはどういうわけか僕の頭にこびりついてた。
見慣れたシミみたいなもんで、見えてたはずなのに気にしたことがなかった。
僕は最初からこうなんだって、どうしようもなくこういう人間なんだって、自分は自分で自分の個性を見つけ、作りあげたんだって思っていたあれこれが、実は人の言葉をそのまま採用したものだった。
特に僕が文章を書いて暮らしているのは、たくさんの人が褒めてくれたからだった。文章を書くのが好きにさせられた。
誰かが言った通りに生きて、誰かが言った通りに過ごして、誰かが言った僕からはみ出ないように注意していた。
それが幸せなのだった。
僕が選んだことに違いなかった。
好きな人たちの言葉を覚えているのでした。
好きな人たちの言葉の中で特に自分が大事にしているのは大事な僕の大事な部分になって揺るがない。
この記事書いてるうちに気付いた。
自分こんな人間っすって自己紹介文を書くより、今まで人に言われて覚えてる言葉を並べた方がずっと僕っぽい気がした。
プロフィール見て行きますか?
不思議と悪口とか怒られたこととか全然思い出せない。
都合よく忘れてるんだと思う。
もっと思い出そうとすれば痛い記憶もたくさんあって、きっと僕を形作る要素になっているのだけど、基本的にはあまり必要と思ってないのかも。
あと、かっちゃんって呼んでくれる人多い。そんで僕はそう呼んでくれた人に気を許していく傾向がある。
あだ名をつけてくれたのも友達。ありがたい言葉をたくさんもらっている。
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