絶対に分からなくても良いかもしれない

金曜日は「旧佐藤医院」を舞台にした謎かけを作ろうと色々考えて色々する日です。

先週もそうだったんだけど、今週も謎かけが思い浮かばないよって記事。

記事っていうかメモ、メモですらない、頭の中の垂れ流しです。

先に概要を述べておくとすれば、先週はアイディアにかける「制約」を疑ったけれど、今回はもっと自分の内面に着目し、「考え方」を疑ってみたいと思います。

おそらく多くの方には無駄な時間になると思いますので、忙しい方は帰った方が良いと思います。

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答えは常にそこにあるけど、考え方が間違ってるから見つからない

何か考えが浮かばないってことは、自分が探している答えがないのではなく、考え方が間違っているのだと思います。

そもそも考えようと思うこと自体、思考を志すこと自体、考えたら何かが見つかるというセンサーみたいなもので、探せば答えは必ずあると僕は思う。

考えてもしょうがないことはこれ以上考えてもしょうがないという答えが出るにも関わらず、「実際にある建物を使って謎かけを考えよう」という思考自体には行き止まりがある気配がない。

失せ物を探しているときなんか、自分で勝手に「ここからここまでの範囲にあるはずだ」と思い定めて同じところをグルグル歩き回ったりしないでしょうか。

あんなところに置くはずないし、あんなところに落とすはずないしって決めつけて、結局思いも寄らないところから出てくるなんてことはよくある。

これが僕らの頭の使い方の欠陥なのだとしたら、そういう「悪い癖がある」ということに自覚的になることは大事なのかなと思います。

謎は解かれなければならないのか

ではどういう風に考えること自体を考え直せばよいのか。

先週の記事では、謎かけを作る上で決めていることがいくつかあって、それが「アイディアを殺す制約」だったかもしれないということを書きました。

今回はそれよりもっと大きな枠組みを疑ってみたい。

それは例えば、「謎は解かれなければならない」ということです。

この記事の冒頭の方でも、「おそらく多くの方には無駄な時間になると思いますので、忙しい方は帰った方が良いと思います」とかって書いたんだけど、例えばこういう風に「読む人を意識した考え方」というのは、この際邪魔なんじゃないかと。

ブログ界隈の風潮だと、あらゆる文章は分かりやすく、読む方にとってストレスレスで、かつ読者が期待するものを書かなければならないというものがあります。

そして行きつくところまで行きつくと、なんかみんな同じだね、ならむしろこっちの方が~みたいなカウンター話になっていく。

そうやって基準がブレると、意外に世の中画一的になんてなってないって気づいて、結局はあらゆる層のあらゆる種類の中から何を選んで見ているかという話になる。

その時代の一番平凡な視点のものが流行る(流行っているように見える)というだけで、実際にはあらゆる「答え」が既に存在している。

太字にしたわりには今この話あんまり関係ないんだけど、ちょっと今回の話の底に流れるテーマになるのかなと思って。

何が言いたいかと言うと、ブログ記事を書くとき想定して考える「漠然とした他者」は、失せ物を探すときについ「ここにあるはずなんだけどなあ」と考えちゃう部屋みたいなもので、勝手に限定した空間で答えを探そうとすると、堂々巡りの行き詰まりになってしまうんじゃないかってこと。

平凡な僕の平凡を越えるために

多分僕が自分に課した金曜のコンテンツに求めてるものは平均値や中央値としての「謎」と「答え」じゃなくて、もっと満遍ない「謎」と「答え」なんだろうと思う。

「探してるもの」の分布で言えば偏差値のグラフみたいに中央が一番盛り上がっていて、両極がバラバラって感じで散らばってる。

どこを狙うのが正しいかではなく、とりあえず全部満遍なく集めたいみたいな、コレクション欲がある。

今までは、こんなの絶対分かんねえよって言われるのが怖かったけど、もう絶対分からなくても良いかなと思った。

それは解く人の理解力が足りなくて、という意味ではなくて、僕が納得していて、僕の中で筋が通っていればオーケーなんじゃないか、その方がバリエーションが広がるんじゃないかってこと。

文脈上、「漠然とした誰か思い浮かべると平凡を想定してしまって考える上で不便だ」と言ってるように聞こえるかもしれないけどそれは完全に誤解で、僕が言いたいのはあくまでも「あらゆる平凡がある」ということ。

そして平凡たる僕の、こうあるべきだと想定する何かなんて平凡中の平凡に決まってるんだから、僕の平凡を越えるために考える。

その方法の一つが「絶対に分からなくても良いかもしれないと考える」があるのではないかと思いました。

逆に、例えば僕が完全犯罪を犯そうとしても絶対に無理なように、必死になって分からないようにしても絶対に分かられてしまう。

「分かるようにしなきゃ」って考えることが人を舐めていて、その時点で僕程度のものしか出てこないのかなと思ったのです。

絶対に分からなくても良いかもしれない(完)

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