誰かに与えられる「主人公」というポジションについて/阿良々木暦と女性社会の本質

僕らはみんな自分の人生の主人公だ、とは言うけれど、主人公にもいくつかタイプがあるもんだよなって思います。

例えば「ハリーポッタータイプ」とか「ルフィタイプ」とか、そして「阿良々木暦タイプ」とか。

最後の「阿良々木暦」は僕が好きな物語シリーズの主人公で、ライトノベルの人物なので、前二人にくらべると一般的な知名度は低いかもしれません。

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でも阿良々木暦はこの記事には欠かせない主人公タイプだと思うのであえて列記。

どうして彼が欠かせないなんて言うのかは読み進めて頂ければ分かるのかなと思いますが、とりあえず、僕が思う「主人公のタイプ」について簡単に書いていこうと思います。

でそのあとで、「主人公」というポジションって誰かに与えられるもんだよな。もしかしたら本当に物語を動かしているのはそういう役割を与える方で、そこに女性社会の本質があるんじゃないかなって話をします。

とりあえず主人公のタイプについて目を通していただきたい。

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ハリー・ポッタータイプの主人公像

まったく平凡な人間が、実は「選ばれし特別な存在」で、はじめはその事実に戸惑うものの、次第に自覚が芽生え、大きな仕事を成し遂げる。

物語の主人公らしい主人公だと思います。ハリー・ポッターをその筆頭にするのもおかしいんじゃない?ってくらい王道な主人公像なんじゃないでしょうか。

ハリーなんて最初はおばさんの家の物置で住んでて、召使同然の扱いを受けながら暮らしていた平凡どころか不幸な少年ですが、ホグワーツ魔法学校の入学案内なんて届くわ、急に小金持ちになるわ、額の傷見せればみんな目を輝かせるわ、過剰に期待されたり敵視されたりするわ、ところどころでなんか素質みたいなの垣間見えるわで勘違いしない方がおかしい。

勘違いってかその気にならない方がどうかしてる。多分同じように扱われたら誰でも偉大なことの一つや二つできるだろってくらいお膳立てが揃ってて、あと敷かれたレールに乗ってたらなんとかなる。そして実際になんとかなっちゃう辺りが紛れもない主人公の素質である。

同じタイプとしては、エヴァンゲリオンの「碇シンジ」が、僕はまず思い浮かびます。

ルフィタイプの主人公像

大きな目標を持ち、仲間を集めながら大きな困難や敵に立ち向かっていく。リーダーシップやカリスマ性がある。

極端なことを言ったら、「海賊王におれはなる!」だけをモチベーションに生きている。分かりやすさと勢いがあり、周りをワクワクさせたり安心させたりする力があります。

分かりやすいし明らかに一人では無理なので、周りも応援してあげよっかなという気持ちになります。

他に僕が好きな漫画で言えば、シャーマンキングの葉とか、鋼の錬金術師のエドワード・エルリックがこのタイプなのではないかと思います。

阿良々木暦タイプの主人公

完全なる貧乏くじを引くタイプ。素質も大きな目標もないけど、厄介ごとに巻き込まれたり、面倒ごとを頼まれたりして、頼まれたら嫌とは言えず、なんだかんだ損な役割を引き受けてしまう。

阿良々木暦はある日ひん死の吸血鬼に出会って、「儂を助けさせてやる」なんて言われて、死を覚悟しながら血を吸わせ、目が覚めたら吸血鬼の眷属になってたってという一方的な被害者っぷり。

「怪異に遭えば、怪異に曳かれる」の言葉通り、吸血鬼に関わってしまったことで怪異との関わりが強くなり、以後引き続きさまざまな厄介ごとに巻き込まれ、お人よしの性格も手伝ってか、怪異絡みの問題を解決するために奔走せざるを得なくなる。

バトルではほとんどひん死の状態に追い込まれるし、怪異についての知識があるわけでもなく、他の人より回復力が強い程度の吸血鬼体質を得ただけの主人公です。

各主人公の姿は現実社会に反映されるのではないか

主人公のタイプなんて話は既に出尽くしている感もあり、系統立てようとすればもっと多岐に渡ったりするだろうし、ほんとうなら古典やら文学を引っ張りだして来なければならないのかもしれません。

しかし僕の知識はそこまで系統立ってないし、この記事ではただ主人公の類型を確認したいのではなくて、各主人公の姿を現実社会に反映させることができるんじゃないかってことを書きたかったのです。

みんな主人公って言うんだから、誰もがどれかの主人公像に当てはまるだろうと。

そして阿良々木暦は、この時代だからこそ生まれた主人公像なんじゃないかって思うので、これ以降は彼に主眼を置き、その辺りを詳しく書いていこうと思います。

長男が家から離れていく理由

阿良々木暦の前に、他の2タイプの主人公像が、現実社会ではどんな立場の人なのかを考えてみたいと思います。

まず、ハリーポッタータイプとかルフィタイプ。

こういうタイプの主人公はいつの時代にもいたと思う。特にハリーポッタータイプは昔ながらの、と言っても良いほど伝統的な主人公の姿でしょう。

血筋とか運命とかそういうのに人生を決められて、その中で偉大なことを成す。現実の社会で言えば「家業の後継者」がハリーポッタータイプの主人公に当てはまりそうです。

跡継ぎがいなくて困るなんて話があると思いますが、それは若者が田舎に根付かないで楽しい都会に行っちゃうとか根性がなくキツイ仕事ができないとかの要因よりも、単純にそのストーリーが気に入らないということなんじゃないか。そのストーリーの主人公役に魅力がないということ。

ひいじいさんの代からの畑を守るとかだったらそんなん誰でもええやんってなるけど、例えば日本に一人しか職人がいない伝統工芸の技術を引き継ぐとか、現存する唯一の刀鍛冶の家だとかだったら、息子の俺がやらなきゃって気持ちにもなると思う。

誰もが自分の人生を主体的に選択し作り上げていくこの時代だからこそ、後継者不足よりも役不足が問題なんじゃなかろうか。

明るく、チームを鼓舞する企業家

ということでルフィタイプの主人公像を目指す人は多いように思う。

自分の大きな目標を打ち立てて、長い道のりや困難な道のりをひたすらまい進する。今の若手の「起業家」っていうのはざっくりこういうタイプが多いのかもしれません。偏見だけど。

ルフィタイプなので多分性格や仕事スタイルも似通っていて、仲間づくりをすごく大事にするし、ごちゃごちゃ言ってないで楽しくやろう!面白そうだからやろう!みたいな豪胆さや能天気さを持っている。やるときはやる、が自己評価。

それが本来の性質なのか、意識的(もしくは無意識的に)にそういうリーダー像を踏襲しているのかは分からないけど、そういうタイプの人はこの時代増えてるんじゃないかと思います。

意志は強いし活動力もあるけど、周りのサポートがなければ立ち行かないし、周りのサポーターも自分がいなきゃあいつはダメだと感じるので、ルフィタイプの人が近くにいるとお互いにハッピーになるんだと思います。

ルフィタイプの主人公像を投影した人って現代社会で合理的だから生まれやすいんだろうなと思う。

女性にモテる?阿良々木暦タイプの人

そして阿良々木暦タイプの主人公。

俺別に主人公とかじゃないけど…という方の中にも、このタイプはいるというのが特徴だと思います。

なぜか厄介ごとを頼まれたり、仕事丸投げされたり、貧乏くじを引いたり、ダメージを負ったりする。

ハリーとかルフィみたいな格好良さはないけど、なぜか頼りになる存在。問題を擦り付けられるっていうのは現代社会では最も頼りになるのかも。

そして特徴的なのが、女性にモテるというところだと思います。

阿良々木暦も女性にモテますが、彼のカッコよさは能力とか意志力にあるのではなく、「とりあえず言っておけば心配はしてくれる」とか、「すごく親身になってくれる」とか、「自分のために体を張ってくれる」というところだと思う。

だって実際阿良々木君に相談しても、「とりあえず忍野のところ行くか」とか「忍野に聞いてみるよ」とかそんな感じのことばっかりです。最初に相談された段階で俺が絶対お前を守るみたいな感じはあまりありません。忍野っていうのは怪異の専門家ね。

バトルになると負けっぱなしだし、実力が伴わないからただのお節介になることもあるし、身長も低いし変態なんだけど女の子にモテる。ライトノベルの主人公だからという点はあるけど、現実の社会に照らし合わせてみても、阿良々木君のような人はモテるだろうなと思う。

女性社会に必要な人物、ゆえに主人公

そして阿良々木君のような人がモテるだろうなって感じるのは、現代がかなり女性を中心に回っている(少なくとも回りつつある)ことの裏返しだと思うし、現代だからこそ、阿良々木君のような主人公が主人公になったのかなと僕は思うのです。

女性は本当に強かなようだから、男の意志とか力ってそれほど必要としていないのでしょう。必要としていないっていうのは不要って意味とはちょっと違って、依存する必要がないという感じ。

実際、物語シリーズで阿良々木君に相談してくるヒロイン勢は、上手に男に頼ったり男を使ったりはするものの、落としどころは自分で見つけて、結局は自分で問題を解決しています。

それこそ忍野メメには「僕は君を助けない、君が勝手に助かるだけだ」という決まり文句がありますが、本当にその通りで、阿良々木君は女性の都合の良いときに、都合の良い場所にいてくれるというだけの人で、基本的にみんな、自分の力で助かっています。頼る人を選ぶというのも自分の力なんですよね。

僕らは本当に誰もが主人公なのか

さて、ごちゃごちゃ言ってきたけどこの記事の結論として言いたいのは、「主人公は仕立て上げることができる」ということです。もうちょっとはっきりと「仕立て上げられるだけの存在」だと言っても良いかもしれません。

ハリーポッタータイプなんてそのまんまだから納得してくれると思うけど、ルフィタイプだって自分の意志があるものの、結局周りに仕立て上げられたリーダー像で、役割としての主人公なんじゃないかと思います。

阿良々木暦タイプなんか素質を持ち上げられてその気になることもないし、強い意志や目的も持っていないけど、やっぱり周りの人間に良いように使われて、主人公になってしまっている。

主人公とは言え、主体性なんかほとんどなく、ただそのポジションに据えられているに過ぎない。

でも特に男性(僕らが持つ男性性)は、他ならぬ自分が主人公になりたいとか、リーダーになりたいとか、問題を解決したい、成し遂げたいって気持ちが強いものなのだと思う。

誰もが自分の人生の主人公だと言われれば、主人公らしく、「私が何かをしたい」「何かしなくちゃ」と考えるのが普通でしょう。

ところが、そんな風に女性起業家とかリーダーが増えるにつけ「女性社会」と言われることが増えたと思うけど、男性性を強く持つ女性が社会で台頭する、というのでは、男性社会の男性らしいポジションに女性が据えられるようになったというだけで、そんなの全然本質ではないよなって思う。

女性社会っていうのは、きっと人に役割を与えて、仕立て上げ、その気にさせて、問題を解決するという高度な能力が、家庭だけでなく社会で発揮されるようになった、という状態なのではないかと思うのです。

誰もが主体的に自分の人生を作り上げていく時代、確かに誰もが自分の人生の主人公だとは言われることはあるかもしれないけど、主人公になる人は限られているし、主人公なんてポジションは周囲に与えられるだけのものなのだと思う。

つまり「役割を与える人間」の方が世の中には圧倒的に多いということで、(少なくとも今の)世の中に溢れる物語の主導権を握っているのは、実はそういった役割を与えることができる人間なのではないか。

僕らは誰もが本当に、人間同士の相互的なやり取り(コミュニケーション)の中で自然発生する物語の主人公なのか。主人公でいなければならないのか。

もちろん主人公に仕立て上げられる人もいるはずだけど、もっと物語の根幹に関わる、「創作者」なのだと言った方が近い人もいるのではないか。

誰かに与えられる「主人公」というポジションについて。阿良々木暦と女性社会の本質(完)

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