赤ちゃんはなぜ泣くのか/生まれる苦しみと産む苦しみ

赤ちゃんが泣く理由を知っているか?」 と、赤ん坊の頃の記憶があると豪語する友人が唐突に聞いてきた。

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僕は、「え、悲しいから?いやお腹空いたとか、おむつを替えて欲しいとか、まあ色々でしょ?」と少し投げやりに答えた。

また始まった…と思ったのだ。 彼はたまにだがこういう話をするのだ。

自分は赤ん坊の頃の記憶があるということを根拠に、いやに自信満々にこういう話をし始める。

脇を持たれて高い高いされるのってけっこう痛いよ、とか。

まあ、記憶があるんならそうなんだろうなあ…と納得するしかないところが悔しいのだが、彼の話しはこちらが興味を持って聞くとなかなか面白い。

以前彼はこんな話もした。

俺はアイデンティティが芽生えた瞬間を覚えてる!

と、やはり唐突に言いだしたのだ。

父親と母親と三人で海にいた。俺はそのとき、自分が自分であることを唐突に理解した

「真理の扉開けたときのエドかよ」

まあそんな感じかな

「そんな感じなんだ」

伝わると思わなかった…。

まだ1歳になる前だったと思う。そのとき何故か急に、自分は自分なんだって分かった

「どういうこと?」

僕には自分が自分じゃないことの想像ができなかった。

それまでは、自分と世界が一体化していたというか、自分と、自分の外側の境界線がなかった。世界の全部が自分だった。だけど、父親に抱きかかえられて海を見たとき、父親が他者で、もちろん母親も他者で、そして自分がいるんだと急に分かった

「おお…ん?」

分かるような分からないような。

そしたら急に自分がすごく小さいってことに気付いた。それまでは境界線がなくて世界の大きさと同じように大きかった自分がギュン!って縮まって、自分と関係なく動いているものがあると知った。そのときは確かに、世界の本当の姿を知ったような気になったね。まあそれよりリセット感が強かったけど

「リセット感って?」

んー。あんま説明できないんだけど、ああーまた最初からかあみたいな?

「ふーん。もしかしてだけど、それすごい体験じゃないか?アイデンティティってそういうことだったの?自分が自分であるという根拠…みたいなものでしょ?いや、自分と自分以外を分けること、なのか?」

まあ、そのときそうやって考えてた訳じゃないけど、今言葉にするとそんな感じかな

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赤ちゃんが泣く本当の理由は、不快だからだ

彼はそしてその日、やはり自信満々にそう言った。

僕は心の中で、なんだ、当たり前じゃねえかとつぶやいた。

不快と言ってもお前が思っているような腹が減ったとかオムツが気持ち悪いとか背中が痒いとか、そんな小さいことじゃない

「小さいことってことはないだろ。赤ちゃんにとっては大きなことだ」

そう、赤ちゃんにとってはすごく大きなことだ。お前が思ってるよりもっとずっと大きな不快なんだ

「え?いやちょっと今、会話になってる?」

なってるなってる。お前、俺がアイデンティティ芽生えた日の話し前にしたの覚えてる?

「覚えてるよ」

あのあと、すごく不快なことが増えたんだ。自分がコントロールできないものが増えたし、それがすごく大きなものだった

「ああ、まあそれは、そうかもなあ…」

そこからは物事を分ける作業の連続だった。他者と自分を分けたみたいに。世界と自分を分けたみたいに。それはそれぞれに境界線を与える作業だった

「ふんふん。名付けってヤツだ」

そう、名付け。だけど境界線を作るのは、目に見えるものだけとは限らない。親は、俺が泣く度に、俺の感情に名づけをした

「なるほど…言いたいことが分かってきたよ」

僕たちは名付けなしに物事を理解することができない。

そう、泣く度に、よしよし痛かったね、びっくりしたね、悲しかったね、寂しかったね、って感じで、俺の感情に境界線を作っていくんだ。感情に枠を与えられる

「ほう、そうだね。そうするよね、無意識にだと思うけど」

俺は当然、そういうもんかと学習する。これは寂しいという感情だったんだ。だからあんなに苦しかったんだ。そうすると、少しだけスッキリする。赤ちゃんがよく泣くのは、圧倒的に言葉が足りないから

「おいさっき不快だからだって言ってたじゃんか。都合よくかっこ良い感じに仕上げるなよ!」

まあ、そう。不快なんだけど、枠が与えられるとなんとなく今まで感じてたことが小さくなる。俺が自分と世界は違うって気付いたときにギュンって小さくなった気になったように、感情にも境界線とか枠組みを与えられるとそれが急に縮むんだ

「おお、面白い。かも」

だから!言葉を与えられる前の不快ってもっとずっと大きいんだ。そりゃ大人から見たら“お腹が空いた”なのかもしれないけど、もっと漠然と世界全部を覆うような不快な感情だったんだ。俺が言ってたのはそういうこと

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彼は興に乗ったのか、更にこんな話もした。

大人になった今だって、枠からはみ出た感情は涙になるだろ

「なんか歌にありそうだな」

うん、誰かがこんな歌うたってた気がする

「でも、確かにそうだ。悲しいから泣くだけじゃなくて、嬉しくても泣くし。悲しさってのも自分が知ってる“悲しい”に納まらない悲しさがある。その分がはみ出して、どうしようもなく不快で、泣いて誤魔化してる気がする」

赤ちゃんって怒りとか悲しみとかって言う基本的な感情もまだよく知らないんだもんね。それこそ、怒るったってそんなに大した怒りではないはずだし。さすがに義憤に駆られてなんてことはないだろ?

「ああーでもそうか、大人になるに連れて自然に泣かなくなっていくけど、それってもともとの感情の枠に色々なもの詰め込んでいくからなんだ。むりやりカテゴリー分けするみたいにして納得してるかもな」

そう、あと、ある程度大きくなったら自分で学習していくよな。こういうとき“切ない”って言うんだ、みたいに。そうやって複雑な感情も理解できるようになっていくけど、やっぱり、どうしても枠組みに収まらない“不快”に出会えば大人でも泣くだろう

「うん、そう思う。さすがに今とっさに想像できないけど、自分の認識を上回る何かがあったら、処理できなくてすごく辛い思いするんだろうな。泣くかどうかは別だけど。ああでも、今までは不満は書いて処理してた気がする」

そう!一言で感情を表せられなくても、言葉を組み合わせるとなんかしっくり来たりするんだよな。悲しいだけじゃなくて、悔しさとか、切なさとか、そういうのをブレンドしてさ。だから話したらスッキリすることもある

「カタルシスってやつだね」

語る死すって覚えたね俺は

「分かる分かる」

まあ、何が言いたいのかと言うと、俺は赤ん坊の頃の記憶があるから分かるんだけど、世の中は本当に不満に思うことばっかりなんだ

出た出た、と僕は思った。皮肉半分、期待半分の感情だった。

赤ん坊の頃の記憶があると言われれば、ごく当たり前の結論でも彼にしか分からない部分があるのだと納得せざるを得ないのだ。

だって、世界と比べて自分はあまりにも小さくて、全然、何も言うこと聞いてくれないんだ。しかも!自分よりも他者の方が多い。こんなにストレスフルなことはないよ

「うん、赤ん坊の頃からそんなことに気付いてしまうと、辛いだろうな」

みんな気付いた瞬間があるはずだよ。俺だってその瞬間を覚えているだけで、小さな頃の記憶を全部覚えてるって訳じゃない

「ああ、そうか。まあそうだよな」

それで、それで何が言いたいのかと言うと、俺たちはすごく小さい頃からこの思い通りにならない世の中に生まれた苦しみと、そういう苦しみ一つ一つに名前を付けて行くっていう産みの苦しみを味わっているんだ

不思議な感じがした。生まれて間もない赤ん坊が、産みの苦しみを味わってる・・・。

そして見るもの全部を枠に閉じ込めようとする。だってそうして全部を理解できたら、自分という枠の中に世界が丸ごと納まって、最初に感じてたような自分と世界の境界線がない感じを取り戻せるから。みんなあの頃の、自分と世界が同じだっていう感覚を実は覚えてるんじゃないかな。で、その頃を取り戻したいと思ってる。まだ自分がこんなに小さいことを認められないんだよ

「おお、なんか、分かるよ。そうか、知識欲とか好奇心ってそういうものかもね」

あ、そうだ。あのとき感じたリセット感って、だから、こういうことだ。今までは自分の体の一部みたいに感じてた世界が、理解していると思い込んでた世界が、全然違うって気付いて、やり直しだって感じたんだ

「ああ言ってたね。リセット感」

ああ、赤ん坊の頃が懐かしい…

彼はそう言って、自分を軽蔑するように小さなため息をついた。

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僕は彼に学んだ。 そうか。大人になっていくと、みんな途中で世界を自分のものにすることを諦めるんだ。

その代わり、自分の知ってる世界で満足するようになる。

ときに大人が他人の感情も思考も全部自分の枠組みに引き寄せて考えようとすることがあること。

好奇心とか、疑問を持つこととか、学習意欲の高さがときに子供らしく見えること。

そんなこと考えてどうすんの?って言われたり、考え過ぎじゃない?って言われたことが何度あるだろう。

その度に未熟者を見るような目で見られたことが、思い返せば僕もたくさんある。

そんなときはやっぱり、言いようのない不満を感じたものだ。

何故考えないでいられるんだとすら思った。

心の中で怠け者と軽蔑して鬱憤を晴らしていた。

軽蔑された分だけ、軽蔑してやろうと思った。

狭い世界に生きてるなとすら、心の中でだけど言って憚らなかった。

そうか、人は産む苦しみを放棄すると、それが世界の全てになるんだ。

ここまででいいやと思った瞬間、その人の世界は自分が知っているだけのサイズになる。

小さい世界でまとまって、そこで万能感を得るようになるんだ。

待てよ…じゃあ結局、泣いてる赤ん坊をどうしたらいいんだろう、なんて疑問が不意に浮かんだ。どんな風に扱うのがベスト?

だから聞いてみた。

それは、分からんなあ。赤ちゃんは、普通でいいんじゃない?泣くのが仕事っていうし

何だか投げやられた気分だった。

赤ん坊が泣く理由を知ってるかと得意げに話してきたのはそっちだろう・・・。

問題は大人だ。ちょっとやそっとじゃ泣かなくなって、世界に見切りをつけて、割り切ることが上手になって、生みの苦しみを放棄した大人だ

僕はこの意見に心の中でもちろん賛成したが、彼は明らかに自分のことを言っていた。

彼の悲しみとか、悔しさとか、もどかしさとか、懐かしさとか、そういう感情は傍から見ていても入り乱れていて、まさに名付けようのない苦しさを彼は今味わっているのだと僕は知った。

彼は自分が思っているよりもずっと、世界を割り切れてなんかいないし諦めてもいない。

僕に話をすることで少しは今の感情を自分のものにできたのだろうか。

それとも話すことで、不快な部分はさらに増えたのだろうか。

だとしたら、僕は簡単に「分かるよ」とか、「そういうことあるよね」とか「まあとりあえずもう行くか」とか、そんな風に割り切ろうとしてはいけないのだ。

知った風なことを言ってはいけないし、彼の世界を狭めるようなことはしてはいけない。

僕は彼に軽蔑されたくないのだ。

だから僕は、まさに今産みの苦しみを味わっている彼を見ることしかできない。

苦しんでいる彼自身を認めなければならない。

その苦しみも、僕が自分の世界を広げるための試練だ。  

この記事はみっつさんのこのツイートに共感し、友達との会話を思い出しながら書いたものです。

「より知ろうとする」「知識に翻弄されず、今、目の前にいる相手のことだけを見つめたい」という言葉に、今の僕が感じる部分があったからです。

みっつ通信

ああ、でも、こういう風に自分の経験とか考えをブログに書くことが、仮にインスパイア?されて想起したものだとしても「自分が持つ知識に相手を当てはめる」行為そのものになってしまっているんじゃ…。

神経質すぎるかもだけど、ダメだなあ僕は。

言い訳になるけど、みっつさんの呟きと、僕の記事は根本では無関係です。

どちらかがどちらかを補填するものでも、説明するものでもありません。

  赤ちゃんはなぜ泣くのか/生まれる苦しみと産む苦しみ(完)

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