飲みに誘う上司と飲みを断る新入社員の間で何が起きているのか。ミームとスーパーミームの話

文明はなぜ崩壊するのか』を読んで、コミュニケーションについて考えています。

ここまで考えたことを簡単にまとめれば、文明の崩壊の底にはまずコミュニケーションの崩壊がある、ということが何となく分かってきました。

つまり、何か問題があったときに、上手にコミュニケーションさえ取れれば乗り越えられることもあるけど、コミュニケーションが崩壊していたら乗り越えられることも乗り越えられない。

だから、これはスケールの問題なのだけど、それが国レベルの問題なら文明が崩壊するし、個人間の問題だったらケンカとか離婚とかいう話になる。

今回は、比較的大きな、世代間の認識とか信念の違いがコミュニケーションを阻害し、崩壊招くパターンもあるという話を考えようと思います。

具体的には、例えば「飲みに誘う上司」と「飲みを断る新入社員」のコミュニケーションがうまくいかないのはどうしてだろう?という話。

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上司が持つミームとスーパーミーム

『文明はなぜ崩壊するのか』では、ミームとか、スーパーミームという言葉が出てきます。

ミームとは、人びとのあいだに広く受けいれられている情報、思考、感情、行動のことだ。 常識、伝統、理論、偏見と言いかえることもできる。『文明はなぜ崩壊するのか』65p

スーパーミームとは――広く浸透し、強固に根付いた信念、思考、行動で、ほかの信念や行動を汚染したり、抑圧したりするもの。『文明はなぜ崩壊するのか』69p

だそうです。 

このミームとか、スーパーミームが僕たちに与える弊害を、「飲みに誘う上司」と「飲みを断る新入社員」に当てはめて考えてみたい。

ところで、ミームとスーパーミームの違いは、その思考や信念が、「信念や行動を汚染したり、抑圧」するかどうかにあると思います。

ただ惰性で繰り返してることだったり、特に疑ったりしたことがないというだけのことであれば大した問題はないけれど、それがあまりにも強く思考に根付いており、信念や行動を汚染したり、抑圧しだすと、スーパーミームになる。

では「部下を飲みに誘う上司」はどんなミームを持っているのでしょう。

おそらく

・上司の誘いは受けるものである

・上司と飲みニュケーションを取って親しくなることで仕事が円滑になる

・上司は部下に食事をおごるくらいのことをしなければ信用されない

のようなものがあると思います。

これは言わば社会にある常識で、思い込みで、偏見でしかありません。だから間違ってる可能性はある。

だけど、これを強く信じすぎて、他の信念や行動を汚染したり、抑制しだすと、スーパーミームと呼ばれる概念に昇格する。

汚染・抑制される新入社員の信念や行動

上司(社会)の持つスーパーミームによって、新入社員はどのように信念や行動が汚染・抑制されるでしょうか。

これはとても単純ですよね。

・上司に飲みに誘われたら断れない

・断ったら仕事に支障を来すかもしれない

・飲みたくもないお酒を飲まなければならず、お礼を言わなければならない

上司と飲みたくない新入社員がもしこのような状態に陥っているのであれば、少々大げさな物言いかもしれませんが、信念や行動を汚染・抑制していると言えます。

ただし、スーパーミームのスーパーミームたる所以は、このように一方的な汚染や抑制だけではなく、お互いの行動を規制するという点にあると思います。

つまり、「上司が部下とコミュニケーションを取る方法は当然終業後に飲みに誘うことだ」という思いこみ(ミーム)があって、その方法以外を思いつかないのであれば、それは自分自身(つまり上司)の信念や行動まで汚染・抑制していると言えないでしょうか。

スーパーミームがあるから、他の選択肢が浮かばない

スーパーミームがひとたび定着すると、もはやそれ以外の選択肢を想像することが難しくなる。広く浸透して誰も疑問に思わないスーパーミームのパラドックスだ――それを否定する証拠をつきつけられても、私たちはなお信じつづける。『文明はなぜ崩壊するのか』71p

上司と飲みにいくのが面倒な新入社員としても、「上司が飲みに誘うこと」自体はあまり疑問に感じていないのではないでしょうか。

上司は飲みに誘うもので、新入社員はそれを上手に断ったり、断れなかったりする面倒があると信じてる。

面倒だし不満に思っているけれど、一種の風物詩として、そういう文化があることは疑っていない。

上司が新入社員を飲みに誘うことで達成しようとしていることを達成する方法は「飲みに誘う」以外にもあるはずなのに、なぜか両者とも「飲みに行く」以外の選択肢を考えもせず、上司は飲みに誘うし、新入社員はそれが嫌だと思っても理由を作って断ったり、我慢して付いていったりしている。

それが結果的に、コミュニケーションを阻害し、問題を解決する機会を逃し、お互いに嫌な思いをする。

キャッチミー・イフ・ユーキャンに見る、スーパーミームの乗り越え方

稀代の詐欺師フランク・アバグネイルの話を思いだそう。アバグネイルは社会に浸透している「正義」というミームに従って逮捕され、刑務所に入れられた――「目には目を」というユダヤ教・キリスト教に共通する懲罰観である。このミームは先進国のあまねく刑事司法制度にあまねく定着している。だからこそアバグネイルのその後が注目に値するのだ――彼を早期に釈放させたFBIは、がっちり根付いたミームを克服することに成功した。そのミームとは、犯罪者は塀の向うに収容し、あらゆる権利や楽しみや尊厳を奪って、罪を償うべきであるという社会通念である。FBIに協力させるというのも贖罪の一つの形なのだが、それは容易な選択肢ではなかったはずだ。だがFBIには、そんな既成の枠組みを乗り越えられる捜査官がいた。『文明はなぜ崩壊するのか』79‐80p

アバグネイルはすっごい詐欺師で、逮捕されたんだけど、その詐欺師としての能力を逆にFBIの詐欺対策に利用するって形で両者は手を組みました。

『キャッチミー・イフ・ユーキャン』のタイトルで映画化されています。

これは思い込みとかしきたりとか常識を超えた解決策で、既存の方法から脱却した見事な方法ですよね。

異論はあるかもだけど。 お互いに「それっぽさ」に固執しなかったからできたことです。

注意深く自分を疑うと良いかも

ミームやスーパーミームを乗り越えるのはとても難しいことです。

いずれも、自分がその常識や偏見や慣習を自分が信じていることすらあまり意識せず、つまり疑うことなく暮らしている。

それがある問題の解決を阻害する原因になっている場合でも、僕たちは間違った方法を繰り返して、かえって溝を深めてしまうという大胆なミステイクを日常的に犯しています。

これを乗り越えるのは難しいけれど、注意深く自分を疑えば、もしかしたらまったく新しい、画期的な、誰もが良い気分になる方法論が見つかるかもしれません。

とりあえず、世の中にはミームやスーパーミームという概念があって、特にスーパーミームは他の思考や行動を汚染・抑制するのだということを、頭の片隅に置いておくと良いかもしれません。

飲みに誘う上司と飲みを断る新入社員の間で何が起きているのか。ミームとスーパーミームの話(完)

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コメント

  1. […] 信じることと思い込み/フラットな思考を保つのは難しいけど […]