お金に足をひっぱられて、出来ることもできなくなっていないか【疑問編】

お金がないと何もできないと思うことはままあります。

しかしそれは錯覚かもしれません。

世の中金よと言ってしまえば潔いですが、それは真理でないことぐらい、きっとみんな知っているはずです。

だけど、先立つものは金と言うし、何をするにもまずはお金がなければ始まらないなんてよくあること。

持つものは出来ることが多く、選択肢が多く、それだけチャンスも多い。
持たざるものはしたいことも出来ず、選択肢は限られ、それだけチャンスも少ない。

実感としてお金がないことは不利だと思うし、不安なことです。

だけど、それは錯覚なのかもしれない。

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お金に対する素朴な疑問

①なぜお金がないと何もできない(と思ってしまう)のか。

②なぜ、今お金の存在感がこんなにも強いのか。

①については、ここのところ頻繁に起こっている天災の数々を受けて素朴に感じたことです。地域の復興には支援が必要です。お金を被災地に集めることでできることがあります。災害があるとコンビニなどですぐに募金箱が設置されます。

言っていることはよく分かる。ケガをしたら血液が集まるように、災害に見舞われたところにお金が集まるということ。

よく分かるのと同時に、どうしてお金がなきゃ復興や救助は進まないの?とも思う。

食糧を送ること、何かを作ること、重機を動かし、土砂やごみを片付け、道路、水道、電気などインフラの整備を進める。

これには確かにお金がかかると思うけれど、どれも、お金がなくたって出来ることです。ガソリンを入れなきゃ重機は動かない。

確かにそうだけど、お金をいれなくたってガソリンを出すことは出来る。技術があれば整備は出来るし、お金がなくたって目の前にあるカップラーメンは食べることが出来る。もちろん、火があればお湯を沸かすこともできる。

人件費がかかることは分かる。だけど人は、お金を飲まなければ動けない訳ではありません。火はお金で燃えてる訳ではないし、ガソリンの原料はお金という訳でもない。

なのにどうして、お金がなければ何も進まない、何もできないという結論になるのでしょうか。

実際、被災地ではボランティアが活躍しているし、無償で何かのサービスを提供している人もいると聞きます。それが正しいとかという話は別にして、お金がなくても行動自体はできる証ではないでしょうか。

②については本当に素朴な疑問です。
金融の世界においては、個人が一夜にして億万長者になったり、極貧になったりします。

実際に動きがあるのは数字だけで、億万長者が実際に数億枚の札束を持っているかというと話は別です。

それだけのお金を使う権利はあるのかもしれないけど、実態としてのお金はそれほど意味がなく、ただ数字上のやりとり、あるという体での話であって、例えば日本中の億万長者がみんな自分のお金を卸したら、銀行はまったく用意できない状況に陥って、破産ってことになる。

実際のお金はない。架空の数字がお金の権威を持って、世界中を駆け回っているだけ。そんなことは、みんな知っています。

実際のお金は傷口を抑えるガーゼにもならないし、防寒着にもならない。食べられないし、燃料にもならない。まさしくただの紙切れです。

だけど、お金がないと不安になるのはなぜだ。

もともと大した役に立たない、存在感のないお金が、手元にないというだけで僕たちの行動を制限するのはなぜだ。

それがないとまるで打つ手がないかのように、不安のどん底に突き落とされ、思考ばかりか気迫まで奪われてしまうのはなぜだ。

それは、そういうルールの上でゲームすることになっているから。

カジノの中、ルールの中

例えるのなら、僕らはカジノの中にいる。

外に出ればチップを持っていることに大した意味はないことに気付くのに、なにせ出口が見つからない。

例えば、街の中で無一文になったら打つ手がないでしょう。限りなく命の危機にさらされる可能性があがります。もちろん物は食べられないし、住むところもない、履歴書と住所がなければ仕事は出来ない。スーツもなかったらダメかもしれない。

こうなれば、犯罪に手を染めてもおかしくない。

じゃあ無人島で無一文になったら?

都会にいるよりは何とかなりそうな気がするのは僕だけでしょうか。
食べられる植物があれば食べるし、食べられそうな小動物や魚がいれば狩れば良い。

火を起こす方法さえ分かれば多くの危険は避けられるし、調理も出来る。飲み水の確保だって、火があればできそうだし、雨水をためることもできる。

同じ無一文で、ひとりぼっちという状況で、生きる希望が一瞬で奪われるのはどっちだ。

お金がモノを言う場所だ。

お金がないという状況に陥ったまったく同じ人間が、一方の環境では弱く、悪くなり、もう一方の環境では強かに、賢く生きられるっておかしくないか?

お金が使えるというルールがあるからこそ、行動ばかりでなく、精神のあり方が変わるのだとしたら、お金が持つ権限が大きくなりすぎているのではないか。

ここでは、街にあふれる可能性、お金がなくても街で生きられる知恵について故意に排除しています。

まったくの無一文でも、都会の喧騒の中で強かに生きている人もいるのかもしれないけれど、僕にはそれが、羞恥心を捨てることなしに出来ることではないと思えて仕方ありません。

人間としての尊厳を奪う力がお金にはあるとしたら、やっぱりお金が持つ権限が大きくなりすぎているのではないかという結論は変わりません。

お金が足を引っ張って、出来ることもできなくなるのはなぜだ。みんなの便利のために、多くの見えない制限を作り、人の行動を縛るのはなぜだ。

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