札幌の歴史的建造物「旧永山邸」で昔の木製トイレが見れてよかった話

発想と行動を記録する

先日、札幌にある旧永山邸と、その隣にある旧三菱鉱業寮に行きました。

補修や改築がされているけど明治時代に建てられたもので、屯田兵の父と言われた永山武四郎の私邸です。和洋折衷住宅が気軽に見られるので楽しいです。

旧三菱鉱業寮は昭和12年ごろに建てられた建物。一階には「ナガヤマレスト」というレストラン(カフェ?)が入っており、お料理やデザートをいただくことができます。

↓永山邸カレー。美味しかった。

旧永山邸及び旧三菱鉱業寮は自由に見学できて、楽しかったので隅々まで歩いたのですが、奥にあったトイレが良かったですね。

ずっと、昔風のというか日本風のトイレってどんなだったのかなあ、って思ってたので、それが見られて良かったという感じ。

トイレへ続く廊下↓

陰翳礼讃という谷崎潤一郎のエッセイがありますけれども、この中にあるトイレ語りが僕は好きなんですよね。

ちょっと長いけど引用しますね。

私は、京都や奈良の寺院へ行って、昔風の、うすぐらい、そうしてしかも掃除の行き届いた厠へ案内される毎に、つくづく日本建築の有難みを感じる。茶の間もいいにはいいけれども、日本の厠は実に精神が休まるように出来ている。

それらは必ず母屋から離れて、青葉の匂や苔の匂のして来るような植え込みの陰に設けてあり、廊下を伝わって行くのであるが、そのうすぐらい光線の中にうずくまって、ほんのり明るい障子の反射を受けながら瞑想に耽り、または窓外の庭のけしきを眺める気持は、何とも云えない。

漱石先生は毎朝便通に行かれることを一つの楽しみに数えられ、それはむしろ生理的快感であると云われたそうだが、その快感を味わう上にも、閑寂な壁と、清楚な木目に囲まれて、眼に青空や青葉の色を見ることの出来る日本の厠ほど、恰好な場所はあるまい

 

この後も延々と日本風トイレ褒めを繰り返す谷崎先生です。

夏目漱石の名前を出しながらトイレの風流を語るのはなんかずるいなと思いますが、トイレめっちゃ落ちつくという点は完全に同意です。

ただ、谷崎潤一郎の言うトイレと、僕が落ち着いているトイレはまったくの別物で、谷崎先生に言わせれば、僕が普段利用してるトイレは風流も何もないというところなんでしょう。

僕は今のトイレもしっかり日本の文化とか日本人の精神が現れていて素晴らしいと思います。

トイレに対する機能美、造形美のいずれも日本が世界に誇って良いもののひとつだと思う。

確かにおおまかに見たスタイルは西洋のものだと思うけれど、その中に和の本質みたいなものはしっかり生きているのではないでしょうか。

谷崎先生は一面が白い壁の明るい空間では、「夏目先生のいわゆる生理的快感を、心行く限り享楽する気分になりにくい。」と仰います。

トイレは「薄暗がりの光線で包んで、何処から清浄になり、何処から不浄になるとも、けじめを朦朧とぼかして置いた方がよい。」のです

なんかそう自信満々に言われると籠絡されそうだけど、掃除する身になってみたらやはり清潔感ある西洋風のトイレの方がありがたいのではないかと思います。

風流は風流なのかもしれないけど、実用性の点においてはあまりに不利な気が。

だから谷崎先生も自分の家を建てるとき

浄化装置にはしたものの、タイルだけは一切使わぬようにして、床には楠の板を張り詰め、日本風の感じを出すようにしてみた

らしいです。

実用に傾くのは仕方ないけど、なんかもったいないよね、日本らしさ、日本が美徳とする奥ゆかしさみたいなのが、損なわれていく気がするよね、みたいな話が展開されます。

日本風の感じを出すようにしてみたけれど、困ったのが便器だと言います。

水洗式のものは皆真っ白な磁器で出来ていて、ピカピカ光る金属製の把手などが附いている、ぜんたい私の注文を云えば、あの器は、男子用のも、女子用のも、木製の奴が一番いゝ

と書いてあるのを見て、そういえば、木製の便器ってなんか想像つかないなーと思ってました。

どこかで使ったことはないにしろ見たことくらいはあるような気がするけれど、はて一体いつ、どこでと問われると分からない。

木製の便器ってそれ使えるの?すぐ腐っちゃうんじゃないの?とか色々疑問はあったけれど旧永山邸にありました。

これです。

本当に暗くて写真を撮るのに苦労しましたが、おおこれかって思うとなんか変に感動してしまいました。許されるならここで用を足してみたいものだ。

以上、木製の便器を見てスッキリした話でした。

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