腹から文章が出ていない

最近ブログを書いていて変な気持ち悪さがあったのだけど、その理由のひとつが分かった気がします。

「あ、いま僕は腹から声が出ていないんだ」という発見です。

声もとい文章が腹から出ていない。

腹から声を出すと、腹から声、出てるなーって気持ちになると思います。バカっぽいこと言うようだけど、出てるなーって気持ちになるんじゃないでしょうか。

そういうときって気持ち良いです。

スッキリするというか、燃焼してます、みたいな、声が届いているという感覚ってとても良いものだと思う。

僕は声を出すのが下手なのであまり経験したことのない感覚なんだけど、それでも腹から声が出るというのは良い。

テレビで歌手が歌っている姿とか、思いっきり笑ってる人を見たときとか、いいなあー気持ち良さそうだなーって感じることもある。

最近これが文章でできてなくて、書いてて気持ち悪かったのです。

 

文章も腹から出ることがあって、書いてるあいだ、頭とかお腹とかが燃焼してます、ガーっと回ってますみたいな感覚を持つことがある。

ほんとは筆が乗るとかそういう言い回しになるんだろうけど、そういう表現ではとても足りない、ガソリンを全部使ってる感覚、腹から文章を書いているという感覚が最近は希薄でした。

ただしゃべってるだけ。声は出てるけど別に誰に向けてってわけでもない。一人でぼそぼそやってるだけで、気持ちよくない。

省エネモードでギリギリ稼働してるだけみたいな状態です。

この感覚がないから、書いててもつまらないのでした。

 

 

定期的に更新しようというルールのため、僕は月水金の3日間、必ず何かブログで書くようにしていました。

ルールを定めなければ書くモチベーションが維持できないかもしれないと思ったからです。また、ブログを始めた当初「ブログの書き方」をよく検索しましたが、毎日更新が大事とか、数をこなすも一つの手というものを見かけました。

まずは書き続けること、続けることが一番大事というようなことは見た限り誰もが書いていることでした。

 

 

まちづくりやコミュニティについて、思うことを書きなぐりました。伝えることがまちづくりの一環になると信じました。書く行為というのは道しるべになるから、考えるために書く、という目的もありました。

しかし最近では、思考が飽和状態となり、考え終わったという感覚がありました。そのことにも気づかないまま、ただルールに則って記事を書き続けました。

いわゆる手段が目的化するというやつでしょうか。

ブログを書いて、誰かに何かを伝えることが目的だったのに、いつしか、今日月曜だから何か書かなきゃ、水曜だから何か書かなきゃという風に記事を書くのでした。

たぶん良くないこれは。

じゃあこう書けば良いということが分かるわけでもないのだけど、同じ轍を踏まないために、特に何もルールを定めず、とにかく衝動に駆られて書いていた頃の気持ちに帰ってみようと思います。

腹から文章が出ていない(完)

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