ファッション化する仕事観について

仕事が創造的になっていく、もしくは装飾的になっていく、という話を

あってもなくても構わない人生と小説的な面白さについて

という記事で書いたのだけど、これに関する仕事観の変化についてもう少し考えてみたい。

端的に言って僕が言っているのは、仕事は名実ともにどんどんしてもしなくても良いものに変わって行くと思うんだよねということ。

だから趣味的になっていく…と言いたいところだしその方が分かりやすそうなんだけど、創造的だとか装飾的だとかって言葉をわざわざ選んでいるのは、どうも働くって趣味ほど自己完結では済まなそうな営みだぞ、と思うからです。

やはり他人あってこその仕事ですから、日曜日お父さんがガレージでなにやらやっているというよりはもっと「人目」というものが要素としてあって、人に見てもらうことを前提とする営みだからこそ、創造(創作)的だとか、装飾的だという言葉が相応しいような気がする。

それで、「あってもなくても構わない~」って記事の中では主に創造的ってどういう意味なのかって話を書いたつもりなので、この記事では仕事が装飾的ってどういうことだろうってことを書いてみたい。

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仕事がファッションになるとしたら、僕らはまた思春期を迎えることになる

仕事がファッション化していく。

普通こういう言い回しをすると、「形だけで中身がない」みたいなどちらかと言えば否定的なニュアンスになると思うんだけど、そのような気持はありません。

素朴にそうなっていくよね、普通にしてもしなくても良いものになっていくよね、と思っているだけで、このファッション化という点についてゆゆしき問題だとは思ってない。

だけど、それをナチュラルに受け入れられる層が羨ましいなというやっかみの気持ちはある。

この記事で主に何の話がしたいかと言うと、もし仮に今この時代が、「仕事というものがファッション化していく過渡期」だとすれば、これからバリバリ働くよという世代の人達はまた思春期を迎えることになるのではないかということ。

思春期に思春期らしく振る舞うことに対して抵抗する気持ちってあるはずで、仕事のファッション化という流れを遅延させているものがあるとすればこの感情だろうなという話です。

なりたい自分やこう思われたい自分を目指すのに必要な勇気

人にどう思われるかを気にする段階から、積極的にこう思われたいから努力するっていう段階までにかかる時間って人によって違うと思うのです。

例えば中学・高校時代を思いだします。

僕は坊主頭だったのであまり関係がないけど、この頃から垢ぬけてるヤツはちゃんと整髪料つけて、休み時間になったらちゃんとトイレに行って髪型直したりしてた。香水もつけて来てる人いたし、制服の着こなしにもこだわりを見せ始める。

かっこよくなりたいから、自分なりにちゃんとかっこよくなる努力をしていたわけです。

たぶんたいていの人はそりゃかっこよくなって、彼女の一人も欲しくて堪らない時期なのです。かっこよくなりたいと思ってる。

だったら素直にそれ目指してかっこつければ良いのに、まだかっこつけることに抵抗があるというか、そんなんしても変わんねえよ、なんか自意識過剰で恥ずかしいわ、誰もお前のことなんか見てねえよという感情もある。

仕事に対しても、ファッション化を心情的に受け入れない層(受け入れるのが遅い層)というのが絶対にいて、つまりかっこいいとかかわいいとかって人に言われることや、こういう自分が好きなんだって表に出すことに抵抗を覚える人がいると思う。

自分は人にちやほやされることに対してそこまで積極的になれない、素直にそういう目標を掲げられないという感情。

センスがある仕事、センスがない仕事という概念

僕が着飾ったりなんだりするのに時間がかかった側なので(というか今もファッションにかなり疎い)こんな話をしているのだけど、やっぱりはっきりと「満足行く自分」を人に見せるのには抵抗があります。

ファッションってそんなところがあると思う。能動的に選べば選ぶほど、自分の嗜好や志向がはっきり見えてしまうから、それを人に見えるのには勇気が要る。

簡単に言えば自分のセンスを見せることに対する戸惑いです。

もし仕事がファッションだと言い切るのであれば、自分が選んだ仕事、自分が精を出している仕事は生活のためという動機や、他者のためという建前をすっ飛ばして、センスで片づけられるようになる。

これが怖いと感じる人は、仕事に対して得られる報酬やどんな価値を与えているか?という旧来の、というか現状の哲学を守ろうとする。

そして仕事とは生活のためのものであって、人のために行うものである、たぶんに犠牲的な要素を含み、使命的なものであるという方を好む。

でも僕が言ってるのは、だからそういうところがもうファッションになりつつあるよねということなのです。そんな志も哲学も、あってもなくても構わない状況になれば、ただの好みである。リングをはめるように使命感をはめるようになる。

結論にしたいのだけど結論が分からない

分量的にここら辺で結論なんだけど、非常にヤバいことに自分でも結論が分からないです。

だから何?という段階で考えが止まっていて、結局そのファッション感覚を意識的に受け入れるべきだという話なのか、要するにセンスを磨いていこうなって話なのか。

それとも仕事はファッションとは言え流行に捉われてコロコロとスタイルを変えるようでは結局自分が自分である意味なんかなくなって文字通り悪い意味でのファッション感覚になってしまう怖さがあるよねってことなのか。

はたまた、自分の思春期時代の反省を活かし、仕事に関してはもっと見せる意識とか堂々と自己満を披露する勇気みたいなのを持って、誰に聞かれなくてもおれはこうなんや!って話をして、ちゃんと時代にふさわしい成長がしたいということなのか。

もしくは単純に、仕事のファッション化という概念がもっと人口に膾炙すれば、したくない仕事をしないことに大人的な理由はいらなくなるのに、働かない(働けない)という選択に卑屈さも負い目もいらなくなるだろうに…という鬱憤を話したいのか。

書き始めの気楽さと比べると結論時の頭が散らかりすぎてどうしようもない。

たぶん全部言いたいことなんだろうけど、もうちょっと整理して今度また切り口を変えつつ書こうと思います。

ファッション化する仕事観について(完)

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