文章を書けないときの圧倒的なつまらなさはボードゲームに似てる。

文章を書けない日がある。今日がそう。

スランプとかつけあがったことを言ってるんじゃなくて、単純に頭が悪い日というか、文章を書くということに関して調子が悪い日。

何となく声が出ない日とか、食欲が少ない日とかあると思うけど、同じ感覚で文章が書けない日がある。

この感覚のときは本当につまらない。つまらないだけじゃなくてイライラさえする。

この感じ、ずっと小さい頃から知ってる気がして、考えてたら思い出してきたのでメモしておきます。なんの必要があるかは分からないけど。

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トランプ占いがつまらなかった思い出

なにこのつまらなさ。文章を書けないと感じる日のつまらなさ。

なんかまず昔ばあちゃんに教えてもらったトランプでする占いを思い出しました。

トランプを表(数字のある方)にして5枚ずつくらい横に並べていく。

どんどん並べていって、縦横斜めどこでも良いから同じ数字が接触しているものが出てくれば取り除いていく。

取り除いた部分の空白はつめて埋める。

するとカードが移動するので、また縦横斜めのどこかで同じ数字のトランプが出てくるから、その場合は取り除く。を繰り返す。

そして最後まできれいにカードが無くなったら運が良い日。組み合わせが悪く全てのカードを取り除くことができなかったら運が悪い日。

教えてくれたばあちゃんには悪いけど、子どもながらに超つまんなかった。

僕が小さいから適当な遊びを教えてくれたんだろうけど、いくら小さくたって運が良いか悪いかだけを判断するためにトランプを全て並べるのはしんどいよばあちゃんという気持ちがあった。

人生ゲームが嫌い

最初の思い出したのはトランプ占いだけど、考えてみれば僕は基本的にカードゲーム、ボードゲーム全般があまり好きではありません。

好きではないどころか、嫌いと言っても良いくらい。

小さい頃からずっと、トランプもオセロも人生ゲームもめんどくさいめんどくさいと思いながらやってて、かかる時間のわりに得るものが少ない、暇つぶしにしては単純すぎる動作しかいらない、勝っても負けても嬉しくも悔しくもないゲームというところが気に入らなかった。

もちろんオセロとかチェスとか将棋とか真剣にやれば奥が深いのは分かるからそれ自体がくだらないと言ってるワケではないです。『3月のライオン』も『ヒカルの碁』も好き。

ただ僕がやるということになるといまいち興味が持てないから頭も回らないし、闘志がないから勝っても負けても何とも思わず、勝っても負けても何とも思わない人にとっては単純作業の集合でしかないゲームが苦痛。

特に人生ゲームがきつかった。あれは僕にとって一定時間をおいてルーレット回すだけのゲームで、誰か代わりに回してくれないか、いやそもそも一人ルーレットを回す役がいればよくないかと考えながら生きていた。

ルーレットを回すくらいの手ごたえの文章

文章が書けない感じがするときは、このボードゲームに付き合ってるときのつまらなさと感覚が似ています。

じゃあ書かなきゃいいじゃん別に誰が待ってるってワケでもないんだからって声が自分の中から聞こえてくるけど、でも一応こっそり月水金は更新しようって決めてるし、なんかつまんないしやる気出ないから今日はいいやってやっちゃったら終わりな気がするんですよね。

だいたいいつもスポーツするときみたいに興奮しながら書いてるわけだし、たまたまつまらない日があっても純粋になにこれつまんない時間の無駄じゃんって気持ちよりは、なんでつまんないんだろう?っていう怖さの方が勝ってしまう。

いっつも食べてるお気に入りの食べ物がおいしくなかったらなんか自分の身体に異常があるんじゃないかって思ってしまうみたいな感じで怖い。

にしても今日はおかしい。ここまで書いても言われるがままルーレット回すくらいの手ごたえしか感じない。

とりあえずキーボードは打ってるけど、例えば僕が人生ゲームするときに3マス目に止まりたいなとか、5マス進めたらボーナスもらえる!とか考えながらルーレットを回すことが絶対に無いように、文字を打った先の目的が全くない。

間違ってアクセスしてしまった人に悪いからもう今日はいいかな。

あそうかつまんなそうに人生ゲームするのも周りの人に悪かったのか。でもたいてい断るのも変なんだよな。

文章を書けないときの圧倒的なつまらなさはボードゲームに似てる。(完)

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