「書くことは考えること」は本当か

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書くことは考えることだ、と何かの本で読んだ気がします。

人は言葉で物事を理解するのだから、書くという行為はそのまま考えることなんだよと。

確かに、頭の中で考えているつもりでも全然前へ進まない、ということはあるけれど、書いていると自分の考えが先に進んでいくことを実感することがあります。

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なぜ書くと考えが前へ進むのか

前へと言っても、必ずしも良い方向へというわけではありません。

ネガティブなことだって、文字にして見えるようにすることでハッキリして、さらにネガティブな方向へ進むことがある。

しかし、浅い堂々巡りみたいな状態を脱するには書くという行為は大変役に立つと考えています。

なぜ書くと考えが前へ進むのか。

僕の感覚ですが、書くという行為は「問いを立てる」行為とすごく似ているからです。

書くこと=問いを立てること

それに関して、さらに何か書こうとすると、自然に回答を書くことになる。それが解答となるかどうかはまた別だけれど、とにかく、問う、答えるというワンセットの行為がやりやすくなる。

考えるためのブログ

このブログは、考えるために書き始めました。

何を考えるためかというと「まちづくり」について。

さあ「まちづくり」について書くぞ、と決めて何か書こうとすると、自然に問いが生まれます。

そもそもまちづくりってどうなれば成功なんだ?のように。

それに自分なりの答えを書いていく。

成功の指標はときと場合によって違うし、人によっても違うなあ、みたいなことを。

それからまだ書こうと考えると、次の問いが生まれます。

そもそも、成功しなくちゃならないのか?成功というゴールってすごく限定的なものじゃない?

成功というのも幸福の一つの指標だけど、「納得」という言葉の方がより間口が広そうだな

その町に住む人それぞれが「納得」するためにはどんな町である必要があるんだ?

色々な価値観の人が、お互いに尊重しあって、自分なりの納得を追及できる町だ

それって「国」も一緒じゃないか?

そうだ、できるだけ多くの人が納得しながら生きられる町が目指すべき道の一つだとして、それは国も一緒だ。国の形の小さいバージョンが町で、ひいては個なのか。

そうするためにはどうすれば良い?つまり、町や、個のそれぞれが納得しながら生きるためには?

ああ、世の中で頻繁に叫ばれている「多様性の尊重」ってそういうことなのか。

多様性ってなんだ?

一言では語れない。

話が大きくなりすぎてしまったちょっと立ち戻って、その納得がキーだとして、誰の納得がまちづくりに繋がるんだろう。

いろいろ考えたけど、僕が考えられることは僕の納得だけだ。僕が納得できる生き方のできる町が良い町で、僕は僕の好きな生き方をすれば良いんだ

じゃあ僕が納得する生き方ってなんだ?何が僕の幸せで、僕は何をすれば喜ぶんだ?

……。

書くのは能が複雑に耐えられないから

こんな風に、考えて、答えて、立ち戻ってというややこしいことをするには、確かに書かなければならなかったなと思います。

問いを立てれば回答が生まれるし、問いは問いを呼ぶから思考はどんどん樹形図のように広がっていく。

自分の頭の中で考えてることって実はすごく表層的というか、悩むわりに考えれてないことが多いと思います。

頭の中で掛け算をしようとしてもなかなか計算が進まないと思うけど、多分僕らが頭の中で考えれらえる複雑ってその程度のもので、本当に考えようとしたら書いた方が良いのだろうなと実感します。

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