自分の文体を獲得したい。「独特な文体」ってなんだろう?

自分の文体ってなんだろう?

どうすればそういうものを獲得できるんだろう。

過去に

文体ってなに。どうやって磨くの。

という記事を書いたのだけど、まだ「文体って何だろう?」という疑問が拭えないというか、掴みどころのなさを解消できなくて、自分らしい文体の存在が分からない。

文章を書く多くの人がそうなんじゃないかなと思うし、「この作家の文体が好き」と口にすることがある多くの読み手も文体に関するイメージの朧げさは分かってくれると思う。

この記事では、文体ってこういうことじゃないか?、つまり、自分の文体とか独特な文体と言われるときの文体ってこういうものじゃないか?という、仮説というか、僕が信じていることを書いていこうと思います。

上に貼ったリンクの内容とほぼ同じになると思うけど、最近また悩んでるので、改めて考えたい。

僕と同じように自分の文体を獲得したいと考えている人、「この人の文体は~」と語るときにもっと確固とした自信を持ちたいという方、雰囲気で読んで分かってる感じを脱却したい方が少しでも納得できるようなことが書けたら良いなと思います。

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文体と呼ぶには抵抗があること

「これを指して文体とは呼ばないよ」というものはあると思います。

例えば僕がこのブログで一応統一している「ですます体」であるとか、「僕」という一人称。「これは僕の文体を作っているか?」という話。

ex)

僕は冬が嫌いです。なぜなら、寒いからです。

俺は冬が嫌いだ。だって寒いじゃん。

こういう語り口調的なものを指して、文体と呼ぶのは抵抗がある。

これも文体の違いの一つだと文章の先輩かなんかにでも言われればぐうの音も出ないけど、こうやってちょっと意識すれば変えられるような部分を指して果たして文体と呼べるのか。

そしてそんなすぐにでも真似できる部分を指して「自分の文体」とか「独特の文体」と呼ぶことはできるのか。

んー違うと思うんだよな。

だって、例えば英語にしたときに消えてしまうような個性なら、そもそもその文章に個性なんかないんじゃない?って思うから。

この辺は『書きあぐねている人のための小説入門』に書いてあったことのほぼ受け売りですが。

『書きあぐねている人のための小説入門』は何度も読んだけど、保坂和志の小説を読んだことがない

ex)

私はお腹が空きました。

オラ、腹減ったぞ。

あたち、ぽんぽんすいたの。

英語に直せば全部 I am hungry ですよね。

どうしてもそれぞれの感じを出したければ幼児語を使ったりぞんざいな口調が出る単語に置き換えたりできるのかもしれないけど、僕程度ではどうすれば良いか分からない。多分普通に全部アイムハングリーで一緒にすると思う。

言葉から受ける印象としての言い方とかどんな人物のセリフなのかという違いは確かにあっても、語っていることが一緒である限り「文体」には影響しないのではないかと思うのです。

人によって違う、「文体」とは

では僕が考える文体とは何か。

それは、何かを伝えようとしたときに、どんな材料を選ぶか、だと思います。

例えば「朝目が覚めると、雪が降っていた」という状況と自分が感じたことを伝えようとしたとき、当然のように人によって違いが出ると思う。

3パターンほど考えます。

「今朝、雪が降ったわね」と、トーストの乗った皿を食卓に並べながら、妻は言った。

初雪がアスファルトに落ちてはジワリと融けて、黒い水たまりになる映像が頭に浮かぶ。

熱いトーストの上でどんどん溶けるバターが黄色く光る脂の層を作ったとき、私の頭の中の水たまりも凍って光り、まだ車のタイヤを履き替えていないことを思い出した。

「駅行くならクリーニングに出したシャツ、自分で取ってきてね」

妻の声は冷たかった。

妻は私が車のタイヤを替えていないことも、いつもバターを塗りすぎることも知っている。

「だから言ったのに」を聞かなくて済むように、私は素早く短い返事をした。

冬である。

短編小説にしました→『雪見だいふくで許して』

鼻先で感じる冷たい空気で、私はハッと目が覚めた。

まだ夜中だと思った。

自分の呼吸がこんなにはっきりと聞こえるのだから、今は夜中なのだ。

部屋は青白い空気で満たされていてほんのりと明るく、わざわざ目で見なくても、カーテンの向こう側では雪が降り始めていることが分かる。

何時なのかは分からないけれど、あと3時間はこのままでいたいな、雪の降る気配が、せめて雨音に変わるまでは、ここでじっとできたら良いのにな、と思った。

雪は好きなのに、とにかくまだ少しも見たくない気分なのだ。

初雪!

今朝カーテンを開けると一面の銀世界!

一夜にして景色がガラッと変わってしまうこの季節は何度経験してもワクワクします。

もう大人だけど気持ちはまだまだ風の子元気な子の僕です。どうもどうも。

ああ雪遊びがしたいなあ…。

雪遊びと言えば、僕のフェイバリットはやっぱり雪合戦なんですよね。熱いんですよねー。雪は冷たいけど熱いんですよね。

冷戦のことを僕しばらく雪合戦のことだと本気で思ってましたからね。

ということで!

今回は僕が小学校の頃に実践していた、固い雪玉を素早く作るコツをご紹介したいと思います!

これで君もお昼休みのヒーローだ!

事実から連想することは、みんな自然に異なる=自分の文体になる

①はサラリーマンのおじさん

②は女子大生

③は男性ブロガー

のつもりで書きました。

小説風というか、ある程度ストーリー(続き)がありそうな気配を漂わせたいと思って書いた文です。実際はストーリーなんかないんだから小手先だけど多分雰囲気分かってもらえるんじゃないかと思います。

伝えたかったのは、それぞれの立場で雪から抱くイメージが違うというか、雪が降ったという現象から連想することが違うということです。

雪が降ったこととか、寒いこととかは誰が書いても一緒なんだけど、それをどういう風に伝えるかという部分には違いがある。

そして、自分が伝えたいと思ったことを伝えるために、どんな材料(言葉)を使うかが違う。

サラリーマンのおじさんの場合

①のサラリーマンは雪そのものよりも、「雪が降ったという情報」から足元ぬかるんでるかなとかまず考えちゃう。それから、路面が凍ってる可能性とか、夜にまた降る可能性なんかを無意識に考えてしまって、「あ、タイヤ替えてねえや」みたいなことを考えちゃう。

気温よりも妻の最近の塩対応にこたえてる。もう、やだなー冬、俺が何したって言うんだよっていうことを伝えようとしている。雪が降るのも妻が冷たいのも自然の摂理なんだけど、ちょっと悪態をつきたくなるような季節。

ある女子大生の場合

②の女子大生は、サラリーマンのおじさんみたいな憂いとか哀愁みたいなものは持ち合わせてない。何かはあるんだろうけど、何かあると思わせたいだけというか、実際は「さむい布団から出たくない」って単純な感情が、雪が降った朝の凛とした空気に感化されて、かつちょっと寝ぼけてて、ポエミーな感じになってしまっている。「青白い空気」とか「カーテンの向こう側」で雪が降ってるイメージとか、極力視力以外の感覚的なものを使って表現している。ものぐさである。

あるブロガーの場合

③のブロガーは意外に一番冷静で、「雪降ったな、何か記事にできないかな」みたいな思考が先にあって、感性のようなものはあまり働かせていない。
初雪でーすって写真貼ったってしょうがないしな。雪遊びかな。まだ降り始めだし雪だるま作るってタイミングでもないけど、通学路とかで雪玉作って電柱に当てたりはするよな。ああそういうの懐かしく思う人いるかもしれない。あとそうだな、このブログは子どもの読者もいるから、あのときの自分が知りたかったことを書けば良いんじゃないか。よし、雪玉の作り方で書いてみるか。まだ弱いから、「素早く固い雪玉の作り方」でいこうか。

自分の文体ってなに?

同じ出来事でも、その経験と経験から感じたことを外に出そうと思ったら、自ずと自分らしい切り口というか、「雪が降ったという事実に付随する材料」が異なる。

これは外国語にしたところで変わらない部分で、その人のこれまでの経験や癖が色濃く出るものだから、その人の文体になるのではないか。

「自分の文体」というのは、「目の付け所」であり、「思考回路」であり、「世界の編集のクセ」なのかなと僕は思う。

もちろん、一人称とか語尾とか改行の仕方とか、そういうのも「文体」ではあると思います。文字通り見た目のスタイルとしての文体。

だけど、もっと根本的な、にじみ出る何かを「文体」には求めてしまうのです。

こういうことを考えていると、夏目漱石の『吾輩は猫である』を思い出しました。

吾輩は猫である

文体に目を凝らしたとき、注目すべきは「吾輩」とかって一人称じゃなくて、「である」体であるとかでもなくて、以下のような文章だと思う。

「それは書生という人間中で一番獰悪な種族であったそうだ」

「第一毛をもって装飾されべきはずの顔がつるつるしてまるで薬缶だ」

引用した文は冒頭の方なのでちょっと上に貼った青空文庫のリンクから見てみてほしい。

猫だからこそ出てくる言葉、猫じゃなきゃ感じないこと。

猫の目を使って世界を見た、ということ。

そしてそういう工夫をして客観的に人間を眺めてみようと思った、ということ自体が、この作品では漱石の文体を作っている。夏目漱石の中にある何かを表現するために、「猫という材料」を通してモノを語ったということ。

自分の文体を獲得したい。「独特な文体」ってなんだろう?(完)

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コメント

  1. しゅーくりぃむ より:

    本来の趣旨とは違うコメントになるかも知れませんが、①が素敵ですねぇ。多くを語らず、そこに至るまでのプロセスが映像を見せられた時のように鮮明に思い浮かぶ。
    そして「冬である」が空想の産物に過ぎなかった光景に一息で色を与えてくれるというか。これが作品だったら続きが気になって絶対に買ってしまいそうな程に素敵です。

    • 塚田 和嗣 より:

      しゅーくりぃむさん

      わあ、ありがとうございます!
      素直に嬉しいコメントすぎて少し室内をうろうろしてしまいました(笑)調子に乗って、それならこれを冒頭にして続きを書いてみようと思いました。ご想像なさった内容に応えられるかと考えると不安ですが、「雪」を含んだタイトルで短編を書いて4月6日に公開しますので、よろしければ読んでみてください!