「思いついたことを試すのが怖い」という感情を当然のものとして受け入れる

close up photo of blue liquid発想と行動を記録する
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最近ちょっとillustratorとかPhotoshopとか使う機会が多い。

とは言えもともとこういうアプリ、遊び程度には触っていたけど全然使いこなしていたわけではなくて、いざ本当に必要に駆られて使うと分からないことばかり。

目標の創作物を形にするにあたって、「こんな風にしたいなー」って思ったらその都度その方法を調べ、試してみる、ということを繰り返さなければならない。

試してみると体感で8割はうまくいかない。うまくいかないというのは操作がうまくできないということではなく、「やってみて、思ったより良くなかった」という意味。

創作は試行錯誤を繰り返さなければならず、完成までに費やさられる労力の8割は結果に活かされない。

これが本当に辛い。思った通りの成果物を最短距離で作れるようになるには、相当修行しなければならない。その修行というのがまさに試行錯誤の繰り返しであり、作ってみてダメだった、もっとこうしよう、ダメだった、この方法ならどうだろうと食らいついて、磨き上げていく作業の繰り返し。

このサイクルをときに低速で、ときに高速で、回し回し、少しずつ上達していく。反復によってしか得られない技術がある。

大抵のことはうまくいかないに決まってる。ネガティブな考えとかじゃなくて事実、慣れないことはうまくいかないに決まってる。失敗する、思った通りにいかない。本当にこれが怖い。思いつくだけで形にしなくて良いなら良い。形にしなければならないとき、僕らはいくつもの壁を越えなければならないし、それらの壁を越えるのは非常にめんどくさかったり、そもそもエライ高さだったりする。

この壁を乗り越える際の、恐怖の感情を受け入れなきゃならんのです僕らは。

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めんどうくさいという恐怖

なぜこの恐怖の感情を乗り越えなければならないかと言うと、単純に、いつまでたっても形にならないから。

中には、「恐怖」と聞いて、そこまで大袈裟な感情を抱くわけじゃないけど、まあめんどくさいよねって思う人もいると思う。

僕もその、「まあめんどくさい」という感情を指して「恐怖」と言ってます。

小さい恐怖感情ではありますが、その、思いつく度に感じる面倒くささとか、わからん!って思う度に感じる面倒くささが、確実に集中力を奪っていく。

一度「面倒くささを頑張って乗り越える」という精神的な作業をいちいち乗り越えなければならないので、そこに費やされるエネルギーが蓄積して、進捗のわりに疲労度が高い、という風になってしまう。

僕の感覚でだけど、めんどくさいという恐怖を意識的に乗り越えようとしないまま過ごせば、どんどんクリエイティブは狭くなる。

「思いつくこと」そのものに手加減を加えるようになって、低い位置で満足するように自分を作り替えてしまう。

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めんどうくさいけど頑張る

「めんどくさいという恐怖感情を乗り越える」とか書いてしまったけれど、僕が今日の記事に書き残しておきたいのは、乗り越えるではなく受け入れるということ。

さっき書いた通り、乗り越える要領を覚えると、「思いつくこと」を手加減するようになる、という確信があるから。

乗り越えると言えば、「そもそもめんどうくさい」と感じなくなるよう工夫するとかという風になってしまうと僕は予想する。

計画の立て方を見直したり、時間に余裕を作るとか言ってみたり、雑でも良いからまず全体を作ってみるとかしたり。

すると小手先のハウツーに走ってしまうようになって、もちろんそれでうまくいく人はそれで良いのだろうけど、僕は違う。

僕はハウツーの実行の方で満足してしまってダメだと思う。

僕がここに書いておきたいのは技術論ではなく精神論で、それ以上でも以下でもなく、「めんどうくさいことを、めんどうくさいと思いながらやる」ということ。

めんどうくさいと思うのは当たり前で、そもそも三大欲求に関わること以外、全部面倒くさいです。

生きるのめんどうくさい。いや、生きてるだけじゃダメだからめんどうくさいんだろうな。

精神論です本当に。めんどうくさいけど頑張る。めんどうくさいけど頑張る。

 

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